>Re: 核の議論
投稿者: komash0427 投稿日時: 2006/11/07 23:51 投稿番号: [229729 / 232612]
>私は、学校の体育館で『はだしのゲン』の映画を見せられた記憶があります。
>原爆(核)の恐怖は、副教材を含め教育の名の下に繰り返し繰り返しすり込まれました。
>それは、教師への反抗から彼らの言う『平和』『平等』『友好』『反戦』『話合』…から開放された現在においても落ちません。
自分の学校では「はだしのゲン」は上映されませんでしたね。
「はだしのゲン」はマンガをよく立ち読みしましたが、怖い内容だとわかっていてもついつい読んでしまいました。
この本はそうでもなかったと思うのですが、原爆にしろ都市への爆撃にしろ、無差別大量殺人を行ったのは米軍にもかかわらず、なぜか非難の矛先を当時の日本政府や軍部に向けてしまう、戦争の悲劇を訴える主張には納得がいきません。
>特に、官僚化された昭和の日本軍と日本国民においてはそれ(議論の封殺)が『先の大戦の大敗』につながったのだろうと想像しております。
>故に、日清日露から先の大戦までの日本軍の『負(個々人の責を問うのではなく)』を議論しなければならないとしているのです…(余談)。
夏から秋にかけては、終戦の日に割腹自殺を遂げて、陸軍を武装解除に導いた阿南惟幾陸軍大臣や、海外の戦犯収容所に抑留されている部下と一緒に労苦を共にするために自分からあえて進んで収容所へ身を置いた今村均陸軍大将、さらに抵抗する陸軍を説き伏せ手練手管を繰り広げて終戦に導いた元海軍大将の鈴木貫太郎首相などを描いた本を中心に読んできました。
確かに軍部は力を背景に戦争へ突き進んできたわけですし、酷いことをした軍人もいたのでしょうが、そうした人の悪行を今の視点で非難することよりも、そうした時代でも自分を見失わず、流されず、人格を研鑽し、軍務を最後まで全うした優れた指揮官たちに何かしらを見習うことの方が、ずっとましだと思います。
これは メッセージ 229703 (kitaguniniakogarete さん)への返信です.
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