金正日と人民との離反戦略が効果
投稿者: abcde2036 投稿日時: 2003/02/16 12:20 投稿番号: [50403 / 232612]
北朝鮮の国内外で活性化する反金正日闘争
21/12/2002
RENK代表/李 英和
*『SAPIO』(小学館)12月11日号より修正・転載
---------------------------------- -
「94年秋になって脱北者が生まれた。だが、食糧難が最も基本的な脱北理由だと評価するのは間違っている。食糧難より前に、金日成の死亡直後に起きた住民の意識変化が先行していたと見るべきである。金父子絶対主義に対する意識の変化がなければ、脱北など到底なし得ない勇断であることは疑いない。実際、意識変化を見なかった多くの住民が、逃げ出しもせずにただ飢えて死んでいったことを想起すべきである」
富と情報を入手できる特権層は別にして、一般住民にとって金日成は「絶対神」のような存在だった。人々は、その神が死に、霊能が失われても「生きていける」という単純な事実に気付いた。金正日は国民を覚醒させないために自らを神格化したが、二代目の神は住民を類例のない飢餓に追いやった。三百万人を超える餓死という苦痛に満ちた代価を支払って、「住民は金正日の神的支配から半分の解放を迎えることができた」。
この「半分の解放」が90年代中盤以降、自生的な草の根の反体制グループを産んだ。ヤクザ組織は従来より全国に存在したが、食糧危機で急成長したヤミ市場を根城に勢力を伸長させた。ヤミ市を取り締まる当局との攻防戦を通して、ヤクザ組織の一部は政治色を帯びるようになる。その代表格が国境の鉱山都市の茂山郡(咸鏡北道)のヤクザ組織である。青年男女約200名からなる同組織は、公然と反労働党を呼号して夜の茂山を支配し、ついには秘密警察の要員を殺害するに及んだ。激怒した金正日は96年10月、中央から増援部隊を派遣して一斉摘発に乗り出した。首謀者20名が公開裁判に掛けられ、10名は市場で公開処刑された。この事件以降、金正日は全国でヤクザ組織の掃討作戦を展開した。ヤクザ組織が反政府組織化することを恐れたのである。
陰惨な公開処刑にもかかわらず、住民の不満と民心の動揺は収まらなかった。97年秋の収穫直後、茂山郡の党書記がヤミ市場でのコメ販売を禁止する旨の演説をおこなったところ、住民の間から「党書記の奴を殺してしまわないと人民は生きていかれない」という反発の声が起きた。飢饉の絶頂期(97〜99年)には、職場の金父子の肖像画を破り捨てたり、公共施設に金正日や労働党を批判する内容の落書きが全国で頻発した。「金正日は出ていけ」「金正日を打倒せよ」と書かれた手製ビラが元山、清津、新義州といった大都市で撒かれた。これら大都市は、配給停止で大量餓死に見舞われていた。
◎人道援助で息を吹き返した秘密警察
飢饉を経験した都市部の若者は最近、自然発生的に反政府グループを形成しはじめている。RENKが確認しているだけで10個以上が存在する。小規模で相互の連携が取れていないため、金正日体制を脅かすまでには至っていない。だが、ヤクザ組織でもなく、権力闘争に破れた老舗組織でもない、純粋に民主化を目指すグループが国内に登場しはじめたのは画期的出来事である。組織防衛と秘密保持の技術を会得し、同じく民主化を目指す難民グループとの接触ルートや外部からの支援ルートが形成されれば、重要な政治的役割を演じることになるだろう。
難民の中であれ国内であれ、90年代末から反政府組織が生まれ育つ土壌となったのは秘密警察システムの深刻な動揺だった。とくに97年には、泣く子も黙る秘密警察=国家保衛部の威信が地に落ちた。「山送り(収容所送り)になりたいのか!」という殺し文句が住民相手に通用しなくなった。収容所で死のうが、家で飢え死にしようが、住民にとっては同じことだからである。
保衛部の要員は自信喪失状態に陥り、職務を捨てて中国へ逃亡する者も出た。同時に、密告制度も大きく揺らいだ。経済破綻で密告の報奨金も出ないようでは、密告者は真面目に仕事に励まない。それどころか、秘密警察を恐れなくなった住民は、密告屋を袋叩きにしたり、殴り殺したりするようになった。これにくわえて、97年には国家保衛部の副部長級の幹部と社会安全部の責任者数名が「反政府陰謀事件」に関連して粛清される出来事が起きた。
21/12/2002
RENK代表/李 英和
*『SAPIO』(小学館)12月11日号より修正・転載
---------------------------------- -
「94年秋になって脱北者が生まれた。だが、食糧難が最も基本的な脱北理由だと評価するのは間違っている。食糧難より前に、金日成の死亡直後に起きた住民の意識変化が先行していたと見るべきである。金父子絶対主義に対する意識の変化がなければ、脱北など到底なし得ない勇断であることは疑いない。実際、意識変化を見なかった多くの住民が、逃げ出しもせずにただ飢えて死んでいったことを想起すべきである」
富と情報を入手できる特権層は別にして、一般住民にとって金日成は「絶対神」のような存在だった。人々は、その神が死に、霊能が失われても「生きていける」という単純な事実に気付いた。金正日は国民を覚醒させないために自らを神格化したが、二代目の神は住民を類例のない飢餓に追いやった。三百万人を超える餓死という苦痛に満ちた代価を支払って、「住民は金正日の神的支配から半分の解放を迎えることができた」。
この「半分の解放」が90年代中盤以降、自生的な草の根の反体制グループを産んだ。ヤクザ組織は従来より全国に存在したが、食糧危機で急成長したヤミ市場を根城に勢力を伸長させた。ヤミ市を取り締まる当局との攻防戦を通して、ヤクザ組織の一部は政治色を帯びるようになる。その代表格が国境の鉱山都市の茂山郡(咸鏡北道)のヤクザ組織である。青年男女約200名からなる同組織は、公然と反労働党を呼号して夜の茂山を支配し、ついには秘密警察の要員を殺害するに及んだ。激怒した金正日は96年10月、中央から増援部隊を派遣して一斉摘発に乗り出した。首謀者20名が公開裁判に掛けられ、10名は市場で公開処刑された。この事件以降、金正日は全国でヤクザ組織の掃討作戦を展開した。ヤクザ組織が反政府組織化することを恐れたのである。
陰惨な公開処刑にもかかわらず、住民の不満と民心の動揺は収まらなかった。97年秋の収穫直後、茂山郡の党書記がヤミ市場でのコメ販売を禁止する旨の演説をおこなったところ、住民の間から「党書記の奴を殺してしまわないと人民は生きていかれない」という反発の声が起きた。飢饉の絶頂期(97〜99年)には、職場の金父子の肖像画を破り捨てたり、公共施設に金正日や労働党を批判する内容の落書きが全国で頻発した。「金正日は出ていけ」「金正日を打倒せよ」と書かれた手製ビラが元山、清津、新義州といった大都市で撒かれた。これら大都市は、配給停止で大量餓死に見舞われていた。
◎人道援助で息を吹き返した秘密警察
飢饉を経験した都市部の若者は最近、自然発生的に反政府グループを形成しはじめている。RENKが確認しているだけで10個以上が存在する。小規模で相互の連携が取れていないため、金正日体制を脅かすまでには至っていない。だが、ヤクザ組織でもなく、権力闘争に破れた老舗組織でもない、純粋に民主化を目指すグループが国内に登場しはじめたのは画期的出来事である。組織防衛と秘密保持の技術を会得し、同じく民主化を目指す難民グループとの接触ルートや外部からの支援ルートが形成されれば、重要な政治的役割を演じることになるだろう。
難民の中であれ国内であれ、90年代末から反政府組織が生まれ育つ土壌となったのは秘密警察システムの深刻な動揺だった。とくに97年には、泣く子も黙る秘密警察=国家保衛部の威信が地に落ちた。「山送り(収容所送り)になりたいのか!」という殺し文句が住民相手に通用しなくなった。収容所で死のうが、家で飢え死にしようが、住民にとっては同じことだからである。
保衛部の要員は自信喪失状態に陥り、職務を捨てて中国へ逃亡する者も出た。同時に、密告制度も大きく揺らいだ。経済破綻で密告の報奨金も出ないようでは、密告者は真面目に仕事に励まない。それどころか、秘密警察を恐れなくなった住民は、密告屋を袋叩きにしたり、殴り殺したりするようになった。これにくわえて、97年には国家保衛部の副部長級の幹部と社会安全部の責任者数名が「反政府陰謀事件」に関連して粛清される出来事が起きた。
これは メッセージ 50399 (abcde2036 さん)への返信です.