司馬遼太郎の祖国防衛論
投稿者: kocohadokowatasihadare 投稿日時: 2003/09/08 21:23 投稿番号: [85785 / 232612]
司馬史観の問題点
司馬が小説を書くことになったきっかけは、ノモンハン事変や太平洋戦争での敗戦体験から出ていることは述べた。そこから生まれた司馬独自の日本史観は「司馬史観」とよばれている。この「司馬史観」の特徴は何といっても「明るい明治」像と「暗い昭和」像であるが、この対比的な、非常に簡略化された史観で日本近代史を考えて、果たして良いのだろうか。
司馬史観の特徴が大きく表れているのは「日露戦争以後」の日本の破滅的な捉え方であろう。
日露戦争はロシアの側では弁解の余地もない侵略戦争であったが、日本の開戦前後の国民感情からすれば濃厚に、あきらかに祖国防衛戦争であった。が、戦勝後、日本は当時の世界史的常態ともいうべき帝国主義の仲間に入り、日本はアジアの近隣の国々にとっておそるべき暴力装置になった。
とあるように、日露戦争はロシアのアジア侵略を未然に防ぐための、「祖国防衛戦争」であったとするのが司馬の意見である。ロシアが朝鮮半島を植民地とした場合、朝鮮半島から日本列島への南下の恐怖を考慮した結果が、この「祖国防衛」思想の誕生の源であったという。そして、日露戦争の戦勝後、日本が帝国主義の仲間になることで国家が変質し、「暗い昭和」になったのだという。
しかし日露戦争は世界史的に観察すれば、満州・朝鮮をめぐる日本とロシアの帝国主義的な勢力圏争奪戦であり、海を渡り他国を戦場とした戦争を「防衛戦争」とするのは違和感がある。
この日露戦争を題材にした司馬の代表作『坂の上の雲』のあとがきでは、
日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。
とあり、日露戦争以後、日本は変質したのだと強調している。
鈴木良の論文(「歴史意識と歴史小説のあいだ」『歴史評論』)では、「明るい明治」を描いた『坂の上の雲』の数々の問題点を指摘している。
司馬は「明治は明るい時代であった」ことを大前提とし、さらに当時の価値観と今日のそれがくいちがったときに、人々がどう考えていたかという方を重視するのだという。歴史を描こうとするものが当時の価値観はこうだといって、それを歴史観の根本に据えてしまうと、それによって現実が美化されてしまうかたむきが生じてしまうとも言っている。
例えば司馬は、日清戦争では日本兵による略奪事件は一件もなかったと作中で強調しているが、これは誤りである。旅順で大虐殺が行われた際、中国民間人の殺害とともに大規模な略奪が行われていた。
さらに日露戦争は、「祖国防衛戦争」であったか、「帝国主義間戦争」であったかの争点があるが、司馬は先に述べたとおり「祖国防衛戦争」論をとっている。『坂の上の雲』では日露戦争がおこったのはロシア側の横暴な政策に原因があったことになっている。ロシアは不凍港を求めて南下政策を続け、そこに日露戦争の原因を求める意見も古くからある。司馬によると、義和団事件に続くロシア軍の満州いすわりの中で、満州から朝鮮への侵略計画が進んだのだという。
朝鮮がロシア領になってしまうという恐怖がこの時代の日本にはあった。もし朝鮮がロシア領になってしまえば、寝ても覚めても横腹に匕首を突き付けられているようなものでした。この恐怖を理解できなければ、当時の日本の立場はわかりにくい。
つまり、朝鮮半島と日本列島の地理的関係こそが、日露戦争の原因だと言っているのである。
では、この「祖国防衛戦争」を誤りとする場合、日露開戦の原因は何に求められるのだろうか。この問題は日露戦争最大の争点となっており、非常に難しい。ただし、鈴木良によれば政府が開戦を早めるために世論をあおり、世論を開戦論に持っていったのだという。
司馬が小説を書くことになったきっかけは、ノモンハン事変や太平洋戦争での敗戦体験から出ていることは述べた。そこから生まれた司馬独自の日本史観は「司馬史観」とよばれている。この「司馬史観」の特徴は何といっても「明るい明治」像と「暗い昭和」像であるが、この対比的な、非常に簡略化された史観で日本近代史を考えて、果たして良いのだろうか。
司馬史観の特徴が大きく表れているのは「日露戦争以後」の日本の破滅的な捉え方であろう。
日露戦争はロシアの側では弁解の余地もない侵略戦争であったが、日本の開戦前後の国民感情からすれば濃厚に、あきらかに祖国防衛戦争であった。が、戦勝後、日本は当時の世界史的常態ともいうべき帝国主義の仲間に入り、日本はアジアの近隣の国々にとっておそるべき暴力装置になった。
とあるように、日露戦争はロシアのアジア侵略を未然に防ぐための、「祖国防衛戦争」であったとするのが司馬の意見である。ロシアが朝鮮半島を植民地とした場合、朝鮮半島から日本列島への南下の恐怖を考慮した結果が、この「祖国防衛」思想の誕生の源であったという。そして、日露戦争の戦勝後、日本が帝国主義の仲間になることで国家が変質し、「暗い昭和」になったのだという。
しかし日露戦争は世界史的に観察すれば、満州・朝鮮をめぐる日本とロシアの帝国主義的な勢力圏争奪戦であり、海を渡り他国を戦場とした戦争を「防衛戦争」とするのは違和感がある。
この日露戦争を題材にした司馬の代表作『坂の上の雲』のあとがきでは、
日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。
とあり、日露戦争以後、日本は変質したのだと強調している。
鈴木良の論文(「歴史意識と歴史小説のあいだ」『歴史評論』)では、「明るい明治」を描いた『坂の上の雲』の数々の問題点を指摘している。
司馬は「明治は明るい時代であった」ことを大前提とし、さらに当時の価値観と今日のそれがくいちがったときに、人々がどう考えていたかという方を重視するのだという。歴史を描こうとするものが当時の価値観はこうだといって、それを歴史観の根本に据えてしまうと、それによって現実が美化されてしまうかたむきが生じてしまうとも言っている。
例えば司馬は、日清戦争では日本兵による略奪事件は一件もなかったと作中で強調しているが、これは誤りである。旅順で大虐殺が行われた際、中国民間人の殺害とともに大規模な略奪が行われていた。
さらに日露戦争は、「祖国防衛戦争」であったか、「帝国主義間戦争」であったかの争点があるが、司馬は先に述べたとおり「祖国防衛戦争」論をとっている。『坂の上の雲』では日露戦争がおこったのはロシア側の横暴な政策に原因があったことになっている。ロシアは不凍港を求めて南下政策を続け、そこに日露戦争の原因を求める意見も古くからある。司馬によると、義和団事件に続くロシア軍の満州いすわりの中で、満州から朝鮮への侵略計画が進んだのだという。
朝鮮がロシア領になってしまうという恐怖がこの時代の日本にはあった。もし朝鮮がロシア領になってしまえば、寝ても覚めても横腹に匕首を突き付けられているようなものでした。この恐怖を理解できなければ、当時の日本の立場はわかりにくい。
つまり、朝鮮半島と日本列島の地理的関係こそが、日露戦争の原因だと言っているのである。
では、この「祖国防衛戦争」を誤りとする場合、日露開戦の原因は何に求められるのだろうか。この問題は日露戦争最大の争点となっており、非常に難しい。ただし、鈴木良によれば政府が開戦を早めるために世論をあおり、世論を開戦論に持っていったのだという。
これは メッセージ 85784 (fumufumun483 さん)への返信です.