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バスラ陥落 国民に影響が大きい

投稿者: ahoahoahocha6 投稿日時: 2003/03/23 01:19 投稿番号: [57895 / 232612]
<イラク戦争>バスラ陥落の意義   国民に与える影響大

  【アンマン小倉孝保】米英軍が支配下に置いたと報道されるイラク南部の要衝バスラは、イスラム教シーア派住民を中心とする大都市だ。首都バグダッドの防衛を優先するフセイン大統領としては、バスラ陥落は折り込みずみとはいえ、イラン・イラク戦争(80〜88年)と湾岸戦争(91年)の大激戦地の動向が国民に与える影響は大きい。

  バスラはイラク第2の都市で、イランとクウェート国境に近く南部の防衛拠点だった。イラン・イラク戦争ではイラン側と死闘を繰り返し、特に、イランに一時占領されたバスラ近くの漁港ファオの奪還作戦は熾烈を極めたといわれる。

  また、湾岸戦争でも多国籍軍の激しい攻撃を受け、バスラ郊外には今でも、破壊された戦車や戦闘機が残っている。劣化ウラン弾による被害が最も深刻なことで知られるほか、湾岸戦争後も米英軍が設定した飛行禁止空域にあたる。町では毎日のように空襲警報が鳴り、時折、空爆による被害も出ていた。つまり、戦闘続きのイラクを象徴する町だったといえる。

  フセイン大統領はバグダッドでの市街戦に勝機を見いだそうとして、バスラに軍の主力は配置していなかったとの見方が有力だ。しかし、政権党・バース党のメンバーの多くがバスラで軍事訓練を受けており、米英軍の攻撃には市民総出で防衛するとみられてきた。150万都市が大きな抵抗もなく、米英軍の攻撃を許したことは、一般市民にあきらめやえん戦気運が広がっていることの表れでもある。

  また、イラク軍第51師団が米軍に投降し、司令官ら約8000人の将兵が捕虜となったと伝えられる。同師団は戦車200両を保有していたとされ、戦える能力を持ちながら戦いを捨てたともいえる。イラクの戦闘を象徴する都市でさえ守りきれなかったことで、国民の間には、さらにフセイン政権は末期と見る空気が広がるのは間違いない。

◇バスラとは

  イラク第二の都市バスラは首都バグダッドの南東560キロに位置し、同国油田地帯の要所。

  米英軍は、バスラ攻略をイラク攻撃初期段階の最大の目標とし、周到な攻撃準備を進めてきた。

  約150万人の人口の大半はイスラム教・シーア派で占められ、スンニ派を信奉するサダム・フセイン政権に対する住民の不信感は根強い。

  91年の湾岸戦争直後、大規模な反政府暴動が発生、政府軍による鎮圧で多数の犠牲者が出た。

  バスラは湾岸地域で最も歴史ある港の一つで、その名は、シンドバッドの物語にも冒険の出発地点として登場する。

  今もイラクの重要な港で、フリゲート艦1隻、哨戒艇3隻、掃海艇3隻などで構成される、小規模なイラク海軍の基地の1つも、ここに置かれてきた。   【門田陽介】(毎日新聞)
[3月22日23時40分更新]
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