拉致事件に思う-上
投稿者: KOHinKOHsWHO 投稿日時: 2002/09/22 00:48 投稿番号: [4684 / 232612]
衝撃、と言う他はない。一年前、ニューヨークの惨劇を目にして以来、世界は我々の前に目まぐるしく次々に悲劇の幕を切っては落としてきた。だが、今度こそは我々が、その悲劇の登場人物に追い上げられたのである。十数名の拉致者、その内8名の不可解な死。到底、自然死とは思えない、若い死の数々。明らかに殺害されたのだろう。その彼らは、我々の同時代人であり、同胞であり、この日本に、特殊な立場にあることなく、例えば偶々浜辺に夕日を見に行ったまま帰らぬ人となり、あるいはヨーロッパへ旅行へいったまま行方が分からなくなったりした、若い人々であったのだ。その彼らが、二、三十年を経た今、隣国によって拉致され、あまつさえその多くが殺害されていたことが明らかになったとは!浜辺へ夕日を観に行くと言うことが、この日本に於いて、他国の機関に誘拐され、殺害されることに繋がるとは!
しかし、一連の出来事を身近に見聞きしつつ、私は密かな驚きに捕らわれている。拉致され、殺害された人の身内の誰一人として、報復を望むものがいない。殺人に殺人をもって、残虐に残虐をもって対しようとする者がいない。唯一、彼らの内に聞かれたもっとも踏み込んだ言葉でさえ、次の如くである。
「昔なら、戦争になってもおかしくはなかったことだ」。
昔なら、と言うことは、今ではそうはならないと言うことである。しかし現に、一年前ニューヨークを吹き飛ばされたアメリカは、己の何十分の一かに過ぎないアフガニスタンを、完膚無きまでにたたきのめした。なんの関わりもない赤子やその母親も、年寄りも子供も、一切無差別に殺し尽くした。あれから今日まで、アメリカがアフガニスタンで殺した人間の数は、あの日テロによって殺された人間の数を、遙かに上回っている。現に今日、今夜、この時間でも、イスラエルはパレスチナに砲撃を加え、またテルアビブに潜むパレスチナのテロ実行者は虎視眈々とその報復の機会を狙っているに相違ない。これが現在、時々刻々の現実なのだ。にも関わらず、家族が理不尽にも誘拐され、連れ去られ、殺害された家族は言う。
「昔なら、戦争になっていたことだ」と。
この一言は、崇高である。世界のあらゆる場所で、殺人が殺人を呼び、憎しみが憎しみを巻き上げ、人々が殺し合っているこの時に、「だが今、この我々はそうではない」という意味を明確に表してこの言葉を呟いた人は、崇高である。日本人は、自制している。日本人は、衝撃におののきつつも、冷静に事に対している。日本人である彼の家族の人々は、この上ない自制によって、自らを律し、主張すべきを主張し、正しく行動している。驚くべき事だと思う。
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これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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