9月17日を忘れる勿れ④
投稿者: komash0427 投稿日時: 2006/12/27 23:59 投稿番号: [230004 / 232612]
‘00(平12)年秋、照明は首相官邸で、時の森喜郎首相に土下座して訴えた。
「このままでは、うちの姉は殺されてしまいますッ!」
家族会と首相との面会の席だ。緊張のあまり、あとの言葉はうまく出てこなかった。
当時、森・野中体制の政府与党内には、日朝国交正常化を電撃的に実現してしまおうという動きが進行しつつあった。それは、拉致問題については「出口論」を意味していた。まず国交正常化を果たし、その結果として、後の交流の中で解決しようという考え方だ。拉致問題を解決してこそ正常化があるという、家族会の「入り口論」とは相いれない。照明は必死だった。北朝鮮側は「拉致問題などデッチ上げだ」と主張しているのだから、下手をすれば、正常化だけが行われて、拉致問題は棚上げされてしまう。ここで、森首相から、「拉致問題が解決しない限り、正常化はない」という言質を取っておかなければ、安易な気持ちで正常化に動かれたら、姉は殺されてしまう。「存在しない」はずの拉致被害者は、抹殺されてしまうだろう。
首相と会う前日の9月11日、家族会の会合が持たれ、こういった正常化の動きや明日の面会の段取りについて説明を受けた。その説明によると、正式には家族会のメンバーと会うのは中川秀直官房長官で、そこには森首相がたまたま通りかかって同席し、家族会のメンバーから話を聞く“予定”だという。そんなパフォーマンスの為に家族会と合うつもりなら、逆に喰って、首相から言質を取ってやろうと照明は考えた。横田夫妻、有本夫妻、蓮池ハツイさん・・・・・当日出席するメンバー9人の顔ぶれを考えると、自分がやるしかないと思った。代表の横田さんと森首相が丁重な挨拶を交わしたあと、まだ頭取りのテレビカメラが室内に残っているうちに、行動を起こす必要があった。
こうして照明の土下座は映像を通して多くの人の目に触れることとなり、大きなインパクトを与えた。森首相もこの日、結局、正常化と拉致問題は「同時解決」と語り、拉致問題を棚上げにはしないと言明することになる。「オヤジは僕には直接言いませんでしたけど、テレビで見て怒っていたそうです。オヤジの死後、オフクロがそう言っていました。お父ちゃん、怒っていたよ。『何で政治家に土下座なんかするんだ』って」。照明はそう語る。
テーブルを激しく叩いて首相に詰め寄るという「行動案」も考えてみたが、一国の首相相手にそれはまずい。インパクトを与えるためのぎりぎりの選択として、照明は土下座を選んだ。
父の正一も、何もしてくれない政府や政党に対する怒りを、募らせていた。家族会に加わってみて、日本政府が北朝鮮の拉致という疑惑を早くから持っていながら、20年近く何も積極的に動いてこなかったということを知った。家族会結成後も、いくら訴えても国は必死に助け出してくれようとはしない。公明党の最高幹部が鹿児島を訪れたときには、正一は面会を求め、救出のために動いてくれるように直接頼んでいる。その場では「はい、よくわかりました」と、とても色よい返事をもらったが、その後は結局、何の音沙汰もなし。「あの党は何にもならん」――その後の正一は激しい怒りようだった。その正一の死後、件の最高幹部から「鹿児島に行くので、仏前にお参りしたい」と連絡が入った。しかし、増元家では「いまさら来ていただいても何にもなりません。今後、拉致問題解決のために頑張っていただければうれしいです。他には何も言うことはありません」と来訪を断っている。
‘99年12月の超党派代表団の訪朝の際には、団長の村山富市元首相から、正一に直接電話が入った。思いがけない突然の電話だったが、これもパフォーマンスにすぎなかったのだろう。
「今から北朝鮮に行ってきます」と言って電話は一方的に切れた。だが、この訪朝団も日本の腰砕け外交・利的外交の歴史の積み重ねに過ぎなかった。
照明は若い頃、ずっと社会党(現・社民党)に投票していた。北朝鮮にパイプを持っている政党だから、ここが大きくなれば姉の問題も解決するのではないかという思いもあった。しかし、家族会に加わって以来、日朝関係の歴史を知れば知るほど、この党にこそ完全に裏切られていたのだということを思い知って、今照明は激しい怒りと悔悟を感じている。
家族会を結成してからは、何人かの総理大臣や外務大臣にあって、拉致被害者たちの救出を懇請した。「私にも娘がいますから(子供がいますから)、皆さんのお気持ちは、よ〜くわかります」・・・・・このセリフを、簡単に吐く大臣に限って、その後、結局何も動いてはくれなかった。こんなに訴えているのに、政府は外務省は、何で必死になってくれないのだろう。照明の胸には国に対する不信感だけが膨らんでいった。
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「このままでは、うちの姉は殺されてしまいますッ!」
家族会と首相との面会の席だ。緊張のあまり、あとの言葉はうまく出てこなかった。
当時、森・野中体制の政府与党内には、日朝国交正常化を電撃的に実現してしまおうという動きが進行しつつあった。それは、拉致問題については「出口論」を意味していた。まず国交正常化を果たし、その結果として、後の交流の中で解決しようという考え方だ。拉致問題を解決してこそ正常化があるという、家族会の「入り口論」とは相いれない。照明は必死だった。北朝鮮側は「拉致問題などデッチ上げだ」と主張しているのだから、下手をすれば、正常化だけが行われて、拉致問題は棚上げされてしまう。ここで、森首相から、「拉致問題が解決しない限り、正常化はない」という言質を取っておかなければ、安易な気持ちで正常化に動かれたら、姉は殺されてしまう。「存在しない」はずの拉致被害者は、抹殺されてしまうだろう。
首相と会う前日の9月11日、家族会の会合が持たれ、こういった正常化の動きや明日の面会の段取りについて説明を受けた。その説明によると、正式には家族会のメンバーと会うのは中川秀直官房長官で、そこには森首相がたまたま通りかかって同席し、家族会のメンバーから話を聞く“予定”だという。そんなパフォーマンスの為に家族会と合うつもりなら、逆に喰って、首相から言質を取ってやろうと照明は考えた。横田夫妻、有本夫妻、蓮池ハツイさん・・・・・当日出席するメンバー9人の顔ぶれを考えると、自分がやるしかないと思った。代表の横田さんと森首相が丁重な挨拶を交わしたあと、まだ頭取りのテレビカメラが室内に残っているうちに、行動を起こす必要があった。
こうして照明の土下座は映像を通して多くの人の目に触れることとなり、大きなインパクトを与えた。森首相もこの日、結局、正常化と拉致問題は「同時解決」と語り、拉致問題を棚上げにはしないと言明することになる。「オヤジは僕には直接言いませんでしたけど、テレビで見て怒っていたそうです。オヤジの死後、オフクロがそう言っていました。お父ちゃん、怒っていたよ。『何で政治家に土下座なんかするんだ』って」。照明はそう語る。
テーブルを激しく叩いて首相に詰め寄るという「行動案」も考えてみたが、一国の首相相手にそれはまずい。インパクトを与えるためのぎりぎりの選択として、照明は土下座を選んだ。
父の正一も、何もしてくれない政府や政党に対する怒りを、募らせていた。家族会に加わってみて、日本政府が北朝鮮の拉致という疑惑を早くから持っていながら、20年近く何も積極的に動いてこなかったということを知った。家族会結成後も、いくら訴えても国は必死に助け出してくれようとはしない。公明党の最高幹部が鹿児島を訪れたときには、正一は面会を求め、救出のために動いてくれるように直接頼んでいる。その場では「はい、よくわかりました」と、とても色よい返事をもらったが、その後は結局、何の音沙汰もなし。「あの党は何にもならん」――その後の正一は激しい怒りようだった。その正一の死後、件の最高幹部から「鹿児島に行くので、仏前にお参りしたい」と連絡が入った。しかし、増元家では「いまさら来ていただいても何にもなりません。今後、拉致問題解決のために頑張っていただければうれしいです。他には何も言うことはありません」と来訪を断っている。
‘99年12月の超党派代表団の訪朝の際には、団長の村山富市元首相から、正一に直接電話が入った。思いがけない突然の電話だったが、これもパフォーマンスにすぎなかったのだろう。
「今から北朝鮮に行ってきます」と言って電話は一方的に切れた。だが、この訪朝団も日本の腰砕け外交・利的外交の歴史の積み重ねに過ぎなかった。
照明は若い頃、ずっと社会党(現・社民党)に投票していた。北朝鮮にパイプを持っている政党だから、ここが大きくなれば姉の問題も解決するのではないかという思いもあった。しかし、家族会に加わって以来、日朝関係の歴史を知れば知るほど、この党にこそ完全に裏切られていたのだということを思い知って、今照明は激しい怒りと悔悟を感じている。
家族会を結成してからは、何人かの総理大臣や外務大臣にあって、拉致被害者たちの救出を懇請した。「私にも娘がいますから(子供がいますから)、皆さんのお気持ちは、よ〜くわかります」・・・・・このセリフを、簡単に吐く大臣に限って、その後、結局何も動いてはくれなかった。こんなに訴えているのに、政府は外務省は、何で必死になってくれないのだろう。照明の胸には国に対する不信感だけが膨らんでいった。
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