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日本の台湾統治4

投稿者: usotuken21 投稿日時: 2003/09/05 23:37 投稿番号: [85313 / 232612]
植民地経済の発展

  経済発展の基礎確立

  日本植民地統治の初期、総督府は台湾を日本の経済発展に組み込むため、積極的に各種の経済改革と建設を促進した。

一、土地制度の改革: 耕地面積を調査し、新たに土地所有権を確定し、耕作地税収を大幅に増加させた。

  二、貨幣と度量衡制度の統一: 日本国内の制度に合わせ、新たな貨幣の発行と新たな度量衡機器の製造を統一した。

三、交通網の整備: 各地にくまなく郵便局を開設し、郵便・電報・電話の業務を執りおこなった。

自動車の通行できる道路を修築し、基隆から高雄にいたる縦貫鉄道を建設し、台湾の各地域間の交通運輸網を改善した。基隆港と高雄港を改築して近代的設備を整えた港に整備し、万トン級船舶の出入港を可能にした。このほか部分的に媽宮城(現在の澎湖馬公)を取り壊し、馬公港を建設した。

四、人口調査: 一九〇五年、台湾史上初の人口調査を実施し、全台の総人口は約三百十万人であった。一九一五年より五年ごとに定期調査をおこない、台湾の人口状況を確実に掌握した。

  農 業 改 革

  日本植民地統治の当初、総督府は「農業は台湾、工業は日本」の政策を立て、台湾を米と砂糖の生産地とするため、農業改革を積極的に推進した。

一、各地に農業研究機関を開設し、新品種や新化学肥料を提供するとともに、耕作新技術の指導にあたった。

二、各地に農業組合を設立し、新種の普及と新技術の教育に責任を持ち、農業用借款の貸付業務をおこなった。

三、水利工事を興して耕地・潅漑面   積を大幅に拡大した。そのうち最も有名なのは八田与一の設計・建設した嘉南大◆(大水路)であり、その潅漑面積は十五万甲(約十五   万ヘクタール)に及んだ。

  米の増産と砂糖王国の樹立

  農業改革により、水田面積と二期作の耕地は不断に増加し、米の産出量は激増の勢いを示し、とくに一九二二年、蓬莱米栽培の成功は、台湾に米生産の画期的発展への時代をもたらした。総督府の強制的な推進の下に、蓬莱米は急速に全台湾に普及し、米の生産量は大幅に増加して大量に日本に移出された。

  台湾は砂糖の主要な生産地であり、このため総督府は台湾糖業の改革に尽力し、日本国内の需要に応じようとした。甘蔗栽培に改良が加えられてからは、単位面積の産出量は大幅に増加し、作付け面積もまた拡大していった。

  日本植民地統治からすぐ、総督府は製糖産業の近代化に尽力し、資金援助の実施、原料採取の地域指定、市場の保護といった三大措置をおこない、日本の新興製糖業資本家を支援し保護した。このため、日本の資本家は競って台湾に投資するようになった。製糖業は台湾を最も代表する産業となり、その生産量は絶えず増加し、最盛期には百五十万トン近くにも達し、台湾を世界的な砂糖王国の一つとなした。

  工業化への進展

  日本植民地統治時代、台湾経済は農業を中心とし、工業は長いあいだ農業に付随し農産品の加工が主たるものとなっていた。一九三〇年代より日本は華南や南洋を進出目標とした南進政策の必要性から、総督府は台湾の工業化政策を推進するようになり、軍需に関連する基礎的工業を発展させ、台湾を日本南進の補給基地となした。

  工業化の結果、農産品加工業の継続的発展のほか、化学・金属・機械工業など重化学工業が顕著に成長し、台湾を半農業半工業社会に転換させた。

【研究と討論】

一、日本植民地統治時代、米と砂糖   の生産量はともに増加したが、米と砂糖の生産数値を元に折れ線グラフを作成してみよう。

  ●米生産量(単位:一万ヘクトリットル)
   一九〇一年     五五〇
   一九一〇年     七六〇
   一九二〇年     八七〇
   一九三〇年   一、三三〇
   一九三八年   一、七七〇

  ●砂糖生産量(単位:一万トン)
   一九〇二年      七六
   一九一〇年     二一六
   一九二〇年     二六三
   一九三〇年     六三七
   一九三九年   一、二八二
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