本当のドーハの悲劇
投稿者: masa4618 投稿日時: 2003/05/10 19:53 投稿番号: [67576 / 232612]
あまりにも痛々しい記事・・・
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試合に負けたら投獄・殴打 「ドーハ」のイラク選手語る
93年にカタールのドーハであったサッカーのワールドカップ(W杯)米国大会アジア地区最終予選の日本戦で、ロスタイムのゴールを決めたイラクの選手2人に、戦争の混乱がなお続くバグダッドで会った。彼らも本戦行きを逃し、帰国後には投獄や給与没収などの懲罰を受けたという。あのゴールについては「一生で数少ないパーフェクトなゴール」と胸を張り、「日本とまた戦いたい」と口をそろえた。
「日本のメディアの取材は開戦前に何度も受けたが、政府が怖くて本当のことは一度も話せなかった」
日本戦で途中出場し、ヘディングシュートを決めたジャファール・オムラムさん(36)は、オリンピック委員会会長を務めるなどイラクのスポーツ界を牛耳ってきたフセイン大統領の長男ウダイ氏の「悪行」を次々と明かした。
93年の最終予選後、ドーハから戻り、代表チームの多くは投獄された。オムラムさんはゴールをしたおかげで投獄は免れた。しかし、「懲罰だ」として、約2000ドルの手当をすべて没収された。
それでも予選での活躍が認められ、94年にリビアのプロチームからスカウトされた。だが、出発の10日前、ウダイ氏の配下の秘密警察から「リビアの内情を逐次報告しろ」と命じられた。オムラムさんが「スポーツ選手にスパイは無理だ」と断ると、移籍話は消えた。
国内のリーグでプレーを続けたが、給料は少ない時は月約20ドル(約2300円)。妻と子供3人を養えず、借金生活が続いた。一昨年から今度のイラク戦争前までヨルダンのプロチームに所属したが、戦争が近づいた1月、チームを離れ、家族を守るためにバグダッドに戻らざるを得なかった。今は無収入だ。
オムラムさんは「ウダイが私の人生を狂わせた」と語った。
87年から96年までイラク代表チームの一員。「80年代から90年代前半までイラクはアジア最強だった」と信じる。だが、国際試合で負けるたびに投獄、殴打、給料没収などに遭い、優秀な選手は海外に逃げ、代表への招集にも応じなくなった。
同国サッカー界の一員として危機感は強い。
「今は日韓中、サウジ、イランにもかなわない。早く強化しないと次の世代が育たず、永遠にW杯に行けなくなる」
オムラムさんにセンタリングを上げたムンディル・カラフさん(33)はその後、髪の毛を丸刈りにされ、給料を取られ、数日間投獄された。
「最終予選中、ウダイはずっと我々に圧力をかけた。初戦で北朝鮮に敗れ、監督が交代になり、我々もウダイの配下から国際電話で『命が危ないぞ』と脅迫された」
翌年にあったアジアクラブ選手権ではインドのクラブに敗れ、背中を棒で打たれた。97年のW杯予選でもカザフスタンに敗れた後は再び投獄され、嫌気がさして代表チームを辞めた。現在は国内の空軍チームでプレーしている。イラク戦争中はバグダッド郊外の自宅で家族と息を潜めて過ごした。
日本戦を「あの最終予選の中でベストゲームだった」と振り返る。
日本戦で見せた、ショートコーナーから三浦知良選手をフェイントで抜き去ってのセンタリングは、試合前に監督がプランを立て、何度も練習を重ねていたイラクの「秘策」だったという。
「我々も勝てば本戦出場のチャンスが残っていた。最後の最後まで、必死だった。ミウラは優れた選手だったが、私の動きのほうが素早かった」
イラクでサッカーは最も人気があるスポーツ。戦後初めてのゲームが先週バグダッドで開かれ、3万人を集めた。
当時の日本代表とイラク代表を再戦させる構想があると教えると、「ラモス、ミウラ、ナカヤマ、みんな覚えている。当時の代表チームは私を含め大半が現役だ。今度こそ決着をつけたい」と顔をほころばせた。
◇
94年W杯米国大会アジア最終予選の最終日、日本はイラクと対戦した。勝てば悲願の初出場が決まる試合で、2−1とリードしたままロスタイムへ。ところが、終了直前にイラクにコーナーキックからのセットプレーでゴールを決められ、結局、引き分けに終わった。アジアからの出場枠は2で、日本は得失点差で3位に。W杯本大会出場を目前で逃し、「ドーハの悲劇」と語り継がれている。
http://www.asahi.com/international/update/0510/010.html
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試合に負けたら投獄・殴打 「ドーハ」のイラク選手語る
93年にカタールのドーハであったサッカーのワールドカップ(W杯)米国大会アジア地区最終予選の日本戦で、ロスタイムのゴールを決めたイラクの選手2人に、戦争の混乱がなお続くバグダッドで会った。彼らも本戦行きを逃し、帰国後には投獄や給与没収などの懲罰を受けたという。あのゴールについては「一生で数少ないパーフェクトなゴール」と胸を張り、「日本とまた戦いたい」と口をそろえた。
「日本のメディアの取材は開戦前に何度も受けたが、政府が怖くて本当のことは一度も話せなかった」
日本戦で途中出場し、ヘディングシュートを決めたジャファール・オムラムさん(36)は、オリンピック委員会会長を務めるなどイラクのスポーツ界を牛耳ってきたフセイン大統領の長男ウダイ氏の「悪行」を次々と明かした。
93年の最終予選後、ドーハから戻り、代表チームの多くは投獄された。オムラムさんはゴールをしたおかげで投獄は免れた。しかし、「懲罰だ」として、約2000ドルの手当をすべて没収された。
それでも予選での活躍が認められ、94年にリビアのプロチームからスカウトされた。だが、出発の10日前、ウダイ氏の配下の秘密警察から「リビアの内情を逐次報告しろ」と命じられた。オムラムさんが「スポーツ選手にスパイは無理だ」と断ると、移籍話は消えた。
国内のリーグでプレーを続けたが、給料は少ない時は月約20ドル(約2300円)。妻と子供3人を養えず、借金生活が続いた。一昨年から今度のイラク戦争前までヨルダンのプロチームに所属したが、戦争が近づいた1月、チームを離れ、家族を守るためにバグダッドに戻らざるを得なかった。今は無収入だ。
オムラムさんは「ウダイが私の人生を狂わせた」と語った。
87年から96年までイラク代表チームの一員。「80年代から90年代前半までイラクはアジア最強だった」と信じる。だが、国際試合で負けるたびに投獄、殴打、給料没収などに遭い、優秀な選手は海外に逃げ、代表への招集にも応じなくなった。
同国サッカー界の一員として危機感は強い。
「今は日韓中、サウジ、イランにもかなわない。早く強化しないと次の世代が育たず、永遠にW杯に行けなくなる」
オムラムさんにセンタリングを上げたムンディル・カラフさん(33)はその後、髪の毛を丸刈りにされ、給料を取られ、数日間投獄された。
「最終予選中、ウダイはずっと我々に圧力をかけた。初戦で北朝鮮に敗れ、監督が交代になり、我々もウダイの配下から国際電話で『命が危ないぞ』と脅迫された」
翌年にあったアジアクラブ選手権ではインドのクラブに敗れ、背中を棒で打たれた。97年のW杯予選でもカザフスタンに敗れた後は再び投獄され、嫌気がさして代表チームを辞めた。現在は国内の空軍チームでプレーしている。イラク戦争中はバグダッド郊外の自宅で家族と息を潜めて過ごした。
日本戦を「あの最終予選の中でベストゲームだった」と振り返る。
日本戦で見せた、ショートコーナーから三浦知良選手をフェイントで抜き去ってのセンタリングは、試合前に監督がプランを立て、何度も練習を重ねていたイラクの「秘策」だったという。
「我々も勝てば本戦出場のチャンスが残っていた。最後の最後まで、必死だった。ミウラは優れた選手だったが、私の動きのほうが素早かった」
イラクでサッカーは最も人気があるスポーツ。戦後初めてのゲームが先週バグダッドで開かれ、3万人を集めた。
当時の日本代表とイラク代表を再戦させる構想があると教えると、「ラモス、ミウラ、ナカヤマ、みんな覚えている。当時の代表チームは私を含め大半が現役だ。今度こそ決着をつけたい」と顔をほころばせた。
◇
94年W杯米国大会アジア最終予選の最終日、日本はイラクと対戦した。勝てば悲願の初出場が決まる試合で、2−1とリードしたままロスタイムへ。ところが、終了直前にイラクにコーナーキックからのセットプレーでゴールを決められ、結局、引き分けに終わった。アジアからの出場枠は2で、日本は得失点差で3位に。W杯本大会出場を目前で逃し、「ドーハの悲劇」と語り継がれている。
http://www.asahi.com/international/update/0510/010.html
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.