>>>個人と国家 疑問
投稿者: masa4618 投稿日時: 2003/05/25 17:37 投稿番号: [71200 / 232612]
この投書の意見について言えば、太平洋戦争当時の軍隊の状況とと現在の自衛隊の実情を混同して同じレベルで扱っていること自体が誤りだと思います。
朝日新聞は複数購読しているうちの一つの新聞社ですが時に興味を引く記事があります。他社との比較をする場合には必要な新聞かもしれません。支持するかどうかはもちろん別問題ですが。
今ひとつ。
個人と国家を考えるとき、軍事だけではなく最近、考えさせられるいい事例があったと思います。
それはSARS問題での対処の問題。一人の感染者が出た場合、隔離をすることは個人の権利を侵害しないかということです。
他国では隔離政策は当然のように行われておりますが、国家と個人を考える場合の根本的な問題を含んでいると思います。一人の感染者から120人以上の感染者を出す可能性があるSARS感染者個人を隔離して、場合によっては治療法がなく死亡させても他の感染者を出さずに済むということは国家としては当然ではないかという考え方です。
このとき、隔離される個人のプライバシーは国家のために犠牲になるともいえるようにも思います。
先の投稿の(No71179)の神浦氏が述べている「軍隊が国民一人一人の都合を最大限に考量していては戦争はできない。まさに国家・非常時を理由に国民の人権を最小限に制限して作戦が可能になるからだ。」と同じ理念ではないかということです。一般的な話をすれば個人より全体の利益を優先するのは妥当なような感じを受けます。
しかしながら、もし自分がこの「個人」であったとしたらこの考え方を当然のごとく受け入れられるのかどうか。自問自答する必要はあるかと思います。
先の国会で北京から帰国した国会議員は通常10日間の自宅待機を余儀なくされている一般人の制約を無視して、3日程度の自宅待機で国会に出席して批判を受けました。個人が制約を受けているのに国家の権力者が「自分の場合」は勝手な論理を行使する状況の中で有事法制の中の国民の個人の権利は守られるのでしょうか。
大変、疑問を感じる次第です。
これは メッセージ 71185 (ahoahoahochann7 さん)への返信です.
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