小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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9月17日を忘れる勿れ①

投稿者: komash0427 投稿日時: 2006/12/26 23:22 投稿番号: [229998 / 232612]
  あの日の、9月17日の、小泉訪朝の出来事について、4年という時間の経過とともにいろいろな視点でふり返る著作が出版されてきましたので、自分が手にした中から紹介して行きたいと思います。

  まずは3年前の6月に出版された「家族」(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会−著、光文社)から。

(第1章)から一部抜粋
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  ‘ 02(平14)年9月17日。いよいよ小泉訪朝の日がやってきた。日本の首相が初めて北朝鮮を訪れる。日朝のトップ同士が階段をすること自体が初めてだ。拉致問題の解決に向けて大きく扉が開かれる・・・・家族会のメンバーは肉親の無事を祈って、期待と不安を膨らませた。

  横田滋は、衆議院第1議員会館の会議室で、あとすこしで待ちに待った娘の消息がわかると、気持ちを高ぶらせていた。当日は一家4人で臨んだ。滋・早紀江夫婦と、拓也・哲也の双子の息子たち。滋は言う。息子たちも連れて行ったのは、めぐみのことを、私たちの口から『こういうところで生きていたんだよ』と間接的に伝えるより、直接聞かせてあげたいと思ったからなんです」。

  喜びの知らせを息子たちとともに受けたい、それほど娘の生還を信じていた。早紀江はその日の朝、家を出てくるときに、居間に飾ってある13歳当時の娘の写真に声をかけた。「めぐみちゃん、早く帰っておいで」。もう37歳になっているはずだ。

  やがて、外務省から、麻布の飯倉公館に来てほしいという連絡が入った。メンバー全員が外務省のチャーターしたバスで、そちらに移動する。到着したのは3時過ぎ。1階の部屋で、みんな一緒に待っていてくださいという。延々と待たされた。部屋の正面には大きなテレビが据えつけてある。それを見て、誰もが、平壌からの情報を直接伝えるためのホットラインだと思った。ところが、実際にはただNHKのニュースが流れているだけだ。その画面が、4時過ぎ、突然「9人生存」と報じ、すぐまた「数人」に訂正された。さらに何十分がたったころ、1階に担当者が現れて言った。「横田さんの、ご家族の方、どうぞ」。4人が一番最初に2階の別室に案内された。

  部屋には植竹繁雄外務副大臣と外務省の審議官が座っていた。
  「まことにお気の毒ですが、おたくのお嬢さまはお亡くなりになっておられます」

  植竹副大臣が、目を真っ赤にしながら断定的に告げた。

  「そんなこと、信じられません」。とっさに身を乗り出す滋と早紀江に、同副大臣は「確認のためこれまでお待たせしました」と説明した。しかし、家族の「(死んだのは)いつ、ですか?」という問いには、「わからないんです」というばかりだった。

  そのときのことを次男の哲也が言う。

  「飯倉公館でわれわれは『死刑宣告』されたんです。どん底に突き落とされた。頭が真っ白になりました。国や外務省は本当に何をやってきたんだという気持ちでいっぱいでした。

  実は、まだ1階にいるとき、外務省の幹部と思われる人が僕らのほうにやってきながら、すすり泣いていたんです。泣いているとわからないように顔を隠しながら。それを見たとき、僕は隣の椅子に座っていた拓也に、メモで『あまりいい報告じゃないかもしれないね』と書いて見せたんです。拓也も、うんとうなずいていました。うっすらと感じるものはあったのですが・・・・・」。

  4人は1階の部屋に戻った。泣いている姿を見せないように、押し黙っている滋。呆然としている一家に、誰も声をかけられない。みんな下を向いている無言の時間が流れた。

  そのあと、各家族が順々に、別室に呼ばれて戻ってきた。だが、無言の時間は続く。最期に4家族がまとめて呼ばれた。そこで『生存』といわれて戻ってきた蓮池さんのお母さんが、泣きながら、滋たちに「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝った。「死亡」とされた家族のために、涙を流している。しかし滋は「皆さんの家族が生きていることを、まず喜んでください」と「生存」とされた家族をやさしく気遣った。「こんなのは信じちゃいけない」・・・・やがて、その場に居たみんなが肩を抱き合って泣きはじめた。

  「家族会の絆の強さを、あのときほど感じたことはありませんでした」

  長男の拓也がそのときの思いを語る。

  「“家族会”という言葉さえ安っぽいと思いました。“家族”だと思いました。本当の“家族”が、ひとつの同じ悲しみのために一緒に涙を流していると感じました」

  そのころ、平壌では、小泉純一郎首相と金正日総書記が、「日朝平壌宣言」に署名していた。

  午後5時30分のことだ。
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