朝鮮民族の事大主義③
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2003/02/07 04:58 投稿番号: [48119 / 232612]
日本も、日中戦争というか、15年戦争というか、中国大陸で覇権を争ったにもかかわらず、結局は諸般の理由でそれを成し得なかった事は周知の事実である。古くは蒙古民族の元王朝、日本が覇権を争う前は女真族、いわゆる満州民族というべきか、清王朝というものは漢民族の上に君臨した民族である。ところが朝鮮民族だけは有史以来中国に寄りかかるだけで、覇権のはの字も出しきれなかった。
これは前にも記したように、生まれたばかりの人の子というのは、どんな民族でも白紙の状態であるのに、成長するに従い、周囲の状況、環境からそういう処世術を身に着け、覇気を失うと言う事も一種の処世術であって、そうしなければ民族そのものが生存しきれなかったということである。私は好戦的な気風を賛美するつもりは無いが、こういう民族の在り方というものが、今日の世界にも連綿と続いていると言う事を言いたいわけである。
今日、この平和な日本において在日朝鮮人の人々というのは、自分の生活の場としているこの日本の中で、日本人に向かってかなり辛らつな要求を突き付けようとしている。従軍慰安婦の問題から、戦争中の謝罪がたらない、という問題まで、我々、日本人が黙っているとどこまでも突けあげてくるような雰囲気であるが、こういう態度そのものが朝鮮民族の固有の姿である、という事を我々は胆に銘じて知るべきである。
「犬の遠吠え」という言葉がある。
弱い犬ほどワンワンキャンキャンなくわけで、強い犬は声を上げる前に噛み付いている。
もうすぐ21世紀になるというこの時に、日本人だとか、朝鮮人だとか、言う区分け、呼び方というのはなくさなければならないと思う。日本にいる朝鮮の人々というのは、顔かたちは元より何一つ我々とかわるものが無いわけで、我々と同じように仕事をし、収入を得、税金を納めれば、日本人だとか、朝鮮人だとか言う必要は全く無いように思う。
これは メッセージ 48118 (hangyosyufu さん)への返信です.
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