>>>海行かばと君が代
投稿者: ahoahoahochann7 投稿日時: 2003/06/01 01:56 投稿番号: [72361 / 232612]
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tpnoma/kimi/kimigayo9.html
「君が代」の歌詞はサザレ石から巌へ移る超時空的めでたさを31文字に歌い込み、人々の長寿を願いつつ祝祭感を歌い上げたものである。
その簡潔な言葉には、他の国歌にあるような闘争的内容は一切なく、日本人の穏やかな特質を見事に象徴しているといってよいだろう。
しかし、千年以上にわたって日本列島にその祝祭感を贈り届けてきた、「君が代」にとって不幸だったのは、第二次大戦中、国民の戦意高揚という軍事目的に専ら使われたことだろう。
その明るい祝祭感は暗い戦争体験に覆われて、戦後50年以上経た現在でも
あの忌まわしい記憶は拭いきれずにいるのである。
「君が代」が、明治文明開化という日本史の上で最も国民意識が高揚した時代の作品であり、現代のように多様化した社会では決して開花させ得ない花であることをあらためて想起しよう。
日本人の心の源流から湧き出た清流が西の彼方から押し寄せてきた潮流と出会い、河口の岸辺に見事に咲かせたその花は、簡潔な歌詞と優雅な曲調によって我々日本人の特質を見事に象徴した我々の心そのものといってよいだろう。
「文明」の意は地表に表れる顕在制にあり、「文化」の意は地の内部にあって育まれる潜在性にあるのではないだろうか。
「文明」は外的要因で簡単に滅ぶが、「文化」が外的要因で滅ぶことがないのはそのためである。
文明開化以来120余年、果たして日本での西洋音楽はどこまで我々の「文化」になっているだろうか。
西洋の人々が永い歴史のなかで、それぞれの民族の血と涙と汗を、我々日本人は、未だに、単なる音のシステムとしてしか捉えていないのではないだろうか。
もし、将来、日本の新国家制定事業が成功するとしたら、それは新国風運動が起こったことの証であり、我々日本人が自らの言と音を織りなした新しい音楽を表したことの証でもあるだろう。
参考文献
中央公論社
「三つの君が代」
内藤孝敏
著
これは メッセージ 72360 (ahoahoahochann7 さん)への返信です.
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