金正日暗殺で検索してみれば。。2
投稿者: humhumu456 投稿日時: 2003/03/15 12:01 投稿番号: [55873 / 232612]
◎治安機関の頂点で画策された金正日暗殺計画
今年4月頃、韓国をはじめ各国情報機関を驚愕させる情報が駆けめぐった。朝鮮人民軍の保衛司令部の内部に浸透した反体制組織が金正日の暗殺計画を企てている、というのである。保衛司令部といえば、それまで人民軍保衛局の第10局だったものが昇格し、97年度から治安機関の頂点に君臨した。国家保衛部や社会安全部を傘下に治める秘密警察組織の総本山が保衛司令部である。その内部に反体制組織が巣食い、金正日暗殺を企てるとなると尋常ではない。体制崩壊の明確な兆候である。
私も同組織との関係の有無を問われたが、残念ながら無関係であり、情報の真偽のほどは分からない。だが、中国での難民救援活動の最中、それらしき存在の影を知らずに踏んだことがある。あまりの不気味さに身を翻したが、その種の反体制組織の存在は否定しきれない。私の印象では、北朝鮮の権力機関を横断するかのようだった。
私見では、難民の中に形成されたものは別にして、北朝鮮国内で活動中の反金正日勢力は大きく三潮流に分類できる。(1)草の根レべルの自生勢力、(2)政治化したヤクザ組織、(3)長い休眠から覚めた老舗の反政府勢力である。いずれも金日成の死後に活性化し、90年代後半の大飢饉を契機に動きを活発化させている。反体制活動のキーワードは「金日成死去」と「大飢饉」である。
金日成が絶対的権力を掌握した60年代後半以降、国内に反政府勢力はもちろん、ただ一件を除いて権力闘争は存在しなかった。とはいえ、独裁体制への反抗心が完全に根絶やしにされたわけではない。70年代には金日成総合大学を舞台に大学生が反政府グループを結成し、秘密警察の摘発を受けて壊滅させられた。なにもせず黙ってさえいれば、将来を約束された特権階級の子息たちだった。追い詰められた首謀者は大学の建物から身を投げたという。当局は厳重な箝口令を敷いたが、大事件は密かに平壌市民の評判を呼んだ。私の留学中(91年)も語り草になっていた。学生の無謀な行為に驚きながら、若者らしい正義感を密かに讃えた。「犬死にだが、いつか歴史が評価するときがくる」と市民は囁いた。
盤石の金日成体制の下、民衆の反抗は儚い線香花火だったが、70年代末に権力中枢を舞台に国を二分する権力闘争が勃発した。金日成の二人の息子(金正日と金平日)による骨肉の後継者争いである。金正日の異母弟・金平日は、母親の金聖愛(女性同盟委員長)と金日成の実弟の金英柱を後楯にして権力継承を目指した。他方、金正日には人民武力部長(国防大臣)の呉振宇が後見人となった。金正日は労働党宣伝煽動部を掌握し、党中央委員会を基盤にした。一方、金平日は人民軍保衛局に入隊し、保衛局(軍秘密警察)、国家保衛部(秘密警察)、社会安全部(一般警察)、軍事大学などに勢力を広げた。ただし、呉振宇の存在が邪魔で、戦車大隊長(少佐)の金平日も人民軍を完全に掌握することができなかった。これが勝敗を分けた。党大会を二年後に控えた80年初頭、金正日は金平日の側近勢力を拘束し殺害する大検挙旋風を巻き起こした。戦争さながらの粛清の末、当時権勢を振るった金日成の第一夫人(金聖愛)と金日成の実弟(金英柱)は失脚した。金日成は異母弟殺害を憂慮し、金平日をフィンランド大使に転出させた。これで金正日が次期権力継承者として確定した。
金平日は命拾いしたが、側近勢力を根絶やしにされ、完全に再起不能となった。だが、文字通り国を二分しての権力闘争である。金平日派の全員を殺し尽くすことはできない。厳しい追撃をなんとか逃れた残党は、生ける屍と化した金平日と袂を分かち、秘密結社として生き延びる道を選んだ。以来、秘密警察や情報機関で会得した技能を生かして組織の再生産をはかりながら、永い雌伏の時を過ごすことになる。その尻尾が垣間見られるようになったのは、難民流出が本格化する90年代の大飢饉のときである。
◎大都市で出回る「金正日打倒」のビラ
これら老舗の勢力だけでなく、草の根レベルでの反体制グループが90年代以降に自然発生するようになった。その背景となったのが「金日成死去」と「大飢饉」である。
独裁体制は本質的に不変だが、金日成死去と大飢饉を経験した一般国民の意識は根底的なところで大きく変化した。顕著な現れが難民の大量発生である。
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/repo20021211.htm
今年4月頃、韓国をはじめ各国情報機関を驚愕させる情報が駆けめぐった。朝鮮人民軍の保衛司令部の内部に浸透した反体制組織が金正日の暗殺計画を企てている、というのである。保衛司令部といえば、それまで人民軍保衛局の第10局だったものが昇格し、97年度から治安機関の頂点に君臨した。国家保衛部や社会安全部を傘下に治める秘密警察組織の総本山が保衛司令部である。その内部に反体制組織が巣食い、金正日暗殺を企てるとなると尋常ではない。体制崩壊の明確な兆候である。
私も同組織との関係の有無を問われたが、残念ながら無関係であり、情報の真偽のほどは分からない。だが、中国での難民救援活動の最中、それらしき存在の影を知らずに踏んだことがある。あまりの不気味さに身を翻したが、その種の反体制組織の存在は否定しきれない。私の印象では、北朝鮮の権力機関を横断するかのようだった。
私見では、難民の中に形成されたものは別にして、北朝鮮国内で活動中の反金正日勢力は大きく三潮流に分類できる。(1)草の根レべルの自生勢力、(2)政治化したヤクザ組織、(3)長い休眠から覚めた老舗の反政府勢力である。いずれも金日成の死後に活性化し、90年代後半の大飢饉を契機に動きを活発化させている。反体制活動のキーワードは「金日成死去」と「大飢饉」である。
金日成が絶対的権力を掌握した60年代後半以降、国内に反政府勢力はもちろん、ただ一件を除いて権力闘争は存在しなかった。とはいえ、独裁体制への反抗心が完全に根絶やしにされたわけではない。70年代には金日成総合大学を舞台に大学生が反政府グループを結成し、秘密警察の摘発を受けて壊滅させられた。なにもせず黙ってさえいれば、将来を約束された特権階級の子息たちだった。追い詰められた首謀者は大学の建物から身を投げたという。当局は厳重な箝口令を敷いたが、大事件は密かに平壌市民の評判を呼んだ。私の留学中(91年)も語り草になっていた。学生の無謀な行為に驚きながら、若者らしい正義感を密かに讃えた。「犬死にだが、いつか歴史が評価するときがくる」と市民は囁いた。
盤石の金日成体制の下、民衆の反抗は儚い線香花火だったが、70年代末に権力中枢を舞台に国を二分する権力闘争が勃発した。金日成の二人の息子(金正日と金平日)による骨肉の後継者争いである。金正日の異母弟・金平日は、母親の金聖愛(女性同盟委員長)と金日成の実弟の金英柱を後楯にして権力継承を目指した。他方、金正日には人民武力部長(国防大臣)の呉振宇が後見人となった。金正日は労働党宣伝煽動部を掌握し、党中央委員会を基盤にした。一方、金平日は人民軍保衛局に入隊し、保衛局(軍秘密警察)、国家保衛部(秘密警察)、社会安全部(一般警察)、軍事大学などに勢力を広げた。ただし、呉振宇の存在が邪魔で、戦車大隊長(少佐)の金平日も人民軍を完全に掌握することができなかった。これが勝敗を分けた。党大会を二年後に控えた80年初頭、金正日は金平日の側近勢力を拘束し殺害する大検挙旋風を巻き起こした。戦争さながらの粛清の末、当時権勢を振るった金日成の第一夫人(金聖愛)と金日成の実弟(金英柱)は失脚した。金日成は異母弟殺害を憂慮し、金平日をフィンランド大使に転出させた。これで金正日が次期権力継承者として確定した。
金平日は命拾いしたが、側近勢力を根絶やしにされ、完全に再起不能となった。だが、文字通り国を二分しての権力闘争である。金平日派の全員を殺し尽くすことはできない。厳しい追撃をなんとか逃れた残党は、生ける屍と化した金平日と袂を分かち、秘密結社として生き延びる道を選んだ。以来、秘密警察や情報機関で会得した技能を生かして組織の再生産をはかりながら、永い雌伏の時を過ごすことになる。その尻尾が垣間見られるようになったのは、難民流出が本格化する90年代の大飢饉のときである。
◎大都市で出回る「金正日打倒」のビラ
これら老舗の勢力だけでなく、草の根レベルでの反体制グループが90年代以降に自然発生するようになった。その背景となったのが「金日成死去」と「大飢饉」である。
独裁体制は本質的に不変だが、金日成死去と大飢饉を経験した一般国民の意識は根底的なところで大きく変化した。顕著な現れが難民の大量発生である。
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/repo20021211.htm
これは メッセージ 55870 (humhumu456 さん)への返信です.