年末に万景峰92は新潟に来なかった
投稿者: kitachousendeikirai 投稿日時: 2002/12/28 13:25 投稿番号: [35831 / 232612]
ミサイル輸出も出来ず、重油もアメリカに恵んでもらえず。
そして、朝鮮総連の正月資金の仕送りも止まってしまった。
北朝鮮の一連の恫喝行動は、
アメリカにまったく相手にされない焦りがもたらしたものだろう。
しかし、事態はますます悪くなり、墓穴を掘るだけ。
瀬戸際外交もこう相手にされないと哀れを誘う、、、
ますます、自国民から絞りとるしかないだろう。
こんな乞食国家は、ほっとけ、ほっとけ。
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2002/12/28 (産経新聞朝刊)
点景2002 日朝史の象徴、姿なく(12/28)
にび色の空に、かもめが飛んでいる。冬の海風が、信濃川河口にある新潟港の波しぶきを吹き上げている。例年なら、正月用のみかんや餅(もち)などを日本から運ぶため、この時期に中央埠頭(ふとう)に接岸している北朝鮮の貨客船「万景峰92」の姿が、今年はみえない。
十一月末、最後の入港となった万景峰92を待ち構えたのはびっしり並んだカメラの放列だった。十月に拉致被害者五人が新潟、福井、佐渡に帰って以後、特に日本海岸の人たちの「反北感情」が激しくなり、矛先は万景峰92に向かった。拉致被害者支援グループからは「入港拒否」アピールが続々と出された。県や地元議会には、入港抗議の電話が何十本とかかってきた。
「ここから、すぐですよ」というタクシーの運転手さんの言葉にハッとした。横田めぐみさんが拉致された海岸は万景峰92の接岸する中央埠頭から車でわずか十五分の距離だ。「拉致の海」のすぐ横に万景峰92は毎年、何事もなかったように入港した。岸壁には五年ほど前まで毎回百人を超える地元の朝鮮系の生徒や住民たちが動員され、「マンセー(万歳)」の声と金日成主席をたたえる歌が響く歓迎行事が行われた。
万景峰92は、北朝鮮と日本の歴史の象徴ともいうべき新潟−北朝鮮・元山、清津航路の三代目貨客船である。
この航路は昭和三十四年に始まった「帰国事業」の片道航路に長く使われた。故金日成主席と朝鮮総連が北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝し、これを信じた在日朝鮮人や日本人妻が「帰国」していった。その数およそ九万三千人。しかし祖国に「楽園」はなかった。
船には北から朝鮮労働党幹部も「船員」として乗船してくる。上陸はせず、総連幹部を東京から呼び付け、「北の指令」を「船上指導」する。十一月末の入港でも党幹部が乗船していたことがわかっている。船の荷物にまぎれての不正送金も疑われて久しい。
「疑惑の船」の入港拒否運動は、テポドンが飛んだ一九九八年にも起きた。このとき政府は寄港制限まで検討したが、結局、現行法では無理との判断だった。日朝交渉と関連する政治判断もあって現状での入港差し止めは難しそうだ。
万景峰92が師走の新潟港に入港しなかった理由ははっきりしていない。ただ、金正日総書記が拉致を認め謝罪した日朝首脳会談後、在日朝鮮人社会が揺れているのは確かだ。そのせいか、いつもなら在日社会が調達する「(正月用の)金も荷物もない…」(日朝関係者)ともいわれている。新潟港に吹く海風は冷たい。
▲北朝鮮の対日工作拠点となっていた万景峰92が、今年の年末は新潟港に現れないようだ。覚せい剤密売、偽札製造、不正送金、拉致、サヨクを利用した反日活動などなど、戦後半世紀に渡り我が国の国益を蝕んできた朝鮮労働党と朝鮮総連は崩壊の危機に瀕している。今こそ日本政府と日本国民は一丸となって世論を盛り上げ、北朝鮮を徹底的に糾弾して拉致被害者を取り戻し、国家の威信を回復しなければならない(れおなるど)
そして、朝鮮総連の正月資金の仕送りも止まってしまった。
北朝鮮の一連の恫喝行動は、
アメリカにまったく相手にされない焦りがもたらしたものだろう。
しかし、事態はますます悪くなり、墓穴を掘るだけ。
瀬戸際外交もこう相手にされないと哀れを誘う、、、
ますます、自国民から絞りとるしかないだろう。
こんな乞食国家は、ほっとけ、ほっとけ。
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2002/12/28 (産経新聞朝刊)
点景2002 日朝史の象徴、姿なく(12/28)
にび色の空に、かもめが飛んでいる。冬の海風が、信濃川河口にある新潟港の波しぶきを吹き上げている。例年なら、正月用のみかんや餅(もち)などを日本から運ぶため、この時期に中央埠頭(ふとう)に接岸している北朝鮮の貨客船「万景峰92」の姿が、今年はみえない。
十一月末、最後の入港となった万景峰92を待ち構えたのはびっしり並んだカメラの放列だった。十月に拉致被害者五人が新潟、福井、佐渡に帰って以後、特に日本海岸の人たちの「反北感情」が激しくなり、矛先は万景峰92に向かった。拉致被害者支援グループからは「入港拒否」アピールが続々と出された。県や地元議会には、入港抗議の電話が何十本とかかってきた。
「ここから、すぐですよ」というタクシーの運転手さんの言葉にハッとした。横田めぐみさんが拉致された海岸は万景峰92の接岸する中央埠頭から車でわずか十五分の距離だ。「拉致の海」のすぐ横に万景峰92は毎年、何事もなかったように入港した。岸壁には五年ほど前まで毎回百人を超える地元の朝鮮系の生徒や住民たちが動員され、「マンセー(万歳)」の声と金日成主席をたたえる歌が響く歓迎行事が行われた。
万景峰92は、北朝鮮と日本の歴史の象徴ともいうべき新潟−北朝鮮・元山、清津航路の三代目貨客船である。
この航路は昭和三十四年に始まった「帰国事業」の片道航路に長く使われた。故金日成主席と朝鮮総連が北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝し、これを信じた在日朝鮮人や日本人妻が「帰国」していった。その数およそ九万三千人。しかし祖国に「楽園」はなかった。
船には北から朝鮮労働党幹部も「船員」として乗船してくる。上陸はせず、総連幹部を東京から呼び付け、「北の指令」を「船上指導」する。十一月末の入港でも党幹部が乗船していたことがわかっている。船の荷物にまぎれての不正送金も疑われて久しい。
「疑惑の船」の入港拒否運動は、テポドンが飛んだ一九九八年にも起きた。このとき政府は寄港制限まで検討したが、結局、現行法では無理との判断だった。日朝交渉と関連する政治判断もあって現状での入港差し止めは難しそうだ。
万景峰92が師走の新潟港に入港しなかった理由ははっきりしていない。ただ、金正日総書記が拉致を認め謝罪した日朝首脳会談後、在日朝鮮人社会が揺れているのは確かだ。そのせいか、いつもなら在日社会が調達する「(正月用の)金も荷物もない…」(日朝関係者)ともいわれている。新潟港に吹く海風は冷たい。
▲北朝鮮の対日工作拠点となっていた万景峰92が、今年の年末は新潟港に現れないようだ。覚せい剤密売、偽札製造、不正送金、拉致、サヨクを利用した反日活動などなど、戦後半世紀に渡り我が国の国益を蝕んできた朝鮮労働党と朝鮮総連は崩壊の危機に瀕している。今こそ日本政府と日本国民は一丸となって世論を盛り上げ、北朝鮮を徹底的に糾弾して拉致被害者を取り戻し、国家の威信を回復しなければならない(れおなるど)
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.