再掲=平島筆子-2
投稿者: sa_bo_ten_02 投稿日時: 2003/07/21 22:38 投稿番号: [79370 / 232612]
私が,豆満江を渡って国境を超える事にしたのは11月28日のことでした。
深夜12時頃,北朝鮮側の川岸に立ち,すでに薄氷の張っていた浅瀬にソロリと一歩を踏み出しました。月明かりだけが頼りですが,雑木林で遮られ、ほとんど真っ暗闇。そこを音を立てないように慎重に浅瀬を捜しながら進むのです。
たった20?程の川幅とはいえ,踏み誤ればあっという間に溺れてしまうほど深い川です。私は黒い木綿のズボンをぐっとたくし上げ,裸足で一歩また一歩,川底を確かめながら渡っていきました。
冷たかったか・・・と 聞かれても・・・うまく思い出せません・・・もの凄く緊張していたからです。国境警備員が目を光らせているからです,それを思ったら,冷たさより恐ろしさに身が竦みました・・・・〜
隠れ家は山中の小さな家。昼間は殆んど私1人だけで,近くで人の気配がすると咄嗟に床下に逃げ込みました。そこにはキムチを漬ける樽「甕・かめ」があって,気温 零下30度のなか・・・・私はその影にずっと隠れるのです。
12月28日になってようやく,今のアパートに移ることになりました。ここは以前より安全な場所です。
しかし・・・・この先どうやったら日本の土を踏めるようになるのか不安で仕方ありません。
いい方法が思い浮かばないまま無駄な日々と時間を送っている事が辛くてたまらない・・・・・
私も64歳,このまま病気で倒れ,日本に帰れないのじゃないのかと つい思ってしまうのです。
私は戸籍を日本に置いたまま北朝鮮に行ったから,法律上は今でも日本人のままです。
だから つい先日、外務大臣宛てに救出を依頼する「嘆願書」を書きました。正月明けには届くそうです。
今は それを待つしかありません。
今,私の一番の心配は,私が脱走したために北朝鮮に残された子供や孫が国から酷い目に遭わされる
のじゃないかと言う事です。
これには,北を出るときも頭が痛くなるぐらい悩みました。
そして・・・・・今も そのことを考えると胃痙攣「いけいれん」に見舞われるほどです。
しかし・・・・・日本は目の前です。もう引き返す事が出来ません・・・・
日本にいる親族は・・・・
姉の北朝鮮行きには,家族は猛反対でした。両親は”そんなところに行くな”と 泣いて説得しましたよ。其れでも家族の反対を振り切り,全てを捨てて勝手に北朝鮮行ってしまった人が・・・・今さら逃げ出してきたからと言って,・・・・
一体, 私たちに何をしろと言うんです・・・・冷たいようですが,もう関係ありません・・・・昨年の12月半ば、平島筆子さんの2人の姉のうち,都内在住の末妹(58)に取材を試みた。
命がけで”脱北”し、祖国への帰国を切望する。”日本人妻”を,日本の親族はどのような心境で迎え入れるのか・・・・・
姉への妹の思いは冷め切っているように見えた・・・・・北に渡ってから一度も連絡はありません。
うち自体,大変貧乏で,自分達が生きていくだけでやっとだった。父も母もとうの昔に亡くなりました・・・・・姉とは向こうに行ってしまった時点で縁は切れています。
然し,この話が事実でなかったことは,今回,本誌が掲載した平島筆子の手記から明らかな通りだ。
実際は,妹は北朝鮮にいる姉のことを常に気にかけていたのである。
代わりに妹の夫が答えた。妻はこの43年間に何度も,北朝鮮の筆子さん宛てに手紙を送っているし,品物やお金も八方手を尽くして,届けています・・・然し・・・その内の殆んどが彼女の手に届いていない筈。
義姉からも何度か手紙が届きましたが,その文面の中には,手紙を出したのに,返事がこない・・・・・と書かれていた事もありましたから。
彼女からの手紙は,古く汚れた便箋の表裏に小さな文字でびっしりと書き込まれていました・・・投函された日付から半年かかって到着した物もあった・・・おそらく向こうの手紙も,検閲のため半分もこちらに届いていない筈。
妻はそんな国にいる義姉のことをずっと心配し続け,心を痛めてきました。
【何とかならない物かと】朝鮮総連の本部に相談に行った事もあるんです。
義姉の”脱北”は突然,降って湧いたような話で・・・どうしたらいいものか・・・妻はパニックに陥っている。
私達には子供や孫もいて,やっとのことで築いた今のささやかな生活を壊されたくないと言う思いもある。
だから・・・義姉のことや今後,私たちを取り巻く環境をどう受け入れて好いか,悩んでいるのです。
勿論・・・血を分けた姉妹ですから,妻は筆子さんついて【生きていて欲しいし,日本に帰ってきたら会いたい】と言っています。こちらに余裕があれば,中国や韓
深夜12時頃,北朝鮮側の川岸に立ち,すでに薄氷の張っていた浅瀬にソロリと一歩を踏み出しました。月明かりだけが頼りですが,雑木林で遮られ、ほとんど真っ暗闇。そこを音を立てないように慎重に浅瀬を捜しながら進むのです。
たった20?程の川幅とはいえ,踏み誤ればあっという間に溺れてしまうほど深い川です。私は黒い木綿のズボンをぐっとたくし上げ,裸足で一歩また一歩,川底を確かめながら渡っていきました。
冷たかったか・・・と 聞かれても・・・うまく思い出せません・・・もの凄く緊張していたからです。国境警備員が目を光らせているからです,それを思ったら,冷たさより恐ろしさに身が竦みました・・・・〜
隠れ家は山中の小さな家。昼間は殆んど私1人だけで,近くで人の気配がすると咄嗟に床下に逃げ込みました。そこにはキムチを漬ける樽「甕・かめ」があって,気温 零下30度のなか・・・・私はその影にずっと隠れるのです。
12月28日になってようやく,今のアパートに移ることになりました。ここは以前より安全な場所です。
しかし・・・・この先どうやったら日本の土を踏めるようになるのか不安で仕方ありません。
いい方法が思い浮かばないまま無駄な日々と時間を送っている事が辛くてたまらない・・・・・
私も64歳,このまま病気で倒れ,日本に帰れないのじゃないのかと つい思ってしまうのです。
私は戸籍を日本に置いたまま北朝鮮に行ったから,法律上は今でも日本人のままです。
だから つい先日、外務大臣宛てに救出を依頼する「嘆願書」を書きました。正月明けには届くそうです。
今は それを待つしかありません。
今,私の一番の心配は,私が脱走したために北朝鮮に残された子供や孫が国から酷い目に遭わされる
のじゃないかと言う事です。
これには,北を出るときも頭が痛くなるぐらい悩みました。
そして・・・・・今も そのことを考えると胃痙攣「いけいれん」に見舞われるほどです。
しかし・・・・・日本は目の前です。もう引き返す事が出来ません・・・・
日本にいる親族は・・・・
姉の北朝鮮行きには,家族は猛反対でした。両親は”そんなところに行くな”と 泣いて説得しましたよ。其れでも家族の反対を振り切り,全てを捨てて勝手に北朝鮮行ってしまった人が・・・・今さら逃げ出してきたからと言って,・・・・
一体, 私たちに何をしろと言うんです・・・・冷たいようですが,もう関係ありません・・・・昨年の12月半ば、平島筆子さんの2人の姉のうち,都内在住の末妹(58)に取材を試みた。
命がけで”脱北”し、祖国への帰国を切望する。”日本人妻”を,日本の親族はどのような心境で迎え入れるのか・・・・・
姉への妹の思いは冷め切っているように見えた・・・・・北に渡ってから一度も連絡はありません。
うち自体,大変貧乏で,自分達が生きていくだけでやっとだった。父も母もとうの昔に亡くなりました・・・・・姉とは向こうに行ってしまった時点で縁は切れています。
然し,この話が事実でなかったことは,今回,本誌が掲載した平島筆子の手記から明らかな通りだ。
実際は,妹は北朝鮮にいる姉のことを常に気にかけていたのである。
代わりに妹の夫が答えた。妻はこの43年間に何度も,北朝鮮の筆子さん宛てに手紙を送っているし,品物やお金も八方手を尽くして,届けています・・・然し・・・その内の殆んどが彼女の手に届いていない筈。
義姉からも何度か手紙が届きましたが,その文面の中には,手紙を出したのに,返事がこない・・・・・と書かれていた事もありましたから。
彼女からの手紙は,古く汚れた便箋の表裏に小さな文字でびっしりと書き込まれていました・・・投函された日付から半年かかって到着した物もあった・・・おそらく向こうの手紙も,検閲のため半分もこちらに届いていない筈。
妻はそんな国にいる義姉のことをずっと心配し続け,心を痛めてきました。
【何とかならない物かと】朝鮮総連の本部に相談に行った事もあるんです。
義姉の”脱北”は突然,降って湧いたような話で・・・どうしたらいいものか・・・妻はパニックに陥っている。
私達には子供や孫もいて,やっとのことで築いた今のささやかな生活を壊されたくないと言う思いもある。
だから・・・義姉のことや今後,私たちを取り巻く環境をどう受け入れて好いか,悩んでいるのです。
勿論・・・血を分けた姉妹ですから,妻は筆子さんついて【生きていて欲しいし,日本に帰ってきたら会いたい】と言っています。こちらに余裕があれば,中国や韓
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