北朝鮮も同じ。マスコミ必見を貼り付け
投稿者: fumufumun483 投稿日時: 2003/07/09 22:18 投稿番号: [77483 / 232612]
http://www.korea-np.co.jp/special/s-korea/kcia980427.htm
3)民団を利用した工作
KCIAのコントロールのもとに、民団は対日マスコミ工作を最重要課題の一つとして推進した。「日韓問題シリーズ1…」によると、「日本マスコミ偏向報道是正」のための指針では、①民団は組織をあげて宣伝と接触を深めて、韓国が反共のとりでであり「臨戦体制下にあることを認識させる ②組織内に 「日本マスコミ対策委員会」を設置し予算にマスコミ対策費を組む ③その中、モニターをおいて、その都度の記事に対し「抗議および賛成を即時に判断」し、行動に移す。行動には「親韓報道=好ましい報道に対する賞賛の電話」や「反韓=偏向報道に対する組織的行動」「不買運動」などがある ④統一日報や民団機関紙、その他の宣伝紙・誌を親韓団体を活用して普及させる ⑤「韓国の実情を認識」させるために日本人記者や教員、学生などの訪韓勧誘を積極的に行う――などと列記され、これに沿って、懐柔・脅迫工作が展開されたと見てよい。
4)ソウル特派員の利用
金大中拉致事件(73年)などで、日本のマスコミの間で韓国に対する批判が強まる中、李秉禧(政務担当無任所長官)が対日マスコミ工作のために目をつけたのが、新聞5社、通信2社、テレビ4社のソウル特派員で、彼らを利用することであった。
―「これがKCIAだ」によると、当時、読売新聞は「金大中事件はKCIAの仕業」と大きく報道したため、ソウル特派員が追放され、支局も閉鎖されていた。そこで李はAのT特派員を秘かに工作し、東京でA紙の首脳と会談する段取りを依頼。T特派員はその要請を受け入れ、極秘のうちに東京に飛んだ。T記者の帰国は社内でも秘密にされた。
T特派員は社の首脳陣に「韓国」側の意向を説明、会談に応ずるよう進言した。その結果であるかどうかは判明しないが、東京のある料亭で李とA紙首脳陣との会談が行われた。
席上、李がA紙首脳陣に要請したことは、日本マスコミの「報道変更是正問題」である。彼は、日本の新聞がなぜ「韓国の悪口ばかり書き、北朝鮮の悪口を書かないのか、なぜ朴政権だけを悪者にするのか」と不平をもらし、「韓国の悪口を書くなら北朝鮮の悪口も書いてこそ、新聞の公平さが保持される」と主張し、「北朝鮮の悪口を書かないなら韓国の悪口も書かないでほしい、それが公平というものだ」とまくしたてた。
李とA紙首脳会談の話は、その2、3日後にKCIA要員により、ソウルの各特派員に耳打ちされた。そして彼らは甘言と脅迫をもってA紙に右へ習えするよう働きかけた。M紙のF特派員は東京での社首脳との会談の根回しのために帰国し、やがてほとんどの社の首脳が東京で李との会談の場を持つことになったという。これらの会談で話し合われたのはA紙首脳と話し合われたのとほぼ同じ内容であった。
5)進歩派知識人たちへの工作
―70年代半ば頃から朴政権は「世界」や朝日新聞を含め日本のマスコミ全体に対し、脅迫から懐柔政策に転向。かなり大掛かりな工作がこの頃から始まったとされる。それについて「金大中政権の浮上と新しい南北関係」(鄭敬謨、「粒」第27号・98年2月21日)に詳しい記述があるので引用する。この文章によると、鄭氏は朝日新聞74年1月30日付夕刊に掲載された「韓国の改憲運動と緊急措置」と題した文章で、「維新憲法」の撤廃を求める張俊河氏の運動 (改憲請願百万人運動)を抑えるために、朴正煕が発布した大統領緊急措置 (第1号)を糾弾した。これについて、2月4日、韓国文化公報省は、名指しで鄭氏を「親共分子」と非難し、その記事を掲載した朝日新聞に対しては、韓国への輸入禁止措置を取らざるを得ないと発表し、実行した。以下は「金大中政権…」の抜粋である。
Q 『世界』とか「朝日新聞」とかの日本の強力なマスコミをバックにしているとしか見えない鄭敬謨の存在にKCIAが驚愕し鄭敬謨つぶしの工作にとりかかったとしてもおかしくないですね。
鄭 朝日新聞の輸入を止めてみたら、逆に困ったのは朴政権だったらしく、禁輸措置をすぐ解除されたのですが、それと同時に単に鄭敬謨の動きを封じ込めるにとどまらず、日本のマスコミ全体を自分の方になびかせるという方向に政策そのものを変えたように思われるのです。かなり大仕掛けの工作があの直後から始まったのは、今から振り返ってみるとはっきりしていますね。この工作にはその一環として鄭敬謨に対する人格的中傷をもって、例えば安江氏(注・岩波書店前社長の安江良介氏、98年1月死去)のような日本の知識人との仲を裂くと同時に、安江氏自身を含めて安江氏周辺の著名人たちを自分の
3)民団を利用した工作
KCIAのコントロールのもとに、民団は対日マスコミ工作を最重要課題の一つとして推進した。「日韓問題シリーズ1…」によると、「日本マスコミ偏向報道是正」のための指針では、①民団は組織をあげて宣伝と接触を深めて、韓国が反共のとりでであり「臨戦体制下にあることを認識させる ②組織内に 「日本マスコミ対策委員会」を設置し予算にマスコミ対策費を組む ③その中、モニターをおいて、その都度の記事に対し「抗議および賛成を即時に判断」し、行動に移す。行動には「親韓報道=好ましい報道に対する賞賛の電話」や「反韓=偏向報道に対する組織的行動」「不買運動」などがある ④統一日報や民団機関紙、その他の宣伝紙・誌を親韓団体を活用して普及させる ⑤「韓国の実情を認識」させるために日本人記者や教員、学生などの訪韓勧誘を積極的に行う――などと列記され、これに沿って、懐柔・脅迫工作が展開されたと見てよい。
4)ソウル特派員の利用
金大中拉致事件(73年)などで、日本のマスコミの間で韓国に対する批判が強まる中、李秉禧(政務担当無任所長官)が対日マスコミ工作のために目をつけたのが、新聞5社、通信2社、テレビ4社のソウル特派員で、彼らを利用することであった。
―「これがKCIAだ」によると、当時、読売新聞は「金大中事件はKCIAの仕業」と大きく報道したため、ソウル特派員が追放され、支局も閉鎖されていた。そこで李はAのT特派員を秘かに工作し、東京でA紙の首脳と会談する段取りを依頼。T特派員はその要請を受け入れ、極秘のうちに東京に飛んだ。T記者の帰国は社内でも秘密にされた。
T特派員は社の首脳陣に「韓国」側の意向を説明、会談に応ずるよう進言した。その結果であるかどうかは判明しないが、東京のある料亭で李とA紙首脳陣との会談が行われた。
席上、李がA紙首脳陣に要請したことは、日本マスコミの「報道変更是正問題」である。彼は、日本の新聞がなぜ「韓国の悪口ばかり書き、北朝鮮の悪口を書かないのか、なぜ朴政権だけを悪者にするのか」と不平をもらし、「韓国の悪口を書くなら北朝鮮の悪口も書いてこそ、新聞の公平さが保持される」と主張し、「北朝鮮の悪口を書かないなら韓国の悪口も書かないでほしい、それが公平というものだ」とまくしたてた。
李とA紙首脳会談の話は、その2、3日後にKCIA要員により、ソウルの各特派員に耳打ちされた。そして彼らは甘言と脅迫をもってA紙に右へ習えするよう働きかけた。M紙のF特派員は東京での社首脳との会談の根回しのために帰国し、やがてほとんどの社の首脳が東京で李との会談の場を持つことになったという。これらの会談で話し合われたのはA紙首脳と話し合われたのとほぼ同じ内容であった。
5)進歩派知識人たちへの工作
―70年代半ば頃から朴政権は「世界」や朝日新聞を含め日本のマスコミ全体に対し、脅迫から懐柔政策に転向。かなり大掛かりな工作がこの頃から始まったとされる。それについて「金大中政権の浮上と新しい南北関係」(鄭敬謨、「粒」第27号・98年2月21日)に詳しい記述があるので引用する。この文章によると、鄭氏は朝日新聞74年1月30日付夕刊に掲載された「韓国の改憲運動と緊急措置」と題した文章で、「維新憲法」の撤廃を求める張俊河氏の運動 (改憲請願百万人運動)を抑えるために、朴正煕が発布した大統領緊急措置 (第1号)を糾弾した。これについて、2月4日、韓国文化公報省は、名指しで鄭氏を「親共分子」と非難し、その記事を掲載した朝日新聞に対しては、韓国への輸入禁止措置を取らざるを得ないと発表し、実行した。以下は「金大中政権…」の抜粋である。
Q 『世界』とか「朝日新聞」とかの日本の強力なマスコミをバックにしているとしか見えない鄭敬謨の存在にKCIAが驚愕し鄭敬謨つぶしの工作にとりかかったとしてもおかしくないですね。
鄭 朝日新聞の輸入を止めてみたら、逆に困ったのは朴政権だったらしく、禁輸措置をすぐ解除されたのですが、それと同時に単に鄭敬謨の動きを封じ込めるにとどまらず、日本のマスコミ全体を自分の方になびかせるという方向に政策そのものを変えたように思われるのです。かなり大仕掛けの工作があの直後から始まったのは、今から振り返ってみるとはっきりしていますね。この工作にはその一環として鄭敬謨に対する人格的中傷をもって、例えば安江氏(注・岩波書店前社長の安江良介氏、98年1月死去)のような日本の知識人との仲を裂くと同時に、安江氏自身を含めて安江氏周辺の著名人たちを自分の
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