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第一次大戦の毒ガス戦2

投稿者: ahoahoahocha6 投稿日時: 2003/04/04 23:16 投稿番号: [60652 / 232612]
MAP:第2次イープル戦

その日22日夜襲を行う事が決められた。カナダ師団から第10および第16大隊が選抜され攻撃隊が編成された。約1500人の兵士は3メートルの間隔で立ち、8段の縦隊でほぼ長方形となった。目標はキッチナーと名づけられた森で幅500メートル奥行きは700メートルほどだった。

曳光弾を除くと明かりはなく、また目標は500メートル先と近接していて砲撃による支援も期待できなかった。頼るものはロス式小銃と銃剣と手榴弾だけだった。11時45分突撃が開始され、機関銃による反撃をかわし攻撃隊ほぼすべてが森に突入した。

しかし攻撃はここまでだった。ドイツ軍はこの時すでに縦深戦術を採用しており、新たに確保した塹壕ですらその後に第2線の後退用塹壕を用意していた。森には猛烈な十字砲火が浴びせられ、そのあとドイツ歩兵部隊による反撃が始まった。カナダ部隊はたまらず後退した。

23日を通して、同じような攻撃がもう2回繰り返された。被害は猛烈なものになった。そして24日今度はカナダ師団全体にガス攻撃が敢行された。カナダ兵は水につけた手ぬぐいしか防具はなかった。たまらず第2線の陣地まで後退すると、ドイツ兵はすぐに追っては来ず、ガスが途切れるのを待っていた。

ドイツ兵が攻撃に移ると、砲兵隊が始めて有効な損害を与え、また80メートルまで近接した所で機関銃による反撃が功を奏し、押し返す事が出来た。カナダ兵は後退してもガスで致命傷は受けなかった。

これは原因として水を含んだ手ぬぐいが意外と効果的だったこと。ここで使われた塩素ガスは水と反応して非活性となる。またガス攻撃も2度目で奇襲効果はなかったためである。ただこの攻撃による直接のガスによる死傷者は228名にすぎないが、多くの者が後遺症に苦しめられた。

ドイツ軍は仮に十分な戦力があれば、イーゼル運河を突破し待望のドーバー海峡港湾のダンケルク、カレーに到達する事が出来たかもしれない。しかしこれ以上の追求はなかった。』

カナダ第1師団は18000人の兵力のうち5975人をこの戦闘で失った。しかし割り当てられた前線を一歩も引く事なく防衛した。カナダ兵は素人で戦闘技術はないに等しい。だが逃げるよりはその場で死ぬつもりだった。この戦闘でカナダの一体感はこれまでになく高まった。そしてフランスでもベルギーでもカナダの名は多くの人に知られるとともに、多少の名誉をもって語られた。

5月3日カナダ第1師団は後続のイギリス本国師団と交代し、第2次イープルの戦い参加の記録も終了する。

第2次イープル戦中の市内、まだ建物がのこっていることがわかる

毒ガスが実戦で初めて使われたのは実はこの戦いではなくて、1915年1月東部戦線、ボリロフ付近とされる。同じく塩素ガスがロシア軍に向けられたが、温度が低く、拡散しにくかった上風向きも悪くロシア側は全く気づかなかったらしい。後半になるとボンベで発射する方法は砲弾に代わられたが、この戦いでも見られたようにガス散布の結果攻撃側も進撃しにくくなるというのは避けられない欠陥だった。

ドイツによる毒ガスの使用は非参戦国を含めて野蛮な行為としてみなされた。しかし連合国もすぐ追随して使用するようになる。それでもドイツは毒ガスの使用を楽しんでやっているように見え、連合国はイヤイヤやっているように見えた。これがドイツの毒ガス戦の主犯となった理由だろう。
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