秘密警察を救った日本の食料援助①
投稿者: kitachousendeikirai 投稿日時: 2003/02/11 06:56 投稿番号: [49321 / 232612]
◎大都市で出回る「金正日打倒」のビラ
これら老舗の勢力だけでなく、草の根レベルでの反体制グループが90年代以降に自然発生するようになった。その背景となったのが「金日成死去」と「大飢饉」である。
独裁体制は本質的に不変だが、金日成死去と大飢饉を経験した一般国民の意識は根底的なところで大きく変化した。顕著な現れが難民の大量発生である。決死の潜入を敢行した青年はこう記している。
「94年秋になって脱北者が生まれた。だが、食糧難が最も基本的な脱北理由だと評価するのは間違っている。食糧難より前に、金日成の死亡直後に起きた住民の意識変化が先行していたと見るべきである。金父子絶対主義に対する意識の変化がなければ、脱北など到底なし得ない勇断であることは疑いない。実際、意識変化を見なかった多くの住民が、逃げ出しもせずにただ飢えて死んでいったことを想起すべきである」
富と情報を入手できる特権層は別にして、一般住民にとって金日成は「絶対神」のような存在だった。人々は、その神が死に、霊能が失われても「生きていける」という単純な事実に気付いた。金正日は国民を覚醒させないために自らを神格化したが、二代目の神は住民を類例のない飢餓に追いやった。三百万人を超える餓死という苦痛に満ちた代価を支払って、「住民は金正日の神的支配から半分の解放を迎えることができた」。
この「半分の解放」が90年代中盤以降、自生的な草の根の反体制グループを産んだ。ヤクザ組織は従来より全国に存在したが、食糧危機で急成長したヤミ市場を根城に勢力を伸長させた。ヤミ市を取り締まる当局との攻防戦を通して、ヤクザ組織の一部は政治色を帯びるようになる。その代表格が国境の鉱山都市の茂山郡(咸鏡北道)のヤクザ組織である。青年男女約200名からなる同組織は、公然と反労働党を呼号して夜の茂山を支配し、ついには秘密警察の要員を殺害するに及んだ。激怒した金正日は96年10月、中央から増援部隊を派遣して一斉摘発に乗り出した。首謀者20名が公開裁判に掛けられ、10名は市場で公開処刑された。この事件以降、金正日は全国でヤクザ組織の掃討作戦を展開した。ヤクザ組織が反政府組織化することを恐れたのである。
陰惨な公開処刑にもかかわらず、住民の不満と民心の動揺は収まらなかった。97年秋の収穫直後、茂山郡の党書記がヤミ市場でのコメ販売を禁止する旨の演説をおこなったところ、住民の間から「党書記の奴を殺してしまわないと人民は生きていかれない」という反発の声が起きた。飢饉の絶頂期(97〜99年)には、職場の金父子の肖像画を破り捨てたり、公共施設に金正日や労働党を批判する内容の落書きが全国で頻発した。「金正日は出ていけ」「金正日を打倒せよ」と書かれた手製ビラが元山、清津、新義州といった大都市で撒かれた。これら大都市は、配給停止で大量餓死に見舞われていた。
飢饉を経験した都市部の若者は最近、自然発生的に反政府グループを形成しはじめている。RENKが確認しているだけで10個以上が存在する。小規模で相互の連携が取れていないため、金正日体制を脅かすまでには至っていない。
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/repo20021211.htm
これら老舗の勢力だけでなく、草の根レベルでの反体制グループが90年代以降に自然発生するようになった。その背景となったのが「金日成死去」と「大飢饉」である。
独裁体制は本質的に不変だが、金日成死去と大飢饉を経験した一般国民の意識は根底的なところで大きく変化した。顕著な現れが難民の大量発生である。決死の潜入を敢行した青年はこう記している。
「94年秋になって脱北者が生まれた。だが、食糧難が最も基本的な脱北理由だと評価するのは間違っている。食糧難より前に、金日成の死亡直後に起きた住民の意識変化が先行していたと見るべきである。金父子絶対主義に対する意識の変化がなければ、脱北など到底なし得ない勇断であることは疑いない。実際、意識変化を見なかった多くの住民が、逃げ出しもせずにただ飢えて死んでいったことを想起すべきである」
富と情報を入手できる特権層は別にして、一般住民にとって金日成は「絶対神」のような存在だった。人々は、その神が死に、霊能が失われても「生きていける」という単純な事実に気付いた。金正日は国民を覚醒させないために自らを神格化したが、二代目の神は住民を類例のない飢餓に追いやった。三百万人を超える餓死という苦痛に満ちた代価を支払って、「住民は金正日の神的支配から半分の解放を迎えることができた」。
この「半分の解放」が90年代中盤以降、自生的な草の根の反体制グループを産んだ。ヤクザ組織は従来より全国に存在したが、食糧危機で急成長したヤミ市場を根城に勢力を伸長させた。ヤミ市を取り締まる当局との攻防戦を通して、ヤクザ組織の一部は政治色を帯びるようになる。その代表格が国境の鉱山都市の茂山郡(咸鏡北道)のヤクザ組織である。青年男女約200名からなる同組織は、公然と反労働党を呼号して夜の茂山を支配し、ついには秘密警察の要員を殺害するに及んだ。激怒した金正日は96年10月、中央から増援部隊を派遣して一斉摘発に乗り出した。首謀者20名が公開裁判に掛けられ、10名は市場で公開処刑された。この事件以降、金正日は全国でヤクザ組織の掃討作戦を展開した。ヤクザ組織が反政府組織化することを恐れたのである。
陰惨な公開処刑にもかかわらず、住民の不満と民心の動揺は収まらなかった。97年秋の収穫直後、茂山郡の党書記がヤミ市場でのコメ販売を禁止する旨の演説をおこなったところ、住民の間から「党書記の奴を殺してしまわないと人民は生きていかれない」という反発の声が起きた。飢饉の絶頂期(97〜99年)には、職場の金父子の肖像画を破り捨てたり、公共施設に金正日や労働党を批判する内容の落書きが全国で頻発した。「金正日は出ていけ」「金正日を打倒せよ」と書かれた手製ビラが元山、清津、新義州といった大都市で撒かれた。これら大都市は、配給停止で大量餓死に見舞われていた。
飢饉を経験した都市部の若者は最近、自然発生的に反政府グループを形成しはじめている。RENKが確認しているだけで10個以上が存在する。小規模で相互の連携が取れていないため、金正日体制を脅かすまでには至っていない。
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/repo20021211.htm
これは メッセージ 49305 (japan_koumei さん)への返信です.