日本の戦争は悪だったのか?
投稿者: t2daiisuki48 投稿日時: 2003/09/07 23:29 投稿番号: [85705 / 232612]
田原・筑紫などの昭和一桁生まれは、戦前教育と戦後教育のギャップで、混乱しています。また、彼らは、内地にいて、戦ったこともなければ、戦前の政治の現場にいた訳でもありません。いうなれば、占領政策の洗脳が一番上手くいった世代でしょう。従って、彼らの戦争観は中立ではないと考えます。以下の文章が正統と私は感じます
「汚辱の近現代史」藤岡正勝 徳間書店
十九世紀末、ロシアは極東に着々と勢力を伸ばした。おくれてきた帝国主義として、その膨張政策は露骨であった。一九〇〇年の義和団の乱のあと、ロシアが満州に居座ったことが日露戦争の直接の起因となった。満州と朝鮮は陸続きであり、満州にロシアの勢力が根を下ろせば、いずれ朝鮮半島も手中におさめる。そうなれば、島国日本は自国を有効に防衛する手段がないのである。
こういう情勢認識は、当時は世界の文明国の庶民レベルにいたるまでの常識であったらしい。
「ロシアの極東における侵略行為は、アメリカの無学な労働者のあいだにまで常識になっていたし、かれらは「シナと朝鮮のつぎは日本がとられる』というように、その情勢を理解していた」と司馬は書いている。
だから、日露戦争は日本にとって自衛の戦いであった。「祖国防衛戦争」であった。こういう戦争の性格が、第二次世界大戦後の日本人にはわかりにくくなった。
(P56〜P57)
『産経新聞』に一九九六年の一月から「教科書が教えない歴史』というタイトルで連載することになり、われわれ自由主義史視研究会の仲間で手分けして書くことになりました。一回国に私は、「ペリーに知らされた白旗の意味」を書きました。一八五三年にペリーが来航した時、彼は二本の白旗と一通の手紙を幕府の役人に手渡しました。その手紙は次のような文面でした。
「日本が鎖国の国法をたてに通商を認めないのは、天の道理に背き、その罪は大きい。通商を開くことをあくまで承知しないならば、我々は武力によってその罪をただす。日本も国法をもって防戦するがよい。戦争になれば、こちらが勝つのは決まっている。降伏する時は、贈っておいた白旗を押し立てよ。そうしたらアメリカは砲撃を止め、和睦することにしよう」(松本健一「白旗伝説』新潮社、をもとに表現をかえた)
それまで、日本人は白旗は源氏の旗印と考えていたので、それが国際法で降伏を意味することは知りませんでした。
アメリカは友好的に開国・通商を求めてきたのではなく、はっきりと戦争をしに来たのだということです。ですから、アメリカの歴史の教科書には、「日本は二度、アメリカに降伏した」と記述してあります。一九四五年の降伏は誰にでもわかるのですが、一八五三年、正確には翌一八五四年の降伏は、現代の日本人は誰も知りません。「一度降伏したって、一体何のこと?」ということになってしまうのです。
(P126〜137)
「汚辱の近現代史」藤岡正勝 徳間書店
十九世紀末、ロシアは極東に着々と勢力を伸ばした。おくれてきた帝国主義として、その膨張政策は露骨であった。一九〇〇年の義和団の乱のあと、ロシアが満州に居座ったことが日露戦争の直接の起因となった。満州と朝鮮は陸続きであり、満州にロシアの勢力が根を下ろせば、いずれ朝鮮半島も手中におさめる。そうなれば、島国日本は自国を有効に防衛する手段がないのである。
こういう情勢認識は、当時は世界の文明国の庶民レベルにいたるまでの常識であったらしい。
「ロシアの極東における侵略行為は、アメリカの無学な労働者のあいだにまで常識になっていたし、かれらは「シナと朝鮮のつぎは日本がとられる』というように、その情勢を理解していた」と司馬は書いている。
だから、日露戦争は日本にとって自衛の戦いであった。「祖国防衛戦争」であった。こういう戦争の性格が、第二次世界大戦後の日本人にはわかりにくくなった。
(P56〜P57)
『産経新聞』に一九九六年の一月から「教科書が教えない歴史』というタイトルで連載することになり、われわれ自由主義史視研究会の仲間で手分けして書くことになりました。一回国に私は、「ペリーに知らされた白旗の意味」を書きました。一八五三年にペリーが来航した時、彼は二本の白旗と一通の手紙を幕府の役人に手渡しました。その手紙は次のような文面でした。
「日本が鎖国の国法をたてに通商を認めないのは、天の道理に背き、その罪は大きい。通商を開くことをあくまで承知しないならば、我々は武力によってその罪をただす。日本も国法をもって防戦するがよい。戦争になれば、こちらが勝つのは決まっている。降伏する時は、贈っておいた白旗を押し立てよ。そうしたらアメリカは砲撃を止め、和睦することにしよう」(松本健一「白旗伝説』新潮社、をもとに表現をかえた)
それまで、日本人は白旗は源氏の旗印と考えていたので、それが国際法で降伏を意味することは知りませんでした。
アメリカは友好的に開国・通商を求めてきたのではなく、はっきりと戦争をしに来たのだということです。ですから、アメリカの歴史の教科書には、「日本は二度、アメリカに降伏した」と記述してあります。一九四五年の降伏は誰にでもわかるのですが、一八五三年、正確には翌一八五四年の降伏は、現代の日本人は誰も知りません。「一度降伏したって、一体何のこと?」ということになってしまうのです。
(P126〜137)
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.