①アメリカが持ち込んだ日本の民主主義
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2003/09/09 00:51 投稿番号: [85827 / 232612]
これはホント?
■大人の日本史
戦後教育のツケの大きいこと。
戦後教育を受けた方々はほとんど、明治以降の日本の近代史・現代史をまともに学んでいないのではないでしょうか。
占領軍の見方、その見方を引き継いだ左翼&日教組、左傾マスコミ、学者の見方で、明治から戦前までの日本を暗黒だったと習っているからです。戦後教育を受けて先生になった方は、日本の近代史・現代史をどう位置付けたらいいのか分からないでしょうし、生徒に自信をもって教えようがないと思います。
戦後教育で叩き込まれている見方のひとつ
●「戦前の日本は暗黒の軍国主義で、アメリカが戦後に民主主義を導入した」
■戦後のはじまり
まず、日本はポツダム宣言を受諾して、降伏しました。
8月10日の天皇の御前会議でポツダム宣言受諾による降伏を決定してから、5日目にあたる8月14日に宣言を受諾、翌15日に国民に告知。これは、広島の原爆から9日目、ソ連参戦から6日目にあたります。
この5日間で、政府は連合国側とやり取りをして、「無事に」降伏しています。負けるのもけっこう外交力がいりますが、降伏を決めた後は、1分も時間を無駄にはしていなかったようです。敗戦後の日本民族と国家がどうなるか、が政府関係者の唯一のテーマだったわけです。当時の政府は民族と国家の命運について、可能な限りの働きをしていたと思われます。
ドイツの独裁政権とは、そこがまったく違っています。ドイツは、ヒトラーが愛人と自殺してしまい、自国民とその将来に責任をもって戦争を終わらせることもしていません。降伏しようにも、降伏する政府が機能していなかったので、ドイツは文字通り、連合国側に踏み込まれて、「完全に無条件降伏」するという最悪のパターンになりました。
日本のポツダム宣言受諾ですが、これは日本側の意向でしたが、アメリカは日本にドイツと同様の完全な「無条件降伏」を目論んでいたでしょうから、5日間で「宣言受諾」に持ち込んだのは、成果だったのだと思われます。
日本の敗戦を、いまでも「無条件降伏した」と言う人がいるのは、占領軍側の影響が残っているのかもしれませんね。
先のイラクも、フセインをはじめ政権担当者がちりぢりに逃げてしまい、負け戦まで引き起こした政治の責任を取っていません。アメリカとの戦争に負けたと認める政府がなく、ただ、負けたという事実があるだけです。ウダイ、クサイの息子も親族が30億ドルで密告してしまいアメリカ軍に
射殺され、これでは、イラク人として誇りを持ちようがない戦争の終わり方だと思います。フセインや前政権担当者をつるし上げることもできず、イラクの人々の膨らんだ不満はアメリカ軍へ向けるしかない状況でしょうね。
さて、日本はポツダム宣言を受諾したため、この13項目にわたるポツダム宣言を誠実に履行することから日本の戦後が始まっています。このポツダム宣言の中に、日本軍の完全武装解除を求める項目があり、これをすぐに整然と行っています。国内の治安も乱れなかったようです、というかみんな呆然としていたのでは。
この日本軍の武装解除ですが、中国本土と、満州(現中国東北部)では明暗を分けてしまいました。ポツダム宣言という国際条約を履行して武装解除した日本軍は国際軍事法に則って連合国側に処遇される、と日本は考えました。で、満州にいた日本軍は、民間の日本人がまだ引き上げる前に、さっそく武装解除しました。これが命取りとなったようです。
ソ連は日露戦争での仕返しも働いたんでしょうね、条約を守らず、実際は、満州にいた日本人たちは命からがら朝鮮半島を南下しつつ逃げまどうことになり、ソ連軍に多くの日本人や元兵士がシベリアへ連行されて、強制労働させられるという事態となりました。シベリア抑留は、ソ連の参戦と日本の敗戦、武装解除と引き上げ、などの混乱の中で起こっていて資料がなく、全体像など実態の多くがいまでも不明のままです。
一方、中国本土にいた日本軍は、まず民間の日本人を守りつつ引き上げさせてから、軍隊を一箇所に集めて武装解除して、すぐ日本に引き上げてきていて、上手くいっているようです。こうしてみても、負けた後の撤収にも軍事力がモノをいうものなんですね。満州では撤退戦略を間違ったというか、ソ連を信用しすぎたというか、初めて負けたので撤収の仕方を知らなかったというか..。
■大人の日本史
戦後教育のツケの大きいこと。
戦後教育を受けた方々はほとんど、明治以降の日本の近代史・現代史をまともに学んでいないのではないでしょうか。
占領軍の見方、その見方を引き継いだ左翼&日教組、左傾マスコミ、学者の見方で、明治から戦前までの日本を暗黒だったと習っているからです。戦後教育を受けて先生になった方は、日本の近代史・現代史をどう位置付けたらいいのか分からないでしょうし、生徒に自信をもって教えようがないと思います。
戦後教育で叩き込まれている見方のひとつ
●「戦前の日本は暗黒の軍国主義で、アメリカが戦後に民主主義を導入した」
■戦後のはじまり
まず、日本はポツダム宣言を受諾して、降伏しました。
8月10日の天皇の御前会議でポツダム宣言受諾による降伏を決定してから、5日目にあたる8月14日に宣言を受諾、翌15日に国民に告知。これは、広島の原爆から9日目、ソ連参戦から6日目にあたります。
この5日間で、政府は連合国側とやり取りをして、「無事に」降伏しています。負けるのもけっこう外交力がいりますが、降伏を決めた後は、1分も時間を無駄にはしていなかったようです。敗戦後の日本民族と国家がどうなるか、が政府関係者の唯一のテーマだったわけです。当時の政府は民族と国家の命運について、可能な限りの働きをしていたと思われます。
ドイツの独裁政権とは、そこがまったく違っています。ドイツは、ヒトラーが愛人と自殺してしまい、自国民とその将来に責任をもって戦争を終わらせることもしていません。降伏しようにも、降伏する政府が機能していなかったので、ドイツは文字通り、連合国側に踏み込まれて、「完全に無条件降伏」するという最悪のパターンになりました。
日本のポツダム宣言受諾ですが、これは日本側の意向でしたが、アメリカは日本にドイツと同様の完全な「無条件降伏」を目論んでいたでしょうから、5日間で「宣言受諾」に持ち込んだのは、成果だったのだと思われます。
日本の敗戦を、いまでも「無条件降伏した」と言う人がいるのは、占領軍側の影響が残っているのかもしれませんね。
先のイラクも、フセインをはじめ政権担当者がちりぢりに逃げてしまい、負け戦まで引き起こした政治の責任を取っていません。アメリカとの戦争に負けたと認める政府がなく、ただ、負けたという事実があるだけです。ウダイ、クサイの息子も親族が30億ドルで密告してしまいアメリカ軍に
射殺され、これでは、イラク人として誇りを持ちようがない戦争の終わり方だと思います。フセインや前政権担当者をつるし上げることもできず、イラクの人々の膨らんだ不満はアメリカ軍へ向けるしかない状況でしょうね。
さて、日本はポツダム宣言を受諾したため、この13項目にわたるポツダム宣言を誠実に履行することから日本の戦後が始まっています。このポツダム宣言の中に、日本軍の完全武装解除を求める項目があり、これをすぐに整然と行っています。国内の治安も乱れなかったようです、というかみんな呆然としていたのでは。
この日本軍の武装解除ですが、中国本土と、満州(現中国東北部)では明暗を分けてしまいました。ポツダム宣言という国際条約を履行して武装解除した日本軍は国際軍事法に則って連合国側に処遇される、と日本は考えました。で、満州にいた日本軍は、民間の日本人がまだ引き上げる前に、さっそく武装解除しました。これが命取りとなったようです。
ソ連は日露戦争での仕返しも働いたんでしょうね、条約を守らず、実際は、満州にいた日本人たちは命からがら朝鮮半島を南下しつつ逃げまどうことになり、ソ連軍に多くの日本人や元兵士がシベリアへ連行されて、強制労働させられるという事態となりました。シベリア抑留は、ソ連の参戦と日本の敗戦、武装解除と引き上げ、などの混乱の中で起こっていて資料がなく、全体像など実態の多くがいまでも不明のままです。
一方、中国本土にいた日本軍は、まず民間の日本人を守りつつ引き上げさせてから、軍隊を一箇所に集めて武装解除して、すぐ日本に引き上げてきていて、上手くいっているようです。こうしてみても、負けた後の撤収にも軍事力がモノをいうものなんですね。満州では撤退戦略を間違ったというか、ソ連を信用しすぎたというか、初めて負けたので撤収の仕方を知らなかったというか..。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.