9月17日を忘れる勿れ⑥
投稿者: komash0427 投稿日時: 2006/12/28 23:16 投稿番号: [230021 / 232612]
飯倉公館1階の待合室に、「生存」とされた被害者たちの家族が戻ってきた。みんな泣いたり目を赤くしたりしている。そして、泣くこともできずにいる「死亡」とされた家族たちに向かって、「ごめんなさい」「ごめんなさい」と謝った。横田滋さんが、その人たちに向かって「よかったね」と、やさしく声をかけた。蓮池薫さんの兄・透さんが照明さんに向かって言った。
「増元さん、これは信じちゃいけない」。
その場にいた全員が抱き合って泣き出したのは、その直後だった。
午後6時前から、衆議院第一議員会館で、家族たちの記者会見が始まった。照明は、“るみ姉”は何で死んでしまったのだろうと考えていた。処刑しかないと思った。だから会見では、(解決の足を引っ張り続けたとしか思えぬ)社民党や共産党を名指しで非難した。
フミ子は病室で見てるだろう両親に向かって、「父ちゃん、母ちゃん、(死亡情報は)信じること、できないからね。気を確かに持って、頑張って・・・・・」と半ば叫ぶように言って、声を詰まらせた。
翌日、鹿児島の病院に到着した照明に、父の正一が真っ先にかけた言葉は、「ご苦労だったね」だった。その朝、家族会メンバーの宿泊先を訪れた安倍晋三官房副長官も、安否情報は北朝鮮がいってきたままを伝えたもので、日本政府として確認をしているわけではないと言っていた。母の信子にもそう伝えたが、信子は泣くばかりだった。
父の正一も、気丈にしているが、目には元気がなかった。この日から丸1ヵ月後の10月17日、正一は79歳の生涯を終えることになるが、そんなに早く逝ってしまうとは、家族の誰も想像していなかった。「死亡」情報がショックだったんだ。生きようとするオヤジの最後の力を削り取ったんだ。照明は、そう思った。確認もせずに簡単に死亡通告した外務省がオヤジの寿命を縮めたんだ。
10月15日、「生存」の5人が羽田を降り立った日。
その前後の日々、増元家では濃密な時間が慌ただしく流れていた。10日、酸素マスク姿の正一は、照明がまわすビデオカメラに向かって、最後となるメッセージを残した。「るみ子、父ちゃんもね、こんな姿になってしまって、もう迎えにいけんから、帰ってきてくれ」。
11日昼過ぎ、正一の容体が大幅に悪化して延命措置を取ることに踏み切る。自力呼吸は停止され、喉に人工呼吸用の管が差し込まれた。姉弟3人で相談した結果だった。「迷いましたが、やはり1日でも長くと。どういう状態であれ、息があるうちに妹に会わせたいと思いましたから」とフミ子。その日の午前中、最後の力を振り絞ったのか、正一は掠れる声で驚くほどいろいろなことをしゃべっている。
「俺は、るみ子と市川君との結婚を許す。るみ子と市川君は仲睦まじく暮らしている。2人は愛し合っている。市川君が鹿児島で悪者に切られそうになったとき、るみ子が庇って、刃で2本の傷を負ったが、それもすぐ治った。それくらい、2人の愛は強い。だから許す。子供も3人いる」
耳をそばだてて懸命に聞き取っていたフミ子は、父が今見たばかりの夢を話しているのだと気づいた。父親には、まだ「市川君」の存在を報告しないまま、拉致されてしまったるみ子。その2人の交際を認め、結婚を許すと、初めて正一がそのことに触れたのだ。怖いほど真剣な顔だった。そのあと、照明には、“遺言”とも言うべき言葉を残している。
「わしは日本を信じるッ!だからお前も信じろッ!」と。
いくら救出を叫んでも、必死で動いてはくれなかった国。裏切り続けられた日本だが、娘の救出の貯めには、その日本を信じるしかないという気持ちが滲み出ていた。正一が息を引き取った日、新聞記者に、「るみ子さんが帰ってくるまで、もう少し長生きして欲しかったですね」と尋ねられたフミ子は、きっぱりと次のように答えている。「いいえ、そうではありません。政府のほうがもう少し早く動いていてくれたら、間に合ったかもしれないんです」。
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「増元さん、これは信じちゃいけない」。
その場にいた全員が抱き合って泣き出したのは、その直後だった。
午後6時前から、衆議院第一議員会館で、家族たちの記者会見が始まった。照明は、“るみ姉”は何で死んでしまったのだろうと考えていた。処刑しかないと思った。だから会見では、(解決の足を引っ張り続けたとしか思えぬ)社民党や共産党を名指しで非難した。
フミ子は病室で見てるだろう両親に向かって、「父ちゃん、母ちゃん、(死亡情報は)信じること、できないからね。気を確かに持って、頑張って・・・・・」と半ば叫ぶように言って、声を詰まらせた。
翌日、鹿児島の病院に到着した照明に、父の正一が真っ先にかけた言葉は、「ご苦労だったね」だった。その朝、家族会メンバーの宿泊先を訪れた安倍晋三官房副長官も、安否情報は北朝鮮がいってきたままを伝えたもので、日本政府として確認をしているわけではないと言っていた。母の信子にもそう伝えたが、信子は泣くばかりだった。
父の正一も、気丈にしているが、目には元気がなかった。この日から丸1ヵ月後の10月17日、正一は79歳の生涯を終えることになるが、そんなに早く逝ってしまうとは、家族の誰も想像していなかった。「死亡」情報がショックだったんだ。生きようとするオヤジの最後の力を削り取ったんだ。照明は、そう思った。確認もせずに簡単に死亡通告した外務省がオヤジの寿命を縮めたんだ。
10月15日、「生存」の5人が羽田を降り立った日。
その前後の日々、増元家では濃密な時間が慌ただしく流れていた。10日、酸素マスク姿の正一は、照明がまわすビデオカメラに向かって、最後となるメッセージを残した。「るみ子、父ちゃんもね、こんな姿になってしまって、もう迎えにいけんから、帰ってきてくれ」。
11日昼過ぎ、正一の容体が大幅に悪化して延命措置を取ることに踏み切る。自力呼吸は停止され、喉に人工呼吸用の管が差し込まれた。姉弟3人で相談した結果だった。「迷いましたが、やはり1日でも長くと。どういう状態であれ、息があるうちに妹に会わせたいと思いましたから」とフミ子。その日の午前中、最後の力を振り絞ったのか、正一は掠れる声で驚くほどいろいろなことをしゃべっている。
「俺は、るみ子と市川君との結婚を許す。るみ子と市川君は仲睦まじく暮らしている。2人は愛し合っている。市川君が鹿児島で悪者に切られそうになったとき、るみ子が庇って、刃で2本の傷を負ったが、それもすぐ治った。それくらい、2人の愛は強い。だから許す。子供も3人いる」
耳をそばだてて懸命に聞き取っていたフミ子は、父が今見たばかりの夢を話しているのだと気づいた。父親には、まだ「市川君」の存在を報告しないまま、拉致されてしまったるみ子。その2人の交際を認め、結婚を許すと、初めて正一がそのことに触れたのだ。怖いほど真剣な顔だった。そのあと、照明には、“遺言”とも言うべき言葉を残している。
「わしは日本を信じるッ!だからお前も信じろッ!」と。
いくら救出を叫んでも、必死で動いてはくれなかった国。裏切り続けられた日本だが、娘の救出の貯めには、その日本を信じるしかないという気持ちが滲み出ていた。正一が息を引き取った日、新聞記者に、「るみ子さんが帰ってくるまで、もう少し長生きして欲しかったですね」と尋ねられたフミ子は、きっぱりと次のように答えている。「いいえ、そうではありません。政府のほうがもう少し早く動いていてくれたら、間に合ったかもしれないんです」。
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これは メッセージ 230020 (komash0427 さん)への返信です.