<時論>美女応援団に麻酔された社会
投稿者: sitteirukedo 投稿日時: 2003/08/28 05:20 投稿番号: [84047 / 232612]
韓国には麻酔の効かない人もいる。
大邱(テグ)ユニバーシアード大会に北朝鮮応援団が大挙参加している。美女大学生300人からなる今回の応援団は、吹奏楽団まで同伴した。それらは、競技場に観衆を集めるのに大きな力を発揮している。北朝鮮応援団が出現する競技場はキップが売り切れになるが、それらのいない試合は寂しくてならない。
観衆は、試合よりは北朝鮮応援団が繰り広げる多彩なカードセクションと派手な踊りぶりに夢中になっている。こ惑的な姿態に惑わされた観衆らが、それらに近寄り「名前が何か?」「大変だね」と話しかける。歓迎が行き過ぎて、色目を送っている。
美女応援団の組織的な応援と夢中になっている観衆を見ている私の気持ちは、重く錯雑でならない。美女応援団の華麗なる姿態の上に、骨と皮ばかりになった北朝鮮同胞の顔が、無数にオーバーラップされるからだ。応援団長の指示によって、一糸乱れず整然と動くカードセクション、それらの踊りぶりから、ぞっとする寒気さえ感じられるからだ。それらが、人格と感性を持っている暖かい人間であるよりは、演技者の手によってのみ動く操り人形のように思えるからだ。
私は何故このように縁起でもない、憂うつな想像をするのだろうか。金正日(キム・ジョンイル)が、以前から芸術を政治的宣伝の道具として悪用してきたためである。ヒットラーもそうだったように、故・金日成元主席と金正日総書記は、芸術と音楽を、国民の士気を鼓舞させる手段として、徹底的に利用してきた。そのため、北朝鮮の音楽には悲しさと苦しさがない。これは、国民の煽動と士気高揚に逆行するからだ。取りあえず喜びと楽しさだけを歌わなければならない。
今回の応援団を、美ぼうの女子大生を主軸に結成した背景には、北朝鮮の政治、心理的な考慮が濃厚に敷かれてある。一言で、韓国男性を完全に虜にさせたいということだ。ぞっとするほど美しい美女大学生だけを選ぶものの、濃い化粧は避け、清純な姿に飾らせた。韓国側の加工の「資本主義的美しさ」に劇的に対応させたいとの意図である。純粋な韓国的美しさを韓国男性に深く印象付けようとする「狙い」なのだ。
美しさは、私たちにハロー効果(後光効果)をもたらす。美しい人を見ていると、彼女自身はもちろん彼女の国も、彼女の国民も美しく清純であるようにばかり思えてくる。北朝鮮の飢饉、恐るべき原子爆弾を、美女のこ惑的な姿態で伏せようという手口だ。分別のない観衆が、美女応援団を追いかけてあちこちへ駆け回る。この光景を見て、北朝鮮の指導者らは会心の微笑みを浮かべているだろう。
私が遺憾に思えてならないのは、北朝鮮応援団が吐きだす、ぞっとするスローガン、「思想、闘志、速度」に注目する観衆が、1人もいないということだ。
「勇気を出しなさい、われわれは信じている」という、それらのスローガンが、実は北朝鮮選手を励ますためのものというよりは、韓国大学総学生会連合(韓総連)所属の学生らを狙ったものだとすれば、これは行き過ぎた被害妄想なのだろうか?北朝鮮応援団は、韓国のレッドデビルズ(03年韓日W杯時の全国民からなる韓国応援団)のように、自生的かつ自発的な組織であるべきだった。そうした応援団を韓国側に派遣しなければならなかった。
北朝鮮の政治、経済の事情上、そのようにできなかったのならば、少なくとも各界各層の市民と老若男女からなる応援団を送るべきだった。それが正しい応援であり、真の応援団だ。一部の特殊階層、そして優れた容ぼうからなる美女応援団は、これ以上応援集団ではない。それらは、宣伝と扇動のための政治的な操り人形であるだけだ。
しかし、北朝鮮選手団には、かすかな憐憫(れんびん)の情を覚える。飢饉で苦しむ同胞を後ろに、華麗な服装をし、不自然に微笑んでみせなければならない彼女たち。心にもない政治スローガンを、声を高めて叫ばなければならない、可哀想なそれらの姿態から、私は訳のわからない憤怒を、耐え辛い涙を流しているのだ。
韓国同胞をぎゅっと抱きしめて、餓えている苦しい実像をぶちまけられない、それらの心の奥の悩みが感じられ、私の胸が痛んでくる。北朝鮮応援団が目で、肌ででも、自由と平等、そして真の民主主義を存分に感じ、大事に胸の中にしまって行ってほしい。短い1カ月の期間だが、自由国家の初々しい空気を、思いきり吸い込んだ後帰ってほしい。
韓国の若者達よ!それらのかなわぬ望みを慰める、暖かく真なる同胞の姿を見せてあげよう。美女の虜になる、見苦しい姿を見せるよりは、憐憫の情で、それらを暖かく見守るようにしてほしい。
李勳求(イ・フング、延世大教授・心理学)
大邱(テグ)ユニバーシアード大会に北朝鮮応援団が大挙参加している。美女大学生300人からなる今回の応援団は、吹奏楽団まで同伴した。それらは、競技場に観衆を集めるのに大きな力を発揮している。北朝鮮応援団が出現する競技場はキップが売り切れになるが、それらのいない試合は寂しくてならない。
観衆は、試合よりは北朝鮮応援団が繰り広げる多彩なカードセクションと派手な踊りぶりに夢中になっている。こ惑的な姿態に惑わされた観衆らが、それらに近寄り「名前が何か?」「大変だね」と話しかける。歓迎が行き過ぎて、色目を送っている。
美女応援団の組織的な応援と夢中になっている観衆を見ている私の気持ちは、重く錯雑でならない。美女応援団の華麗なる姿態の上に、骨と皮ばかりになった北朝鮮同胞の顔が、無数にオーバーラップされるからだ。応援団長の指示によって、一糸乱れず整然と動くカードセクション、それらの踊りぶりから、ぞっとする寒気さえ感じられるからだ。それらが、人格と感性を持っている暖かい人間であるよりは、演技者の手によってのみ動く操り人形のように思えるからだ。
私は何故このように縁起でもない、憂うつな想像をするのだろうか。金正日(キム・ジョンイル)が、以前から芸術を政治的宣伝の道具として悪用してきたためである。ヒットラーもそうだったように、故・金日成元主席と金正日総書記は、芸術と音楽を、国民の士気を鼓舞させる手段として、徹底的に利用してきた。そのため、北朝鮮の音楽には悲しさと苦しさがない。これは、国民の煽動と士気高揚に逆行するからだ。取りあえず喜びと楽しさだけを歌わなければならない。
今回の応援団を、美ぼうの女子大生を主軸に結成した背景には、北朝鮮の政治、心理的な考慮が濃厚に敷かれてある。一言で、韓国男性を完全に虜にさせたいということだ。ぞっとするほど美しい美女大学生だけを選ぶものの、濃い化粧は避け、清純な姿に飾らせた。韓国側の加工の「資本主義的美しさ」に劇的に対応させたいとの意図である。純粋な韓国的美しさを韓国男性に深く印象付けようとする「狙い」なのだ。
美しさは、私たちにハロー効果(後光効果)をもたらす。美しい人を見ていると、彼女自身はもちろん彼女の国も、彼女の国民も美しく清純であるようにばかり思えてくる。北朝鮮の飢饉、恐るべき原子爆弾を、美女のこ惑的な姿態で伏せようという手口だ。分別のない観衆が、美女応援団を追いかけてあちこちへ駆け回る。この光景を見て、北朝鮮の指導者らは会心の微笑みを浮かべているだろう。
私が遺憾に思えてならないのは、北朝鮮応援団が吐きだす、ぞっとするスローガン、「思想、闘志、速度」に注目する観衆が、1人もいないということだ。
「勇気を出しなさい、われわれは信じている」という、それらのスローガンが、実は北朝鮮選手を励ますためのものというよりは、韓国大学総学生会連合(韓総連)所属の学生らを狙ったものだとすれば、これは行き過ぎた被害妄想なのだろうか?北朝鮮応援団は、韓国のレッドデビルズ(03年韓日W杯時の全国民からなる韓国応援団)のように、自生的かつ自発的な組織であるべきだった。そうした応援団を韓国側に派遣しなければならなかった。
北朝鮮の政治、経済の事情上、そのようにできなかったのならば、少なくとも各界各層の市民と老若男女からなる応援団を送るべきだった。それが正しい応援であり、真の応援団だ。一部の特殊階層、そして優れた容ぼうからなる美女応援団は、これ以上応援集団ではない。それらは、宣伝と扇動のための政治的な操り人形であるだけだ。
しかし、北朝鮮選手団には、かすかな憐憫(れんびん)の情を覚える。飢饉で苦しむ同胞を後ろに、華麗な服装をし、不自然に微笑んでみせなければならない彼女たち。心にもない政治スローガンを、声を高めて叫ばなければならない、可哀想なそれらの姿態から、私は訳のわからない憤怒を、耐え辛い涙を流しているのだ。
韓国同胞をぎゅっと抱きしめて、餓えている苦しい実像をぶちまけられない、それらの心の奥の悩みが感じられ、私の胸が痛んでくる。北朝鮮応援団が目で、肌ででも、自由と平等、そして真の民主主義を存分に感じ、大事に胸の中にしまって行ってほしい。短い1カ月の期間だが、自由国家の初々しい空気を、思いきり吸い込んだ後帰ってほしい。
韓国の若者達よ!それらのかなわぬ望みを慰める、暖かく真なる同胞の姿を見せてあげよう。美女の虜になる、見苦しい姿を見せるよりは、憐憫の情で、それらを暖かく見守るようにしてほしい。
李勳求(イ・フング、延世大教授・心理学)
これは メッセージ 84040 (sitteirukedo さん)への返信です.