おせっかいとは思うクマが
投稿者: conyoyc 投稿日時: 2003/06/11 00:20 投稿番号: [73500 / 232612]
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「日本と韓国」 八木信雄 昭和53年 日韓文化出版社
(著者の八木信雄氏は朝鮮総督府の官吏で、終戦時には全羅南道知事であった。)
Y
これは、終戦時まて韓国人の通学する国民学校の校長をしていた韓国出身の吉野鎮雄氏から聞いた話なんだが、道(どう・県)によって多少の相違はあっただろうが、韓国人校長の場合はほとんど朝鮮語の授業を行わず、逆に日本人校長の場合はそのほとんどが週二時間宛教えていたというんだな。当時の韓国には六年制の国民学校のほかに四年制の国民学校もあり、六年制学校の校長十名か十一名の中一名、四年制学校の校長七、八名の中一名位の割合が韓国人校長だったから、朝鮮語を教えなかった国民学校は教えた学校の一割前後にしかならなかっただろうとも言っていたよ。
K
韓国人の校長こそ朝鮮語の授業をやりそうなものなのに、どうしてやらなかったんだろう。
Y
僕もそれが不思議なので、吉野氏に聞いたところが、「韓国人の教員で校長に選ばれるのには、よほど日本人の上司の点数がよくないと駄目なわけで、朝鮮語は教えずに日本語の教育に熱を入れることが、また、非常な点数稼ぎになったのだ」という返辞だったよ。
K
それは、正に〃内鮮一体悲喜劇〃とも称すべきものだったね。それはそれとして、大部分の学校で朝鮮語の授業が行われていたというのに、どうして、学校では一切教えなかったなどという話になって伝わったんだろう。
Y
それは、まず第一に、教育令の改正で朝鮮語を必須科目から外して附設科目、随意科目に大格下げしてしまったこと、そして幾分ながらその授業を廃止した学校があったことがそういう印象を与えたこと。第二に、総督府が「日本精神の理解と内鮮一体の信念の体得には、国語即ち日本語教育に特に力を入れる必要がある」として、その徹底方を指示した関係で、一年生を教育する場合は致し方ないとしても、その他の場合は韓国語でなく専ら日本語で教育するようになったこと。それに、生徒児童が校内で韓国語を使用することを禁じたりしたことなどが、そういう誤解を生むに至った原因じゃないかと思うよ。
K
韓国人にしてみれば、韓国語は、自分たちが祖先以来継承し、守り続けてきた民族の生命なのだから、これを軽々しく取り扱われたのではとても我慢できなかったろうし、それで話に尾鰭(おひれ)がついたり、針小棒大にもなったんだろうね。その辺の事情はよく分るような気がするよ。
Y
南総督の掲げた〃内鮮一体〃という政策には、「韓国人も日本人と全く同じ日本国民てあるという心からの誇りを持たせる」という目的も含んでいたのだが、それは高次元の一視同仁政策によって初めてその可能性が考えられることてあり、日本式創氏をさせたり、韓国語を軽視して日本語使用のみを励行したりといった次元の低いやり方は、逆効果を招くことにはなっても、決していい効果は生まないわけだよ。その意味においては、父兄や土地の住民の声なき声に耳を傾けて、朝鮮語の科目を附設し、その授業を続行した日本人校長たちのあり方の方が、むしろ一視同仁の真の精神に添ったことになったと思うよ。
(中略)
それで思い出したのだが、僕がまだ警視で慶尚北道警察部の警務課長当時(昭和五年五月から六年二月まで)のこと、大野謙一(後、咸鏡北道知事・総督府学務局長、故人)という警察部長がいて、僕に慶尚北道警察部独自の〃朝鮮語奨励規程〃と、その実施要綱を、何時何時(いついつ)までに作れというんだ。僕はたまたま風邪で熱を出して寝込んでしまったので、頭の中で草案を作りながら口述して家内に筆記させ、どうやら間に合せたことがあるんだよ。じつは4、5年前のことなんだが、ある会合の席上で、日本の教育者の一行が、韓国の教育者との交流のために彼地を訪問した際、「日本の統治時代は、韓国語を使うと警察に引っ張って行かれたものだ」という説明を受けたと聞かされて、全く憮然たる気持ちにならざるを得なかったよ。
K
それは、当時の警察に対して無実の罪を着せることになるわけだね。
Y
それは、南総督が内鮮一体の旗印の下で国語(日本語)の常用を奨励し、国語を常用する家庭の入口には〃国語常用の家〃という標識をつけて賞揚したことがあるのだが、恐らくこの時代に若干あったことが、韓国統治なかんずく警察の作用に対する韓国人の反感で誇張された結果だと思うよ。
「日本と韓国」 八木信雄 昭和53年 日韓文化出版社
(著者の八木信雄氏は朝鮮総督府の官吏で、終戦時には全羅南道知事であった。)
Y
これは、終戦時まて韓国人の通学する国民学校の校長をしていた韓国出身の吉野鎮雄氏から聞いた話なんだが、道(どう・県)によって多少の相違はあっただろうが、韓国人校長の場合はほとんど朝鮮語の授業を行わず、逆に日本人校長の場合はそのほとんどが週二時間宛教えていたというんだな。当時の韓国には六年制の国民学校のほかに四年制の国民学校もあり、六年制学校の校長十名か十一名の中一名、四年制学校の校長七、八名の中一名位の割合が韓国人校長だったから、朝鮮語を教えなかった国民学校は教えた学校の一割前後にしかならなかっただろうとも言っていたよ。
K
韓国人の校長こそ朝鮮語の授業をやりそうなものなのに、どうしてやらなかったんだろう。
Y
僕もそれが不思議なので、吉野氏に聞いたところが、「韓国人の教員で校長に選ばれるのには、よほど日本人の上司の点数がよくないと駄目なわけで、朝鮮語は教えずに日本語の教育に熱を入れることが、また、非常な点数稼ぎになったのだ」という返辞だったよ。
K
それは、正に〃内鮮一体悲喜劇〃とも称すべきものだったね。それはそれとして、大部分の学校で朝鮮語の授業が行われていたというのに、どうして、学校では一切教えなかったなどという話になって伝わったんだろう。
Y
それは、まず第一に、教育令の改正で朝鮮語を必須科目から外して附設科目、随意科目に大格下げしてしまったこと、そして幾分ながらその授業を廃止した学校があったことがそういう印象を与えたこと。第二に、総督府が「日本精神の理解と内鮮一体の信念の体得には、国語即ち日本語教育に特に力を入れる必要がある」として、その徹底方を指示した関係で、一年生を教育する場合は致し方ないとしても、その他の場合は韓国語でなく専ら日本語で教育するようになったこと。それに、生徒児童が校内で韓国語を使用することを禁じたりしたことなどが、そういう誤解を生むに至った原因じゃないかと思うよ。
K
韓国人にしてみれば、韓国語は、自分たちが祖先以来継承し、守り続けてきた民族の生命なのだから、これを軽々しく取り扱われたのではとても我慢できなかったろうし、それで話に尾鰭(おひれ)がついたり、針小棒大にもなったんだろうね。その辺の事情はよく分るような気がするよ。
Y
南総督の掲げた〃内鮮一体〃という政策には、「韓国人も日本人と全く同じ日本国民てあるという心からの誇りを持たせる」という目的も含んでいたのだが、それは高次元の一視同仁政策によって初めてその可能性が考えられることてあり、日本式創氏をさせたり、韓国語を軽視して日本語使用のみを励行したりといった次元の低いやり方は、逆効果を招くことにはなっても、決していい効果は生まないわけだよ。その意味においては、父兄や土地の住民の声なき声に耳を傾けて、朝鮮語の科目を附設し、その授業を続行した日本人校長たちのあり方の方が、むしろ一視同仁の真の精神に添ったことになったと思うよ。
(中略)
それで思い出したのだが、僕がまだ警視で慶尚北道警察部の警務課長当時(昭和五年五月から六年二月まで)のこと、大野謙一(後、咸鏡北道知事・総督府学務局長、故人)という警察部長がいて、僕に慶尚北道警察部独自の〃朝鮮語奨励規程〃と、その実施要綱を、何時何時(いついつ)までに作れというんだ。僕はたまたま風邪で熱を出して寝込んでしまったので、頭の中で草案を作りながら口述して家内に筆記させ、どうやら間に合せたことがあるんだよ。じつは4、5年前のことなんだが、ある会合の席上で、日本の教育者の一行が、韓国の教育者との交流のために彼地を訪問した際、「日本の統治時代は、韓国語を使うと警察に引っ張って行かれたものだ」という説明を受けたと聞かされて、全く憮然たる気持ちにならざるを得なかったよ。
K
それは、当時の警察に対して無実の罪を着せることになるわけだね。
Y
それは、南総督が内鮮一体の旗印の下で国語(日本語)の常用を奨励し、国語を常用する家庭の入口には〃国語常用の家〃という標識をつけて賞揚したことがあるのだが、恐らくこの時代に若干あったことが、韓国統治なかんずく警察の作用に対する韓国人の反感で誇張された結果だと思うよ。
これは メッセージ 73487 (sadatajp さん)への返信です.