歴史観が変わりつつあるのか、中国
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2003/06/25 22:45 投稿番号: [75778 / 232612]
6月22日の産経ニュースの中から、探していたのですが、ちょっと見つかりませんでした。
袁世凱、豪邸跡地が公衆便所から「格上げ」歴史観が変わりつつあるのか、中国
たとえば毛沢東の生誕地は、ディズニーランドならぬ毛沢東ランド、隣村の劉少奇記念館のほうが立派だとか。各地にある魯迅記念館には日本留学の記載がない事実とか。南京に反日感情がないことなど。
6月22日付けの「産経新聞」を読んで妙に納得した。
伊藤正・北京支局長の報道に依れば、「清朝末期以降の政治的変革期を描いた中国国営中央テレビ(CCTV)の連続ドラマ「走向共和」(共和に向かう)が、これまでの歴史人物解釈を見直したことで波紋を広げている」という。この「走向共和」連続ドラマは日清戦争(一八九四年勃発)前夜から辛亥革命(一九一一年)直後までを描く歴史ドラマだ
意外な歴史観の変化を伊藤氏は指摘する。
第一に凶暴で無能イメージしかなかった西太后を「女性政治家」と評価した、初めてのドラマとなった。西太后は因習的な科挙制度を廃止したり変革者としての一面をドラマが描いたという。(もしそうであるとすれば、次の解釈変更は満州建国の理想?彼等はいつまで偽満州国とか偽皇居とか言い募るつもりなのだろう?)
第二に袁世凱と李鴻章への再評価。
北洋軍閥を率いた袁世凱は「革命の果実を横取りした国賊」というのが共産党の歴史教育。代わりに張作霖・学良親子は記念館を建てて第四夫人(側室)の屋敷跡まで公開している。
日本に台湾や遼東半島を割譲する下関条約を締結した李鴻章は、英雄ではなく、巧妙な外交官でもなく、「日本や列強に屈し、中国を半植民地化した「売国奴」」と共産党治世下の教科書は教えてきた」(産経)
ところがテレビドラマは、袁世凱も李鴻章も当時の列強と妥協しながらも中国の近代的軍の創出、近代的工業建設に努力した老獪さの側面を描き出しているという。
第三に孫文への神懸かり的伝説を希釈し、「革命への情熱に走る気ままな人物に描かれ、西洋に学ぶ洋務運動を推進、後世に影響を与えた思想家の康有為や梁啓超は、同じ洋務派の李鴻章とは対照的に、幼稚さを印象づけ」た内容だと言う(同産経・伊藤支局長)
さもありなん。
袁世凱の天津に残る豪邸は、意図的なのか、難民の長屋然として使われ、玄関は公衆便所。拙著前掲書にも、そのことを詳しく書いた。廬山にある蒋介石別荘は玄関に「蒋介石専用便所跡」なる建物がある。
各地に歴史記念館があるが、国民党の戦いも日本の扱いも不当で「共産党史観」は、要するに抗日戦争の主体は昔から共産党だった、とするでっち上げ。客観性科学性を無視し、一方的に歪曲した「勝てば官軍史観」に基づく改竄史である。
孫文はたぶんにペテン師的要素が強い、はったり屋で、だからこそ頭山満やら内田良平やら、どちらかといえば浪漫派と付き合った。孫文の著作や演説を正確によむと大アジア主義など大川周明や福沢諭吉の思想的影響がある。
孫文も魯迅も、いまの共産党に担がれた歴史展示は地下で不満であろう。
しかし歴史に関して、独特の貶めかたは中国四千年の固執的、伝来的な性質で、「水に落ちた犬は打て」とするのだ。政敵は徹底的に罵倒し歴史から抹殺するのが、中国歴史の習わしであるからには日本のように相手を褒める習慣はない。
それを否定するかの動きがあるとすれば、何かが変わる予兆なのか?
宮崎正弘の国際ニュース・早読みより
袁世凱、豪邸跡地が公衆便所から「格上げ」歴史観が変わりつつあるのか、中国
たとえば毛沢東の生誕地は、ディズニーランドならぬ毛沢東ランド、隣村の劉少奇記念館のほうが立派だとか。各地にある魯迅記念館には日本留学の記載がない事実とか。南京に反日感情がないことなど。
6月22日付けの「産経新聞」を読んで妙に納得した。
伊藤正・北京支局長の報道に依れば、「清朝末期以降の政治的変革期を描いた中国国営中央テレビ(CCTV)の連続ドラマ「走向共和」(共和に向かう)が、これまでの歴史人物解釈を見直したことで波紋を広げている」という。この「走向共和」連続ドラマは日清戦争(一八九四年勃発)前夜から辛亥革命(一九一一年)直後までを描く歴史ドラマだ
意外な歴史観の変化を伊藤氏は指摘する。
第一に凶暴で無能イメージしかなかった西太后を「女性政治家」と評価した、初めてのドラマとなった。西太后は因習的な科挙制度を廃止したり変革者としての一面をドラマが描いたという。(もしそうであるとすれば、次の解釈変更は満州建国の理想?彼等はいつまで偽満州国とか偽皇居とか言い募るつもりなのだろう?)
第二に袁世凱と李鴻章への再評価。
北洋軍閥を率いた袁世凱は「革命の果実を横取りした国賊」というのが共産党の歴史教育。代わりに張作霖・学良親子は記念館を建てて第四夫人(側室)の屋敷跡まで公開している。
日本に台湾や遼東半島を割譲する下関条約を締結した李鴻章は、英雄ではなく、巧妙な外交官でもなく、「日本や列強に屈し、中国を半植民地化した「売国奴」」と共産党治世下の教科書は教えてきた」(産経)
ところがテレビドラマは、袁世凱も李鴻章も当時の列強と妥協しながらも中国の近代的軍の創出、近代的工業建設に努力した老獪さの側面を描き出しているという。
第三に孫文への神懸かり的伝説を希釈し、「革命への情熱に走る気ままな人物に描かれ、西洋に学ぶ洋務運動を推進、後世に影響を与えた思想家の康有為や梁啓超は、同じ洋務派の李鴻章とは対照的に、幼稚さを印象づけ」た内容だと言う(同産経・伊藤支局長)
さもありなん。
袁世凱の天津に残る豪邸は、意図的なのか、難民の長屋然として使われ、玄関は公衆便所。拙著前掲書にも、そのことを詳しく書いた。廬山にある蒋介石別荘は玄関に「蒋介石専用便所跡」なる建物がある。
各地に歴史記念館があるが、国民党の戦いも日本の扱いも不当で「共産党史観」は、要するに抗日戦争の主体は昔から共産党だった、とするでっち上げ。客観性科学性を無視し、一方的に歪曲した「勝てば官軍史観」に基づく改竄史である。
孫文はたぶんにペテン師的要素が強い、はったり屋で、だからこそ頭山満やら内田良平やら、どちらかといえば浪漫派と付き合った。孫文の著作や演説を正確によむと大アジア主義など大川周明や福沢諭吉の思想的影響がある。
孫文も魯迅も、いまの共産党に担がれた歴史展示は地下で不満であろう。
しかし歴史に関して、独特の貶めかたは中国四千年の固執的、伝来的な性質で、「水に落ちた犬は打て」とするのだ。政敵は徹底的に罵倒し歴史から抹殺するのが、中国歴史の習わしであるからには日本のように相手を褒める習慣はない。
それを否定するかの動きがあるとすれば、何かが変わる予兆なのか?
宮崎正弘の国際ニュース・早読みより
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.