どんどん検証しまっせ!!豊かな李氏朝鮮
投稿者: usotuken21 投稿日時: 2003/09/06 15:30 投稿番号: [85449 / 232612]
李朝時代の劣悪な道路・交通状況
「朝鮮紀行」
イザベラ・バード
1897年
(時岡敬子訳
1998年
講談社学術文庫)
道はとにかく悪い。人工の道は少なく、あっても夏には土ぼこりが厚くて冬にはぬかるみ、ならしてない場合は、でこぼこの地面と突きでた岩の上をわだちが通っている。たいがいの場合、道といってもけものや人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路にすぎない。橋のかかっていない川も多く、橋の大半は通行部分が木の小枝と芝土だけでできており、7月はじめの雨で流されてしまう。そして10月なかばになるまで修復されない。地方によっては、川にさしかかったら浅瀬を渡るか渡し舟に乗るかしなければならず、これには必ず危険と遅れがともなう。首都に中心をおく《六大道路》ですら、橋はふつう渡るまえにまず馬や人間の重量に耐えられるかどうかを馬夫が確かめるほど、もろい状態であることが多い。山間部では、道とはおおかたが渓流の川床に丸石をばらまいたもの以外のなにものでもなく、最良の場合でも、冬場のソウル・済物浦(ソウルの外港)間のように、ぬかるみの深さが1フィートから3フィートにおよぶ湿地帯がある。こういったいまわしい乗馬道は、わたしも広くたどったが、朝鮮の発展の大きな障害のひとつである。
(中略)
(朝鮮東部の都市元山へ向かう幹線道路を行く)道路が広くなると、その中央には固まった泥の山がつづき、両側には同じく固まった泥がうねになっている。道路が狭まれば、これはたんなる田んぼの畦道にすぎない。橋はとりわけ劣悪である。あまりに老朽化しているので、馬夫たちが馬を歩かせたがらず、どの川もじかに渡ったほどである。それでもこの道路は、わたしの踏破した三ヵ所がすべて悪路だったにもかかわらず、東海岸と西海岸からの貨物が行き来する第一級の幹線道路なのである。
「朝鮮の政治社会」
グレゴリー・ヘンダーソン
鈴木沙雄・大塚喬重訳
1973年
サイマル出版会
英字新聞「コリアン・リポジトリィ」(1892年4月)は平壌と大邱にはそれぞれ7万5千人が住んでいた(ソウルに次ぐ人口)ことを報じているが、ちょうどこの時期に大邱(テグ、慶尚北道中心都市)に住みついた宣教師アダムス一家は、彼らの輸入した自転車が、悪路のため思うように乗りまわせなかったことを記している。
これは メッセージ 85448 (yougaku_listener さん)への返信です.
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