軍部はどうするか。金正日はどうなる
投稿者: ccccccc432 投稿日時: 2003/02/01 20:28 投稿番号: [46435 / 232612]
北朝鮮は1948年の建国以来、粛清の歴史を刻んできた。故・金日成(キ
ム・イルソン)主席は5、60年代、中国派、ソ連派を次々に打倒。67年5
月の朝鮮労働党中央委員会総会で権力を完全に握り、「党の唯一思想体系」を
打ち出した。
「唯一思想」とはもちろん金日成思想、主体(チュチェ)思想のことだ。全
党員が金主席の思考通り行動する。それ以外の思想、指導者の存在は許されな
くなった。
唯一思想を武器に「全社会の金日成主義化」を進めたのが息子の金総書記
だった。7、80年代に党を掌握。イデオロギー解釈権を独占し、軍権も握っ
た。北朝鮮社会の隅々まで監視・統制網を敷く恐怖政治を実行した。反対者は
処刑し、その家族らは強制収容所へ送った。
父を全知全能の「神」に仕立てれば、自分は必然的に「神の子」となる。こ
の国は67年を境に「金王朝」へ変質し、「王朝存続」が自己目的化していっ
た。
91年に韓国に亡命した北朝鮮の元外交官、高英煥(コ・ヨンファン)氏
(49)(現・統一政策研究所室長)は言う。
「金正日が力を持った70年代から党幹部の自宅や自動車にまで盗聴器が仕
掛けられた。収容所が急増したのも70年代。収容者は現在まで延べ300万
人に上る。こんな国がありますか」
「金王朝」という“神聖国家”を目指しても、経済を維持し、民生に目を配
ることは可能なはずだ。しかし、総書記は核、ミサイルなど軍備増強を優先、
金主席を賛美する巨大建造物建設に巨費を投じ、人々の生活を顧みることはな
かった。
北朝鮮はその結果、監視・統制網で政治体制は堅固ながら、90年代には
300万とも言われる餓死者まで出す奇形国家となった。
金総書記が多少でも「改革・開放」へ踏み出す可能性はないのか。この質問
に、高氏はこう答えた。
「彼はあまりに人を殺しすぎた。内にも外にもうそをつきすぎた。限定的な
開放はできても、政治体制の改革はできない。改革すれば、悪事がすべてば
れ、体制が崩壊するからだ」
不満抑圧、組織化されず
鉄の監視・統制の下、北朝鮮の人々は生活苦にあえぐ。北朝鮮に反体制勢力
は存在しないのか。
1995年4月、北朝鮮北部、清津の朝鮮人民軍・第6軍団に査察が入っ
た。将校らが平壌に進撃し、政権を覆そうという計画を立てた容疑だった。政
治委員(少将)を筆頭に数百人が銃殺刑に処され、同軍団は解体、再編され
た。ソウルの消息筋が語った「第6軍団事件」である。
韓国に亡命した元中佐も事件を知っていた。「韓国との戦争勃発(ぼっぱ
つ)を想定し、背後から北朝鮮軍を狙う構想を練っていた」。同事件ながら、
聞いた内容は異なる。北朝鮮では、体制にかかわる情報がいかに統制されてい
るかを示している。
96年、平壌北西、平安南道・文徳郡の工場の煙突に「人が主人というな
ら、人を生かしてくれ」との文言が大書された。97年、平壌の松新市場で
「政治改革」を求めるビラがまかれた。ソウルには38度線を越えてこの種の
情報が入ってくる。厳しい統制下でも体制批判の動きは確実にある。
ソウルの消息筋は「最近の脱北者の証言でも地下鉄に体制批判の落書きが
あったり、金日成の肖像画にペンキがかけられたりしている。社会の底流には
不満が渦巻いているが、組織化はされていない」と語る。
ム・イルソン)主席は5、60年代、中国派、ソ連派を次々に打倒。67年5
月の朝鮮労働党中央委員会総会で権力を完全に握り、「党の唯一思想体系」を
打ち出した。
「唯一思想」とはもちろん金日成思想、主体(チュチェ)思想のことだ。全
党員が金主席の思考通り行動する。それ以外の思想、指導者の存在は許されな
くなった。
唯一思想を武器に「全社会の金日成主義化」を進めたのが息子の金総書記
だった。7、80年代に党を掌握。イデオロギー解釈権を独占し、軍権も握っ
た。北朝鮮社会の隅々まで監視・統制網を敷く恐怖政治を実行した。反対者は
処刑し、その家族らは強制収容所へ送った。
父を全知全能の「神」に仕立てれば、自分は必然的に「神の子」となる。こ
の国は67年を境に「金王朝」へ変質し、「王朝存続」が自己目的化していっ
た。
91年に韓国に亡命した北朝鮮の元外交官、高英煥(コ・ヨンファン)氏
(49)(現・統一政策研究所室長)は言う。
「金正日が力を持った70年代から党幹部の自宅や自動車にまで盗聴器が仕
掛けられた。収容所が急増したのも70年代。収容者は現在まで延べ300万
人に上る。こんな国がありますか」
「金王朝」という“神聖国家”を目指しても、経済を維持し、民生に目を配
ることは可能なはずだ。しかし、総書記は核、ミサイルなど軍備増強を優先、
金主席を賛美する巨大建造物建設に巨費を投じ、人々の生活を顧みることはな
かった。
北朝鮮はその結果、監視・統制網で政治体制は堅固ながら、90年代には
300万とも言われる餓死者まで出す奇形国家となった。
金総書記が多少でも「改革・開放」へ踏み出す可能性はないのか。この質問
に、高氏はこう答えた。
「彼はあまりに人を殺しすぎた。内にも外にもうそをつきすぎた。限定的な
開放はできても、政治体制の改革はできない。改革すれば、悪事がすべてば
れ、体制が崩壊するからだ」
不満抑圧、組織化されず
鉄の監視・統制の下、北朝鮮の人々は生活苦にあえぐ。北朝鮮に反体制勢力
は存在しないのか。
1995年4月、北朝鮮北部、清津の朝鮮人民軍・第6軍団に査察が入っ
た。将校らが平壌に進撃し、政権を覆そうという計画を立てた容疑だった。政
治委員(少将)を筆頭に数百人が銃殺刑に処され、同軍団は解体、再編され
た。ソウルの消息筋が語った「第6軍団事件」である。
韓国に亡命した元中佐も事件を知っていた。「韓国との戦争勃発(ぼっぱ
つ)を想定し、背後から北朝鮮軍を狙う構想を練っていた」。同事件ながら、
聞いた内容は異なる。北朝鮮では、体制にかかわる情報がいかに統制されてい
るかを示している。
96年、平壌北西、平安南道・文徳郡の工場の煙突に「人が主人というな
ら、人を生かしてくれ」との文言が大書された。97年、平壌の松新市場で
「政治改革」を求めるビラがまかれた。ソウルには38度線を越えてこの種の
情報が入ってくる。厳しい統制下でも体制批判の動きは確実にある。
ソウルの消息筋は「最近の脱北者の証言でも地下鉄に体制批判の落書きが
あったり、金日成の肖像画にペンキがかけられたりしている。社会の底流には
不満が渦巻いているが、組織化はされていない」と語る。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.