>>目の前の戦争と歴史
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2003/04/06 00:20 投稿番号: [60921 / 232612]
トピを熟読させてたいだきました。
なかなか難しいというか、述べられていることについて、以前から問題意識を持ち情報を集めましたが(本屋に行けば無尽蔵といえるほど本がある−新書本は最も気軽なものです、それに現在はHPもあるわけです。)、でもほとんどの情報は理解できますし知識にはなれ、そうそう自らの血肉となるようなものには出会えません。
まあでも自分の言葉で述べてみましょう。
1)歴史も見る立場、時代によって歴史上の事象の評価も変わってきます。
そのとおりでしで実は定まっているわけではなく(ということで前のログは舌足らずでした)、特に立場によって変わります。
でもその相手側の立場のしっかりした評価というのはなかなか入って来ないのです。仮にあったとしても、断片的であったり一方的であったりしています。
例えば今回のイラク戦争についてエジプトの一般国民はどう考えているかを想像するわけです。もちろんニュースとしての情報はあるわけですが、次にそう考えるカイロ市民の価値観とか思考法を理解しないと後々の応用問題には対応できないわけです。−すると当然イスラムの宗教・社会のことを理解しなければならないということで、諸々の本を読むわけですが、分かった気になっていても確信を持って何も言えません。
もしあるとすれば、日本と(私の場合)中国だけでしょう(WWⅡについての評価とか)。
まあ現実として米日中の国民の価値観は基本は違っても表層は似ています。
2)戦争に勝者はいない−核兵器
言われるとおりだと思います。
正直言いまして、米露中が所有しているとしても、核兵器の怖さを肌で感じることはありませんでした(抑止力)。
でも北朝鮮のことが報じられるとこれはという感じです。
更にはトランク核爆弾みたいな技術があり、国家の管理を離れてテロ組織が使用することの可能性が論じられると、911の被害を受けた米国はIAEA以上に先鋭的になっています。現在米国は自らを固めるとともに露の協力も得て莫大な予算を使い世界のプルトニウムを隔離しています(というのをNHKで見ました)。
これが破綻して、テロによりあちこちで核が使用されたり、さらには国家間で使用されると moriya さんの言われるとおり、「人間の度し難さ」が現れることになります。
怖いですね。
3)戦争の被害
国内の戦争は確かに民間人の被害が多いのはWWⅡのみですが、国外では昔から比較にならないそれこそジェノサイドというべきか壊滅したものがたくさんあります。同時に国家や都市としても潰れています。
(例)①BC70年の属国「ユダヤ」のローマ軍による壊滅(エルサレムは都市として再興されるのはずっと後)、ユダヤ人はずいぶんと殺されたし、主としてローマ世界に離散した。
②蒙古軍による中央アジアに都市と住民の殲滅−生き物は全部殺せと指令があり、数万単位での文字通りの虐殺。都市としては現在も廃墟が残っているのみ。
以上は極端な例ですが、現代にも無いわけでもない−ユーゴスラビアのコソボ紛争をどうみるか。戦争の定義にもよるかと思いますが、これはもう会戦と言うことではなく、住民そのものが対称です(当時も欧州ではNATOの爆撃反対運動がありましたが、私自身爆撃というかNATOには賛成しました)。
3)歴史を学ぶのは未来に責任を持つためですし、現在の困難を放置しないためですけど難しいです。浮かび上がってくるのは人間の度し難さです。・・・・しかし絶望も希望も人間の中にある。
おしゃられるとおりだと思います。
習慣と本能のこと、戦争で得たものは戦争で失うというのも私には分かりません。
「絶望も希望も人間のなかにある」と言われるのは本当にそのとおりだと思います。
久しぶりに印象的な言葉に出会いました。
一方で人間とは自らも含め良くも悪くも時代(環境)の産物だと思います。
これからは誰も逃げることができない。
ですから価値観がかなり異なってくるのも事実です。
人間として変わらないものと、歴史が到達している人間の叡智とを組み合わせて、戦争を無くしていきたいですが、まだまだですね。というよりも、そもそもそこに向かっているのかどうか。
なかなか難しいというか、述べられていることについて、以前から問題意識を持ち情報を集めましたが(本屋に行けば無尽蔵といえるほど本がある−新書本は最も気軽なものです、それに現在はHPもあるわけです。)、でもほとんどの情報は理解できますし知識にはなれ、そうそう自らの血肉となるようなものには出会えません。
まあでも自分の言葉で述べてみましょう。
1)歴史も見る立場、時代によって歴史上の事象の評価も変わってきます。
そのとおりでしで実は定まっているわけではなく(ということで前のログは舌足らずでした)、特に立場によって変わります。
でもその相手側の立場のしっかりした評価というのはなかなか入って来ないのです。仮にあったとしても、断片的であったり一方的であったりしています。
例えば今回のイラク戦争についてエジプトの一般国民はどう考えているかを想像するわけです。もちろんニュースとしての情報はあるわけですが、次にそう考えるカイロ市民の価値観とか思考法を理解しないと後々の応用問題には対応できないわけです。−すると当然イスラムの宗教・社会のことを理解しなければならないということで、諸々の本を読むわけですが、分かった気になっていても確信を持って何も言えません。
もしあるとすれば、日本と(私の場合)中国だけでしょう(WWⅡについての評価とか)。
まあ現実として米日中の国民の価値観は基本は違っても表層は似ています。
2)戦争に勝者はいない−核兵器
言われるとおりだと思います。
正直言いまして、米露中が所有しているとしても、核兵器の怖さを肌で感じることはありませんでした(抑止力)。
でも北朝鮮のことが報じられるとこれはという感じです。
更にはトランク核爆弾みたいな技術があり、国家の管理を離れてテロ組織が使用することの可能性が論じられると、911の被害を受けた米国はIAEA以上に先鋭的になっています。現在米国は自らを固めるとともに露の協力も得て莫大な予算を使い世界のプルトニウムを隔離しています(というのをNHKで見ました)。
これが破綻して、テロによりあちこちで核が使用されたり、さらには国家間で使用されると moriya さんの言われるとおり、「人間の度し難さ」が現れることになります。
怖いですね。
3)戦争の被害
国内の戦争は確かに民間人の被害が多いのはWWⅡのみですが、国外では昔から比較にならないそれこそジェノサイドというべきか壊滅したものがたくさんあります。同時に国家や都市としても潰れています。
(例)①BC70年の属国「ユダヤ」のローマ軍による壊滅(エルサレムは都市として再興されるのはずっと後)、ユダヤ人はずいぶんと殺されたし、主としてローマ世界に離散した。
②蒙古軍による中央アジアに都市と住民の殲滅−生き物は全部殺せと指令があり、数万単位での文字通りの虐殺。都市としては現在も廃墟が残っているのみ。
以上は極端な例ですが、現代にも無いわけでもない−ユーゴスラビアのコソボ紛争をどうみるか。戦争の定義にもよるかと思いますが、これはもう会戦と言うことではなく、住民そのものが対称です(当時も欧州ではNATOの爆撃反対運動がありましたが、私自身爆撃というかNATOには賛成しました)。
3)歴史を学ぶのは未来に責任を持つためですし、現在の困難を放置しないためですけど難しいです。浮かび上がってくるのは人間の度し難さです。・・・・しかし絶望も希望も人間の中にある。
おしゃられるとおりだと思います。
習慣と本能のこと、戦争で得たものは戦争で失うというのも私には分かりません。
「絶望も希望も人間のなかにある」と言われるのは本当にそのとおりだと思います。
久しぶりに印象的な言葉に出会いました。
一方で人間とは自らも含め良くも悪くも時代(環境)の産物だと思います。
これからは誰も逃げることができない。
ですから価値観がかなり異なってくるのも事実です。
人間として変わらないものと、歴史が到達している人間の叡智とを組み合わせて、戦争を無くしていきたいですが、まだまだですね。というよりも、そもそもそこに向かっているのかどうか。
これは メッセージ 60780 (moriya99 さん)への返信です.