小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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>Re<原爆おとされたウラミは忘れません

投稿者: dorippy_tyan 投稿日時: 2002/11/28 12:16 投稿番号: [26937 / 232612]
>当時の米国の日本への核投下の戦略について詳しい方教えて下さい

以下はコピペですが、このような事情だったように考えています。

ドイツが降伏し、日本の敗戦がほぼ決定的となった昭和二〇年七月十七日、ドイツのベルリン郊外にあるポツダムに米英ソの首脳が集まった。この会談はチャーチル(英首相)の呼びかけで行われたもので、基本的にはドイツ、イタリア降伏後のヨーロッパの戦後処理の打ち合せだった。が、トルーマン(米大統領)としては対日本戦の終結を急いでいた。最終局面での日本の予想外の抵抗に焦れ、米国としてはソ連の参戦を要求したのだ。

  ここでスターリンは「八月十五日にソ連が対日戦に参戦する」と約束する。この日の日記にトルーマンは「(ソ連が参戦するから)これでジャップ(日本)は終わりだ」と喜びを綴っている。
 
  このとき採用された『ポツダム宣言』は全十三項から成り、そこには「天皇制の廃止を必ずしも意味しない」という一項も存在していた。
 
  だが、翌七月十八日、事態は急変する。秘かに英国・カナダ等の協力を得て研究・開発していた原爆が完成したとの報せをトルーマンは手にしたのだ。

  ポツダム会談以前に、米英露の三国はヤルタ会談によって日本の領土割譲を話し合っていた(当時の米大統領はルーズベルト)。ヤルタ会談の内容は、連合国の共同綱領となっていた「大西洋憲章」の領土不拡大原則を破るものであったが、三国首脳にとって日本に対して正義を貫く意識など毛頭なかった。

  原爆完成の報を手にして、トルーマンの態度が変わった。ソ連の参戦を待たずに日本を降伏させることができる!   そしてそれは、ヤルタ会談の決定……日本を連合国が分割支配する……を無視できるものなのだ。
 
  いっぽう日本は、六月末には宮中勢力によって終戦工作が本格化していた。六月二二日には天皇陛下自らが終戦への努力を求め、これを受けて鈴木内閣は終戦の仲介をソ連に依頼しようとしていた。東郷(茂徳)外相、佐藤(尚武)駐ソ大使らが必死にソ連を口説くが敵は動く気配を見せない。七月十二日、天皇は国體の存続だけを条件に無条件降伏を呑むと決断、近衛文麿を特使としてモスクワに派遣させるが、スターリンもモロトフ外相もポツダムに向けて出発した後だった。

  七月二六日、トルーマンは『ポツダム宣言』の一項を修正して各国に発表、同時に日本にもこれを打電する。そこでは前の宣言にあった天皇制についての保証は消えていた。この前日、七月二五日にトルーマンは原爆投下の命令書にサインしている。目標は広島・小倉・新潟・長崎の四市に選定されていた。

  そして八月六日、広島に初めての原爆が投下された。

  すでに日本は敗戦を認め、連合国の一員であるソ連に何度となく戦争終結の仲介を依頼していた。だが、ヤルタ、ポツダム会談を経て対日戦線に参加することで日本の領土を割譲(千島列島、樺太全域、その他の諸島)してもらえると考えていたスターリンは、日本側との会見を拒否して、ヨーロッパ戦線にいた軍を東方に移動させ、八月十五日参戦の準備を着々と進めていた。
 
  そこに米軍による原爆投下が起きたのである。
 
  ……ソ連の仲介を待たずに日本が無条件降伏するかもしれない。
 
  スターリンは焦った。何としても対日戦に参戦しなければならない。八月八日の深夜十一時にモロトフ外相が駐ソ大使館を訪れ、佐藤大使に日ソ中立条約の廃棄と対日宣戦を通告。翌九日早朝、ソ連軍は怒濤のように満州、南樺太に進撃を開始したのだ。
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