北送事業4(転載)
投稿者: kitachousendeikirai 投稿日時: 2003/01/01 17:53 投稿番号: [37179 / 232612]
■7.帰国者5千数百人の強制収容所■
一家が運ばれたのは、平壌の東北100キロの地点にある政治犯強制収容所だった。67平方キロもの広大な土地が電気鉄条網で囲まれ、1キロ間隔で機銃を備えた監視塔がある。ここでは約5万人の政治犯が収容されているという。
一家を乗せたトラックは、高さ3mもの鉄の門をくぐってから、さらに3,40分も走って「十班」と名付けられた集落に着いた。住まいは土と石灰で作ったブロックを重ね、板葺きにした長屋。一家5人が横になったら一杯になってしまう一部屋と、かまどのある土間の二間しかなかった。
十班には1棟に5世帯ほどが入居したこのような長屋が、5,6百棟あり、日本からの帰国者ばかり5千数百人が住んでいた。
この収容所だけで9万3千余人の帰国者のうち、二十分の一以上が収容されている計算となる。北朝鮮にはこのような政治犯収容所が15カ所ある。
十班では、祖母の日本での顔見知りもかなりいた。互いに抱き合い、「どうして来たのか」と言いながら泣いた。自分がなぜ収容所に入れられたのか分からない人がほとんどだった。
一家は翌日から農作業、山菜採取、金鉱山発掘などの作業に従事させられた。朝6時の人員点呼から夜8時まで、途中30分の休みを2回とるだけで、ぶっつづけに働かされる。午後
10時から一時間「金日成の徳性談」について思想教育があり、午後11時にようやく眠るという生活だった。
■8.食事は一日トウモロコシ550グラム■
食事は成人で一日当たり550グラムのトウモロコシを1ヶ月分まとめて支給される。副食はドングリで作った味噌をスプーン1杯分。週に一度だけ塩がついた。いつも腹を空かせていて、カエル、ヘビ、ネズミ、雑草など手当たり次第食べる。姜哲煥は13歳の時に、トウモロコシ畑でネズミの巣穴を見つけた時の嬉しさが忘れられない。掘り進むと4匹もネズミが見つかり、焼いて食べた。
他の収容者からも「半チョッパリ(半日本人)」と蔑まれ、厳しい生活に適応できずに早死にする人も多かった。77年から 79年までに、日本人妻だけで新たに14人が入所したが、そのうち12人は肺病や飢えなどで死亡、無事に出所できたのは2人だけだった。
飢えと重労働から逃れるために、逃亡を図る人も少なくない。
しかし、栄養不足で体力のない収容者は、険しい山間にある外壁にたどりつくことすら難しかった。逃亡を図って捕まったり、保衛部員を殴るなどして者は、毎月の「公開処刑」で銃殺された。
これは メッセージ 37178 (kitachousendeikirai さん)への返信です.
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