愛国心を平和に置き換えてみましょう
投稿者: chootabang001 投稿日時: 2003/07/08 23:16 投稿番号: [77396 / 232612]
レスするのは初めてでしょうか?
一見、一般論としては正しそうに見えますが、暴論がすぎますね。
「愛国心」を「平和」に「国益」を「人権」に置き換えてみましょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
どうなんでしょう。平和、人権。美しい言葉…。
しかし、この言葉を発する人は警戒の目で見ない訳にはいかない。
誰のための平和か、誰のための人権か。非常に問題の場合が多い。
父祖の地を愛する。そこで培われた共同体を大切に守る。
それと、平和、人権を煽る人の意図は同じとは限らない。
平和、人権の意味には、「俺のために、俺たち、数人のために、皆、犠牲になれ」と同じ意味が隠されている場合が少なくない。人を利用するとき使われもする。本当の意図が隠されている場合がある…。美しい言葉に抗うのは大変だ。騙されている人の目を覚ますのはもっと大変…。
この言葉で、国家の犠牲になった個人は非常に多い。本当に、己の民族を、共同体を愛し、守るために働いている人が平和などという言葉を口にするのかな。そんな言葉を口にしない。もっと、個人、人間の尊厳を軸に据えた発言になる筈…。平和などという言葉を口にする必要がない。
誰のための平和か。それを突き詰めて見ない限り、簡単に頷くことのできないカッコつきの言葉ですね。
生きてきた、生きている共同体を愛する、大事にする。守って行く。それと平和とは同質のものとは違いますから。
平和を語る前提として、国家とは何か、そのことをとことん議論し、理解しないと危ないですね。平和が必ずしも、悪いとは決めつけませんけど…。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
最後の方がちょっと意味が苦しくなりましたね。でも、大半が通じてしまいます。
moriya99氏は、国家が「平和」「人権」を教育することには反対ですか?
これは メッセージ 77358 (moriya99 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y_1/77396.html