地村保志さん・富貴恵さん「子ら返して」
投稿者: sa_bo_ten_02 投稿日時: 2003/09/11 21:41 投稿番号: [86300 / 232612]
子ら返して
胸中切々
拉致・本紙座談会
地村保志さん(48)・富貴恵さん(48)夫妻の生存の知らせが届いてから、間もなく一年。北朝鮮に残された夫妻の三人の子供らの一日も早い帰国を待つばかり−。小浜市内のホテルで十日に本紙が開いた座談会で、保志さんの父保さん(76)、富貴恵さんの兄浜本雄幸さん(74)、「救う会福井」会長の池田欣一さん(80)は現在に至るまでの胸の内を切々と語った。
■会談から1年
浜本 思い出すと悲しくなる。とても生きておらんやろうと予測していたら、最後に呼ばれて生存という言葉を聞いた。「良かったな」と思ったけれども、死亡と言われた方の心境を思うたらね、とてもうれしいという感情はわいてきませんでした。泣きましたよ。みんなわんわん泣いた。
地村 羽田空港で帰国を迎えた時には、表情が深刻で心配していた。みんなが歓迎してくれて、本人らも帰ってきて良かったという気持ちになったのが、永住帰国につながった思う。
池田 拉致したということを明言させて、五人が帰ったということは素晴らしい奇跡です。
浜本 永住帰国についてはもめたが、拉致された者は原状回復が原則。親として子どもを置いてきたことは、非常に苦しんでおったんだろうと思いますけど、表に出さず頑張った。
■夫妻の様子
地村 当初は周囲に気を使う表情や目つきをしていたが、友達や親類、同僚と話をしているうちに、表情が和らいできた。昔の保志、ふきちゃんに戻ったと喜んでいる。ただ、ご飯食べとっても、北朝鮮のニュースがあると、パッとはしを放して見とる。子どものことを考えている。私が歩んだのと同じ心境に今おるんやろう。
池田 夫妻とも本来の笑顔は百パーセント出ていない。やはり明日の生死が分からない中での生活を送ったせい。しかし徐々に元の姿に帰ると思う。それには環境、同級生です。
■子の帰国
地村 非は北朝鮮にあるんやから、日本政府は原状復帰が当然のことやと、き然とした態度で交渉してほしい。
浜本 平壌宣言にしても、日本のメリットは一つもない。拉致の「ら」の字も明文化していない。拉致問題を解決せなんだら、国交正常化も経済援助もできませんよと強く言えばいい。
池田 ただ、独裁政治の国と交渉をやっとるわけや。政府の味方するわけではないが、難しい仕事を今やってる。
地村 私らの二十四年間をまた(帰国した)五人に味わわせたくない。首相にもう一回北朝鮮に行ってもらって、一日でも早く子どもたちを帰国させ、同時に(死亡とされた)八人の問題も解決してほしい。それをしないと経済制裁だという気持ちで行ってほしい。
浜本 私も同じ。話し合いのできる国ではない。解決なしに経済支援はできないという強い意思で交渉してほしい。子どもたちが戻ったら、昔の歴史を振り返って、平和な国の交流があってほしい。
■掛ける言葉
地村 お前たちは日本人であるから、一日でもはよう帰ってこい、と。
浜本 一年間、両親と別れてご苦労さんだった。これから北朝鮮のことも日本のこともよく勉強して、交流の架け橋になってほしい。
池田 日本人の国民が帰ってくることをみんな待っている、それだけです。
http://www.kenmin-fukui.co.jp/00/fki/20030911/lcl_____fki_____007.shtml
拉致・本紙座談会
地村保志さん(48)・富貴恵さん(48)夫妻の生存の知らせが届いてから、間もなく一年。北朝鮮に残された夫妻の三人の子供らの一日も早い帰国を待つばかり−。小浜市内のホテルで十日に本紙が開いた座談会で、保志さんの父保さん(76)、富貴恵さんの兄浜本雄幸さん(74)、「救う会福井」会長の池田欣一さん(80)は現在に至るまでの胸の内を切々と語った。
■会談から1年
浜本 思い出すと悲しくなる。とても生きておらんやろうと予測していたら、最後に呼ばれて生存という言葉を聞いた。「良かったな」と思ったけれども、死亡と言われた方の心境を思うたらね、とてもうれしいという感情はわいてきませんでした。泣きましたよ。みんなわんわん泣いた。
地村 羽田空港で帰国を迎えた時には、表情が深刻で心配していた。みんなが歓迎してくれて、本人らも帰ってきて良かったという気持ちになったのが、永住帰国につながった思う。
池田 拉致したということを明言させて、五人が帰ったということは素晴らしい奇跡です。
浜本 永住帰国についてはもめたが、拉致された者は原状回復が原則。親として子どもを置いてきたことは、非常に苦しんでおったんだろうと思いますけど、表に出さず頑張った。
■夫妻の様子
地村 当初は周囲に気を使う表情や目つきをしていたが、友達や親類、同僚と話をしているうちに、表情が和らいできた。昔の保志、ふきちゃんに戻ったと喜んでいる。ただ、ご飯食べとっても、北朝鮮のニュースがあると、パッとはしを放して見とる。子どものことを考えている。私が歩んだのと同じ心境に今おるんやろう。
池田 夫妻とも本来の笑顔は百パーセント出ていない。やはり明日の生死が分からない中での生活を送ったせい。しかし徐々に元の姿に帰ると思う。それには環境、同級生です。
■子の帰国
地村 非は北朝鮮にあるんやから、日本政府は原状復帰が当然のことやと、き然とした態度で交渉してほしい。
浜本 平壌宣言にしても、日本のメリットは一つもない。拉致の「ら」の字も明文化していない。拉致問題を解決せなんだら、国交正常化も経済援助もできませんよと強く言えばいい。
池田 ただ、独裁政治の国と交渉をやっとるわけや。政府の味方するわけではないが、難しい仕事を今やってる。
地村 私らの二十四年間をまた(帰国した)五人に味わわせたくない。首相にもう一回北朝鮮に行ってもらって、一日でも早く子どもたちを帰国させ、同時に(死亡とされた)八人の問題も解決してほしい。それをしないと経済制裁だという気持ちで行ってほしい。
浜本 私も同じ。話し合いのできる国ではない。解決なしに経済支援はできないという強い意思で交渉してほしい。子どもたちが戻ったら、昔の歴史を振り返って、平和な国の交流があってほしい。
■掛ける言葉
地村 お前たちは日本人であるから、一日でもはよう帰ってこい、と。
浜本 一年間、両親と別れてご苦労さんだった。これから北朝鮮のことも日本のこともよく勉強して、交流の架け橋になってほしい。
池田 日本人の国民が帰ってくることをみんな待っている、それだけです。
http://www.kenmin-fukui.co.jp/00/fki/20030911/lcl_____fki_____007.shtml
これは メッセージ 86298 (sa_bo_ten_02 さん)への返信です.