小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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「地上の楽園」過酷だった

投稿者: ringo_rn 投稿日時: 2003/01/30 16:11 投稿番号: [45636 / 232612]
「地上の楽園」過酷だった 「脱北」日本人妻帰国   うつむき…祖国の土

  「できることなら最後は日本の土の上で死にたい」。昭和三十四年、二十一歳の若さで、在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮に渡った日本人妻(六四)が二十九日、関西空港に到着。四十四年ぶりの帰国を果たした。女性は北朝鮮から中国に脱出していた。これまでにも内密に帰国した日本人妻はいたが、女性は公然化した中で日中両国間で交渉し、帰国が実現した初めてのケース。女性が語る「北」の生活は、当時、日本に伝えられた「地上の楽園」とはほど遠い過
酷なものだった。
  外務省職員らが出迎える中、女性を乗せた中国北方航空機が到着。一般客三、四十人が先にゲートを通過した後、女性が現れた。

  カメラのフラッシュが一斉にたかれる中、黒いコート姿に、頭からすっぽりと金色のスカーフをまとった女性は、外務省職員に周りをガードされ、足早にゲートを通過。報道陣からの問いかけにも終始無言で、うつむいたままだった。

  関係者の話では、女性は「普通の日本人として帰りたい」と周囲に希望を漏らし、中国で洋服や化粧品を新調、飛行機に乗ったという。

      ◇

  女性が「週刊新潮」などに発表した手記によると、東京都内で電気店を経営していた在日朝鮮人の夫と、北朝鮮帰還事業の第一次帰国船で北朝鮮に渡った。高級アパートに入居したこともあったが、十年目に突然、夫が「政治犯」として連行されて以来、つらく苦しい生活が始まった。

  子供二人を抱き、冬は氷点下三〇度以下の日が続くという中朝国境に近い極寒の地に追放された。六畳一間と台所しかない粗末なレンガ造りの五軒長屋で、収入もほとんどない。秋から冬にかけては山に行き、木を伐採し、まきにして町で売り、生計を立てた。主食は山に自生するジャガイモやトウモロコシで、米は故金日成主席と金正日総書記の誕生日など年三回しか食べられなかったという。

  「そんな暮らしを続けたせいか、四十歳を過ぎたころ、私の頭は真っ白になっていました」

  悲しみをまぎらわすため、「篭の鳥」などの日本の歌をよく歌った。だが、人前で歌うと罰せられるため、近くの川で洗濯をしながら水音にまぎらわせて口ずさむしかなかった。歌詞に自分の姿を重ねて泣きそうになることもあったが、冬だと涙が凍るので我慢したという。

  「疲れて布団に横になると、ふるさとの街角やたたずまいがまぶたの裏に浮かぶんです。でもその続きを夢で見ようと思っても全く見られない。もう私には夢さえ見る気力もなかったのです」

  六十歳を超え、「自分の足で歩けるうちに、そして死ぬ前に日本の土を踏み、死に目に会えなかった両親の墓参りをしたい」と、昨年十一月下旬に中朝国境の豆満江を渡った。両岸から国境警備隊が目を光らせ、仮に捕まればどんな仕打ちが待っているかわからない。それを思ったら、川の冷たさよりも、恐ろしさに身がすくみそうだったという。

      ◇

  外務省によると、女性から「インタビューや撮影は遠慮したい」と、報道各社に伝えてほしいとの要請があったという。


http://www.sankei.co.jp/news/evening/e30nat001.htm
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