sadatajpさん・時代&環境②
投稿者: east_jungle3 投稿日時: 2003/06/10 04:43 投稿番号: [73421 / 232612]
1936年の神社規則の改定により「一邑面一神社主義」(各村に必ず一つの神社をつくらせる政策)が打ち出され、朝鮮全土に国家神道の普及を図る試みがなされ、翌年から大々的な神社参拝の強要が始まった。さらに37年3月には、日本語使用を徹底化するよう各道(日本の県)に通達する。
さらに「皇国臣民の誓詞」を制定し、朝鮮人に斉唱を強制した→彼等は”日本人”なので、当然日本帝国は日本式のbehaviorを彼等に求めた。
1、私共は大日本帝国の臣民であります。
2、私共は互いに心を合わせて、天皇陛下に忠義を尽します。
3、私共は鍛練して、立派な強い国民となります。
創氏改名は、皇民化政策→39年11月に発布された朝鮮総督令第19号「朝鮮民事令中改正の件」の中で定められ、翌40年2月に施行された。
もともと朝鮮の親族集団は、宋と呼ばれる祖先祭祀を中心とした男系血統集団であり、この男性系統を表示する”姓”と、一族の始祖の発祥名を示す”本貫”を称号としていた。
ここに日本の家(同一戸籍の家族集団)制度を持ち込み、その称号である氏を新たに創設し(創氏)、公用名を従来の姓名から日本式の氏名に変更(改名)させたのが創氏改名です。
創氏の方→戸主が6ヶ月以内に新しい氏を決めて役場に届け出る→「設定創氏」
期限内に届出がなかった場合は戸主の姓をもってその家の氏とする→「法定創氏」とがあった。
つまり届出があろうがなかろうが、法律的にすべてのものに創氏制度が執行された。
この制度は姓不変の鉄則をもつ朝鮮の家族制度からすれば、受け容れがたいことであった。
朝鮮における姓とは、父方の血統を示す個人の標識だから、後天的に変えられるものではない。
男系血統集団の姓を名乗る朝鮮では、同じ家の中にいくつもの姓がある。
結婚しても、女性の姓は一生変わらないし、また異なる姓のものを養子にすることはできないし、同姓同本の男女は結婚できない、「姓不変」「異姓不養」「同姓不婚」が朝鮮の姓の3大原則である。
総督府も、朝鮮人の「姓」に対する愛着をよく知っていて、創氏改名にあたり「姓」が無くなる訳ではない、と盛んに宣伝した。
たしかに創氏改名後の戸籍には「姓および本貫」欄があり、旧来の姓と本貫が書かれている。
しかし、日本の支配の下で、公的な場では氏のみ使うことが求められるようになるのだから、伝統的な「姓名」は「氏名」の後ろに隠れることになる。
事実上「姓及本貫」は私的な家族内での伝承という意味しか持たなくなっていた。
つまり、朝鮮人の”姓と本貫”が抹消されたわけではないが、公式・実質的にはそれはまったく機能していなかったのである。
また創氏改名後も戸籍欄の横に朝鮮の”姓と本貫”が記載されていれば、実際には朝鮮人であることが一目瞭然であったことも、当時の政府にとり、”日本人”と区別する際の記号として役立ったといわれている。
植民地主義はどんなに粉飾しようが、植民地主義です→半島人は、露、中、日が虎視眈々としている森へ丸腰で散歩していたNaiveな赤頭巾ちゃんに例えられる。→第1基準の思考。
米国の鷹派の論客 Robert Kagan なら、狼に食われて当然、ぼんやりしていた半島人自身の責任だ、と切り捨てるでせう。→また彼は米国の戦略として自国に於ける2重基準、3,4、5…∞基準を推奨している。
四方の海みなはらからと思う世に
など波風のたちさわぐらん・・・明治帝作
いつの時代にも支配者層の第一の仮想敵は自国民であり、自国民及び、近隣諸国の民をそれぞれの指導者達が真の同胞として強い理想を維持できていたなら、Asiaの今日の情勢は異なっていたかもしれません。→第2の基準思考。
∞に拡大する”他者の基準”を統一するには力で叩き潰すべし→Neo米国帝国主義。
戦後日本国が孤立しない様、中朝韓のPipeは重要だと思います。
世界人類が四海同胞の意識を持ち宇宙に於ける各自の責任を自覚したら真の人類愛が誕生すると・・・理想です。
議題から拡大しましたがどうぞ、拙文より意図を汲み取って頂けたら幸甚です。
さらに「皇国臣民の誓詞」を制定し、朝鮮人に斉唱を強制した→彼等は”日本人”なので、当然日本帝国は日本式のbehaviorを彼等に求めた。
1、私共は大日本帝国の臣民であります。
2、私共は互いに心を合わせて、天皇陛下に忠義を尽します。
3、私共は鍛練して、立派な強い国民となります。
創氏改名は、皇民化政策→39年11月に発布された朝鮮総督令第19号「朝鮮民事令中改正の件」の中で定められ、翌40年2月に施行された。
もともと朝鮮の親族集団は、宋と呼ばれる祖先祭祀を中心とした男系血統集団であり、この男性系統を表示する”姓”と、一族の始祖の発祥名を示す”本貫”を称号としていた。
ここに日本の家(同一戸籍の家族集団)制度を持ち込み、その称号である氏を新たに創設し(創氏)、公用名を従来の姓名から日本式の氏名に変更(改名)させたのが創氏改名です。
創氏の方→戸主が6ヶ月以内に新しい氏を決めて役場に届け出る→「設定創氏」
期限内に届出がなかった場合は戸主の姓をもってその家の氏とする→「法定創氏」とがあった。
つまり届出があろうがなかろうが、法律的にすべてのものに創氏制度が執行された。
この制度は姓不変の鉄則をもつ朝鮮の家族制度からすれば、受け容れがたいことであった。
朝鮮における姓とは、父方の血統を示す個人の標識だから、後天的に変えられるものではない。
男系血統集団の姓を名乗る朝鮮では、同じ家の中にいくつもの姓がある。
結婚しても、女性の姓は一生変わらないし、また異なる姓のものを養子にすることはできないし、同姓同本の男女は結婚できない、「姓不変」「異姓不養」「同姓不婚」が朝鮮の姓の3大原則である。
総督府も、朝鮮人の「姓」に対する愛着をよく知っていて、創氏改名にあたり「姓」が無くなる訳ではない、と盛んに宣伝した。
たしかに創氏改名後の戸籍には「姓および本貫」欄があり、旧来の姓と本貫が書かれている。
しかし、日本の支配の下で、公的な場では氏のみ使うことが求められるようになるのだから、伝統的な「姓名」は「氏名」の後ろに隠れることになる。
事実上「姓及本貫」は私的な家族内での伝承という意味しか持たなくなっていた。
つまり、朝鮮人の”姓と本貫”が抹消されたわけではないが、公式・実質的にはそれはまったく機能していなかったのである。
また創氏改名後も戸籍欄の横に朝鮮の”姓と本貫”が記載されていれば、実際には朝鮮人であることが一目瞭然であったことも、当時の政府にとり、”日本人”と区別する際の記号として役立ったといわれている。
植民地主義はどんなに粉飾しようが、植民地主義です→半島人は、露、中、日が虎視眈々としている森へ丸腰で散歩していたNaiveな赤頭巾ちゃんに例えられる。→第1基準の思考。
米国の鷹派の論客 Robert Kagan なら、狼に食われて当然、ぼんやりしていた半島人自身の責任だ、と切り捨てるでせう。→また彼は米国の戦略として自国に於ける2重基準、3,4、5…∞基準を推奨している。
四方の海みなはらからと思う世に
など波風のたちさわぐらん・・・明治帝作
いつの時代にも支配者層の第一の仮想敵は自国民であり、自国民及び、近隣諸国の民をそれぞれの指導者達が真の同胞として強い理想を維持できていたなら、Asiaの今日の情勢は異なっていたかもしれません。→第2の基準思考。
∞に拡大する”他者の基準”を統一するには力で叩き潰すべし→Neo米国帝国主義。
戦後日本国が孤立しない様、中朝韓のPipeは重要だと思います。
世界人類が四海同胞の意識を持ち宇宙に於ける各自の責任を自覚したら真の人類愛が誕生すると・・・理想です。
議題から拡大しましたがどうぞ、拙文より意図を汲み取って頂けたら幸甚です。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.