総連の恫喝方法
投稿者: ahoahoahochan4 投稿日時: 2003/02/02 20:35 投稿番号: [46957 / 232612]
「日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか」
佐藤勝巳
2002年
草思社
日本が暴力に屈した日 (灰色文字は管理人注)
(上記「朝鮮総連工作員」の記述と同時期の話)
朝銀をめぐって最初のトラブルが起きたのは1967(昭和42)年のことである。東京在住の総聯商工人で、のちに暴力団員に殺された具次龍氏の脱税容疑で、国税当局は氏の取引先である朝銀の前身、同和信用組合(台東区上野)に資料の提出をもとめた。同和信組はこれを拒否した。国税局は強制捜査をおこなうことにした。ところが同和信組はシャッターをおろし捜査を実力で阻止した。国税局は機動隊をともなって、バーナーでシャッターを焼き切り、強制捜査を実施した。これを契機に総聯は、全国の総聯系在日朝鮮人多住地域の税務署に「抗議行動」をかけた。各地の税務署で業務妨害が発生した。このとき日本政府は、国家公務員たる税務署員にたいする公務執行妨害でこれを取り締まろうとしなかった。国税局と具次龍氏との脱税に関する和解は1976(昭和51)年に成立した。
その後、先に紹介した国税庁と朝鮮商工会との税金に関する「合意」なるものが交わされた。すなわち社会党の故高沢寅男衆議院議員の部屋で、氏を仲介者として国税庁と朝鮮商工会幹部の話し合いがおこなわれたのである。「現代コリア研究所」はそのときの出席者の名簿をもっている。この具次龍氏の事件以来、総聯は気に入らないことが起きると行政官庁やマスメディアなどに「抗議」という名の「暴力」を公然とふるうようになった。私は1967年の「抗議行動」を、第二次世界大戦後、日本が総聯の暴力に届した恥ずべき日と記録している。ここに紹介したような事例は、いまにいたるまで、あちこちでみられる。1985(昭和60)年12月、関東国税局は東京都北区在住の総聯商工人を脱税容疑で強制捜査した。すると、関東国税局にはもっとも多い日で1日600名の「抗議」が来た。少ないときで100名である。国税局の業務は麻痺状態に陥った。局内では「上はなにをしているのか。仕事にならない」という声がでた。警視庁からは「年末の忙しいときに国税はなにをやっているのか」という不満の声が聞かれたという。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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