小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

イエローペリルについて

投稿者: jig1868 投稿日時: 2002/11/28 08:08 投稿番号: [26885 / 232612]
当初、予定された占領計画に、一般の日本人がどれほど熱狂したかはとうてい誇張しようがない。

降伏直後の数年を記憶する年輩の人たちは、絶望的だったにもかかわらず、その時期に深い郷愁を抱いている。

しかし、そのすぐ後に何が降りかかってくるかを知る日本人はいなかった。

民主主義らしき贈り物はまだ影も形もなかった。

それほど大層な贈り物となれば、どうあろうとも一筋縄ではいかない。

当然ながら、結局は、人にくれてやったり、もらったできるものではない日本人がまもなく思い知ったとおりだ。

そこで、浮かんでくるのは次のような疑問である。

アメリカ人がやってきて日本人がありがたがったのは、正確には何だったのだろうか。

彼らにわかっていたのは、戦争がおわったこと、天皇のために死ぬことはなくなったこと、勝者には自分たちを虐殺するつもりはない、という三つの驚きだけだった。


アメリカがくれた最大の贈り物は、いまも日本人がほろ苦く思い出すように、もっとささやかなものだった。

自分たちがいま一度やりなおし、前へ進む新しい道をみいだせそうだという見通しをもらったのだ。

アメリカは、(制限つきながら)   日本人に独自の選択をする時問と余地をあたえた。

選択とはたとえば、政党や労組を組織し、自分たちで決めた方法でリーダーを選ぶことだった。

日本人はそれまで従って生きてきた規範と慣習を疑ってみる余裕をもった。

なによりも、長い歴史の末にはじめて個人として考え、決断するよう奨励された。

彼らの眼にアメリカ人が神様のように映ったのはそのためだった。

この時代の記録には到着したGIたちのはちきれんばかりの肉体に驚嘆したという記述がしばしばみられるが、日本人を感心させたのは、アメリカ兵の体格と笑顔と気前のよさだけではなかった。

身振りそのものに、自分たちのキャラクターにはない自由と、自主性と、伸びやかさが溢れていた。


このアメリカの気前のよい贈り物   ・・・・・   いわば脇へどいてくれるという贈り物   ・・・・・   は、あいにくとたえず手加減されていたが、あっというまに全面撤回されてしまった。

1946年の秋、アメリカの有権者はハリー・トルーマンにたいして、1994年と96年にビル・クリントンにしたのと同じことをした。

民主党の大統領に、上院下院の両方で共和党に過半数の議席をあたえたのだ。

日本をいかに作りなおすかについて、当初からアメリカはけっしてひとつの意見でまとまっていたわけではなかった。

日本は黄禍   (イエローペリル)   であり、ヨーロッパのファシストとの提携関係を受け入れないとすれば、容易に左傾化するという見方が長いあいだ支持されていた。

1946年の選挙は   ・・・・・   まずアメリカで、その後、東京で   ・・・・・   事態を一変させた。

それにつづく一連の出来事を日本人は   「逆コース」   と呼ぶが、この略称が示すとおり、その根幹はアメリカの優先事項の変更にあった。





『日本人だけが知らない日本のカラクリ』

新潮社2000年発行、p.20より引用、パトリック・スミス著   (米国人ジャーナリストで元ニューヨーク・タイムズ記者)
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)