工作機関改編のたびに…拉致被害者は 1/2
投稿者: kitaguniniakogarete 投稿日時: 2010/01/02 19:21 投稿番号: [231921 / 232612]
真相解明を強く求める…中途半端な解決なんてありえない。
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工作機関改編のたびに…拉致被害者は選別され、姿を消した
1月2日16時6分配信 産経新聞
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100102-00000541-san-soci
拉致被害者が教官などをさせられていた北朝鮮の工作機関で、昭和53(1978)年、54年と61年に大規模な組織改編や人事異動があり、その都度、招待所に収容されていた拉致被害者が選別され、所在不明者が出ていたと、帰国した拉致被害者が政府に証言していることが分かった。この時期は、田口八重子さん=拉致当時(22)=や増元るみ子さん=同((24)=ら北朝鮮側が「死亡」としている被害者の一部の消息が分からなくなった時期と一致している。それは何を意味しているのか…。
■「私たちも危なかった」「ほかの工作部署にいるかもしれない」
日本人を拉致し、北朝鮮国内で教官などの任務を与えて管理していたのは、「対外情報調査部」という工作機関だったことが、これまでの捜査で分かっている。後に「35号室」と名称変更したとされるこの機関は、朝鮮労働党に置かれた工作機関の1つ。韓国への浸透・破壊工作を担当していた党中央対南担当書記が所管していたが、脱北者によると、「1998(平成10)年以降、金正日総書記の直轄となった」。
警察当局は、帰国した被害者らに対する拉致容疑の捜査過程で、事件は対外情報調査部が企画、主導したものと断定。蓮池薫さん(52)夫妻を拉致したとして国際手配中の通称チェ・スンチョル容疑者ら7容疑者は、いずれも同部の所属だったとされる。
「昭和53、54年と61年に対外情報調査部で大規模な組織改編と人事があったようです。その都度、管理されていた日本人拉致被害者が選別され、消えていった」
帰国した拉致被害者の1人は政府の調査にこう証言したという。証言はさらに詳細に「消えていった」日本人に言及している。
「組織改編のうち、61年のものは特に大きかった。それまで、招待所で一緒に暮らしていた日本人の大半が、そのとき姿を消した」
61年。この年、拉致被害者の生活に何があったのだろうか。
当時、日本人拉致被害者は、蓮池さん夫妻、地村保志さん(54)夫妻、そして横田めぐみさん=同(13)=と田口さんのペアで、忠龍里内の2地区の別棟の家屋に住んでいた。そして、この招待所には、さらに日本人男性2人も、それぞれ別棟に住んでいたという目撃情報がある。
61年当時、忠龍里には少なくとも8人の日本人が住んでいたことになる。
政府に対する帰国被害者の証言はこう続く。
「61年の大規模な組織改編の後、それまで忠龍里に住んでいた日本人の大半が姿を消した。田口さんにもその後会っていない。男性2人の行方も分からない」
忠龍里に残った蓮池さん夫妻と地村さん夫妻、それに横田さんの5人はその後、大陽里の招待所に転居。
結局、この時に忠龍里から去った被害者は後に「死亡」とされ、大陽里に移転できた被害者は、横田さんを除き、日本に帰った。
両者を分けたものは何か。
帰国被害者は「選別されたのだろう。適性のある部署に異動させられたり、不適応や信用できないと判断された人は切られていったのではないか。大陽里に転居できたのは、いずれも優等生だった。61年のときは、自分たちの処遇も危なかったと、後で指導員から聞かされた」と打ち明けたという。
そして姿を消した人々の行方について「3号庁舎(工作機関)の他の部署にいるかもしれない」と指摘したという。
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工作機関改編のたびに…拉致被害者は選別され、姿を消した
1月2日16時6分配信 産経新聞
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100102-00000541-san-soci
拉致被害者が教官などをさせられていた北朝鮮の工作機関で、昭和53(1978)年、54年と61年に大規模な組織改編や人事異動があり、その都度、招待所に収容されていた拉致被害者が選別され、所在不明者が出ていたと、帰国した拉致被害者が政府に証言していることが分かった。この時期は、田口八重子さん=拉致当時(22)=や増元るみ子さん=同((24)=ら北朝鮮側が「死亡」としている被害者の一部の消息が分からなくなった時期と一致している。それは何を意味しているのか…。
■「私たちも危なかった」「ほかの工作部署にいるかもしれない」
日本人を拉致し、北朝鮮国内で教官などの任務を与えて管理していたのは、「対外情報調査部」という工作機関だったことが、これまでの捜査で分かっている。後に「35号室」と名称変更したとされるこの機関は、朝鮮労働党に置かれた工作機関の1つ。韓国への浸透・破壊工作を担当していた党中央対南担当書記が所管していたが、脱北者によると、「1998(平成10)年以降、金正日総書記の直轄となった」。
警察当局は、帰国した被害者らに対する拉致容疑の捜査過程で、事件は対外情報調査部が企画、主導したものと断定。蓮池薫さん(52)夫妻を拉致したとして国際手配中の通称チェ・スンチョル容疑者ら7容疑者は、いずれも同部の所属だったとされる。
「昭和53、54年と61年に対外情報調査部で大規模な組織改編と人事があったようです。その都度、管理されていた日本人拉致被害者が選別され、消えていった」
帰国した拉致被害者の1人は政府の調査にこう証言したという。証言はさらに詳細に「消えていった」日本人に言及している。
「組織改編のうち、61年のものは特に大きかった。それまで、招待所で一緒に暮らしていた日本人の大半が、そのとき姿を消した」
61年。この年、拉致被害者の生活に何があったのだろうか。
当時、日本人拉致被害者は、蓮池さん夫妻、地村保志さん(54)夫妻、そして横田めぐみさん=同(13)=と田口さんのペアで、忠龍里内の2地区の別棟の家屋に住んでいた。そして、この招待所には、さらに日本人男性2人も、それぞれ別棟に住んでいたという目撃情報がある。
61年当時、忠龍里には少なくとも8人の日本人が住んでいたことになる。
政府に対する帰国被害者の証言はこう続く。
「61年の大規模な組織改編の後、それまで忠龍里に住んでいた日本人の大半が姿を消した。田口さんにもその後会っていない。男性2人の行方も分からない」
忠龍里に残った蓮池さん夫妻と地村さん夫妻、それに横田さんの5人はその後、大陽里の招待所に転居。
結局、この時に忠龍里から去った被害者は後に「死亡」とされ、大陽里に移転できた被害者は、横田さんを除き、日本に帰った。
両者を分けたものは何か。
帰国被害者は「選別されたのだろう。適性のある部署に異動させられたり、不適応や信用できないと判断された人は切られていったのではないか。大陽里に転居できたのは、いずれも優等生だった。61年のときは、自分たちの処遇も危なかったと、後で指導員から聞かされた」と打ち明けたという。
そして姿を消した人々の行方について「3号庁舎(工作機関)の他の部署にいるかもしれない」と指摘したという。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.