憲法の変遷
投稿者: t2daiisuki48 投稿日時: 2003/05/12 00:06 投稿番号: [67876 / 232612]
http://plaza11.mbn.or.jp/~matsuo2000/E/E25.htm
憲法第9条と現実政治の隙間、憲法前文と憲法第9条の隙間は何故できたのか?
まず、ORさんの要旨①に言われる、「9条は集団的自衛権を禁止している」は間違いである。これは、
佐瀬昌盛『集団的自衛権 論争のために』(PHP新書・2001年5月29日)でほぼ完全に論証されている。
佐瀬さんの要旨は、下記の通り。即ち、
(イ)日本国憲法は集団的自衛権の存在を明確に定めた国連憲章の後に成立した
(ロ)日本は国連憲章をなんらの留保も解釈宣言もつけることなく署名し批准した
(ハ)日本国は旧日米安全保障条約、現日米安全保障条約等々の条約を批准したが、そこには集団的自衛権
を日本が持つことと、制限された範囲ではあるが、集団的自衛権を行使できることが(逆に言えば、行使する
義務を日本が負うことが、)規定されている
(ニ)1970年代、そして、1980年代初頭までの政府見解は、日本は集団的自衛権を「国際法上保持、憲法以上
行使不可能」などの噴飯物の理屈ではなく、「国際法上も憲法以上も保持しているが、行使の様態には憲法
上の制約が課されている」という理屈の通る範囲のものであった
また、ORさんの要旨②は正しいが③は間違いである。憲法前文は国連憲章(1945年10月24日発効)が
その実現を目指した所謂集団的安全保障体制の実効性を前提として、安全保障に関する国際的な協調体制
への賛意と信頼を表明したものと解される。日本国憲法が成立したのは1946年11月3日であり、発効したのが
翌1947年5月3日であることからもこれは明らかである。前文第2項はこう言う。即ち、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を
維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を
占めたいと思ふ」、と。
この中の「平和を愛する諸国民の公正と信義」と「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に
除去しようと努めてゐる国際社会」とは国際連合憲章を批准している国のことに他ならない。要は、憲法前文にも
憲法第98条にも「国際協調」の4文字はないけれども、確立した国際的な安全保障体制(くどいけれど、これは
国連憲章に規定されている集団的な安全保障体制のことである。)を信頼して自国の安全保障を確保することを
国際協調主義と定義するならば、「憲法前文は国際協調をうたっている」と言ってもなんら間違いではない。
このように考えるならば、ORさんの要旨④は大河原さんの単なる願望や政治思想の表明であって、日本国
憲法の規範内容とは何の関係もないことになる。「平和的な国際問題解決に尽力するならば決して孤立すること
はない」は、正に、ORさんの信仰告白に過ぎないからコメントは控えるが、「平和憲法」とは国連憲章や
日本国が締結し批准した様々の安全保障条約によって規範内容が具現化されるのであり、そこには集団的な
安全保障のみならず集団的自衛権の行使や個別的な自衛権の行使に関する権利と義務が明記されている
のだから。
憲法第9条と現実政治の隙間、憲法前文と憲法第9条の隙間は何故できたのか?
まず、ORさんの要旨①に言われる、「9条は集団的自衛権を禁止している」は間違いである。これは、
佐瀬昌盛『集団的自衛権 論争のために』(PHP新書・2001年5月29日)でほぼ完全に論証されている。
佐瀬さんの要旨は、下記の通り。即ち、
(イ)日本国憲法は集団的自衛権の存在を明確に定めた国連憲章の後に成立した
(ロ)日本は国連憲章をなんらの留保も解釈宣言もつけることなく署名し批准した
(ハ)日本国は旧日米安全保障条約、現日米安全保障条約等々の条約を批准したが、そこには集団的自衛権
を日本が持つことと、制限された範囲ではあるが、集団的自衛権を行使できることが(逆に言えば、行使する
義務を日本が負うことが、)規定されている
(ニ)1970年代、そして、1980年代初頭までの政府見解は、日本は集団的自衛権を「国際法上保持、憲法以上
行使不可能」などの噴飯物の理屈ではなく、「国際法上も憲法以上も保持しているが、行使の様態には憲法
上の制約が課されている」という理屈の通る範囲のものであった
また、ORさんの要旨②は正しいが③は間違いである。憲法前文は国連憲章(1945年10月24日発効)が
その実現を目指した所謂集団的安全保障体制の実効性を前提として、安全保障に関する国際的な協調体制
への賛意と信頼を表明したものと解される。日本国憲法が成立したのは1946年11月3日であり、発効したのが
翌1947年5月3日であることからもこれは明らかである。前文第2項はこう言う。即ち、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を
維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を
占めたいと思ふ」、と。
この中の「平和を愛する諸国民の公正と信義」と「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に
除去しようと努めてゐる国際社会」とは国際連合憲章を批准している国のことに他ならない。要は、憲法前文にも
憲法第98条にも「国際協調」の4文字はないけれども、確立した国際的な安全保障体制(くどいけれど、これは
国連憲章に規定されている集団的な安全保障体制のことである。)を信頼して自国の安全保障を確保することを
国際協調主義と定義するならば、「憲法前文は国際協調をうたっている」と言ってもなんら間違いではない。
このように考えるならば、ORさんの要旨④は大河原さんの単なる願望や政治思想の表明であって、日本国
憲法の規範内容とは何の関係もないことになる。「平和的な国際問題解決に尽力するならば決して孤立すること
はない」は、正に、ORさんの信仰告白に過ぎないからコメントは控えるが、「平和憲法」とは国連憲章や
日本国が締結し批准した様々の安全保障条約によって規範内容が具現化されるのであり、そこには集団的な
安全保障のみならず集団的自衛権の行使や個別的な自衛権の行使に関する権利と義務が明記されている
のだから。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.