Re: 参加するつもりはないって
投稿者: lpten712 投稿日時: 2006/09/10 10:09 投稿番号: [229261 / 232612]
故・富田朝彦氏のご遺族である妻
知子さん(81)が、今回このメモをメディアに公開した。しかしどういういきさつで日経に渡ったのかは定かではない。
昭和天皇のお言葉とされる富田メモは徳川侍従長の記者会見を記したものだという説もあるが、徳川氏の記者会見はメモの日付けは4月28日ではなく、4月21日である。
毎日新聞 勇退の徳川侍従長が会見、昭和史のエピソードなどを語る 1988.04.12 東京夕刊 9頁 社会 写図有 (全1,556字)
記事の冒頭を引用
勇退の徳川侍従長が会見、昭和史のエピソードなどを語る
宮中の生き字引、尾張徳川家の血筋、学者肌、頑固−−。様々な人物評を贈られた徳川義寛侍従長が半世紀を超える侍従生活に終止符を打つ。侍従に就任したのは2・26事件の年の昭和十一年十一月。戦前、戦後の激動の中で、天皇、皇后両陛下の素顔に接し、皇室を支えてきた。次の侍従長は生っ粋の行政官。天皇の側近も大きく様変りする。
十二日午前の記者会見で徳川さんは「いつも陛下のおそばで教えていただいているうちに五十年がたってしまった」と退官に当たっての感想を語った。さらに「乾徳(けんとく)をつねに仰ぎてひたぶるに 仕へまつりぬこの五十年(いそとせ)を」と、今朝の心境を託した歌を披露した(乾徳とは天皇の徳の意味)。六十年十月、侍従長に就いた際「微風のような仕事をしたい」と述べたが、陛下の手術という“嵐”を無事乗り越え、皇居の新緑を渡る春風に送られて、昭和史のステージを去る。
一方、昭和天皇は4月25日に記者会見を開かれている。しかし記者会見の内容が報道されたのは29日。
読売新聞 天皇誕生日 「大戦が一番いやな思い出」 87歳の陛下、ほお伝う涙/記者会見 1988.04.29 東京朝刊 27頁 写有 (全1,473字)
毎日新聞 天皇陛下が誕生日を前に会見 「大戦が一番いやな思い出」 1988.04.29 東京朝刊 23頁 社会 写図有 (全2,674字)
28日の日付けの富田メモは、果たして、昭和天皇が25日にお言葉を述べられた記者会見(報道)を控えた準備、確認作業か何かの際のメモだったのか。それとも富田氏の日記であることから、富田氏自身の個人的な考えだったのか。または12日の徳川侍従長の記者会見を断片的にメモしたものかは今は該当者は全員故人なので検証は不可能。しかし徳川侍従長は取りざたされた富田メモの内容と酷似した内容をコメントしていることは事実。
今回メモを公開した妻 知子さんによると「靖国合祀についての昭和天皇のお考えは、常々主人を通してですが、聞いておりました。このメモの解釈は国民の方々の判断に委ねたいと思います。なお公開については、みなさんがご存じない昭和天皇のエピソードを紹介したかっただけです。」とのこと。タイミングがあのタイミングだっただけに故人が後に(3年後に)公開されるなどとはつゆとも思わなかった日記のメモを、しかも物議をかもすであろう、昭和天皇のお言葉とされる記述部分(検証不可能なもの)を公開した行為は、いかにも軽率であったと、私個人としては大変遺憾に思う。
・・・・・・・・・・・・・・・以上、私の知り得る範囲のことを書いた。
それよりさ何でここでいまさら富田メモの話してんのさ。
空気読めない粘着質の「あなた」は、何故だれかれ、かまわずつかまえては、質問責めにあわせ、自分の正しさを押し付けるのさ。
あまりにしつこすぎて返答するのが嫌になり、途中で議論を打ち切りたくなる、中国人のディベートの仕方とまるで同じなんだけど。わかんないかな。
昭和天皇のお言葉とされる富田メモは徳川侍従長の記者会見を記したものだという説もあるが、徳川氏の記者会見はメモの日付けは4月28日ではなく、4月21日である。
毎日新聞 勇退の徳川侍従長が会見、昭和史のエピソードなどを語る 1988.04.12 東京夕刊 9頁 社会 写図有 (全1,556字)
記事の冒頭を引用
勇退の徳川侍従長が会見、昭和史のエピソードなどを語る
宮中の生き字引、尾張徳川家の血筋、学者肌、頑固−−。様々な人物評を贈られた徳川義寛侍従長が半世紀を超える侍従生活に終止符を打つ。侍従に就任したのは2・26事件の年の昭和十一年十一月。戦前、戦後の激動の中で、天皇、皇后両陛下の素顔に接し、皇室を支えてきた。次の侍従長は生っ粋の行政官。天皇の側近も大きく様変りする。
十二日午前の記者会見で徳川さんは「いつも陛下のおそばで教えていただいているうちに五十年がたってしまった」と退官に当たっての感想を語った。さらに「乾徳(けんとく)をつねに仰ぎてひたぶるに 仕へまつりぬこの五十年(いそとせ)を」と、今朝の心境を託した歌を披露した(乾徳とは天皇の徳の意味)。六十年十月、侍従長に就いた際「微風のような仕事をしたい」と述べたが、陛下の手術という“嵐”を無事乗り越え、皇居の新緑を渡る春風に送られて、昭和史のステージを去る。
一方、昭和天皇は4月25日に記者会見を開かれている。しかし記者会見の内容が報道されたのは29日。
読売新聞 天皇誕生日 「大戦が一番いやな思い出」 87歳の陛下、ほお伝う涙/記者会見 1988.04.29 東京朝刊 27頁 写有 (全1,473字)
毎日新聞 天皇陛下が誕生日を前に会見 「大戦が一番いやな思い出」 1988.04.29 東京朝刊 23頁 社会 写図有 (全2,674字)
28日の日付けの富田メモは、果たして、昭和天皇が25日にお言葉を述べられた記者会見(報道)を控えた準備、確認作業か何かの際のメモだったのか。それとも富田氏の日記であることから、富田氏自身の個人的な考えだったのか。または12日の徳川侍従長の記者会見を断片的にメモしたものかは今は該当者は全員故人なので検証は不可能。しかし徳川侍従長は取りざたされた富田メモの内容と酷似した内容をコメントしていることは事実。
今回メモを公開した妻 知子さんによると「靖国合祀についての昭和天皇のお考えは、常々主人を通してですが、聞いておりました。このメモの解釈は国民の方々の判断に委ねたいと思います。なお公開については、みなさんがご存じない昭和天皇のエピソードを紹介したかっただけです。」とのこと。タイミングがあのタイミングだっただけに故人が後に(3年後に)公開されるなどとはつゆとも思わなかった日記のメモを、しかも物議をかもすであろう、昭和天皇のお言葉とされる記述部分(検証不可能なもの)を公開した行為は、いかにも軽率であったと、私個人としては大変遺憾に思う。
・・・・・・・・・・・・・・・以上、私の知り得る範囲のことを書いた。
それよりさ何でここでいまさら富田メモの話してんのさ。
空気読めない粘着質の「あなた」は、何故だれかれ、かまわずつかまえては、質問責めにあわせ、自分の正しさを押し付けるのさ。
あまりにしつこすぎて返答するのが嫌になり、途中で議論を打ち切りたくなる、中国人のディベートの仕方とまるで同じなんだけど。わかんないかな。
これは メッセージ 229259 (shinzerosen01 さん)への返信です.