硫黄島の戦闘と分祀論 ②
投稿者: nanking_victory1937 投稿日時: 2006/08/23 20:07 投稿番号: [229081 / 232612]
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大本営/
「敵企図破摧ノ為徹底セル方策ヲ具現シ得ズ、
多数将兵ヲシテ敵ノ鋒鏑ニ斃レシム。
本職等其ノ責ニ当ル者
日夜断腸ノ思ヲ禁ズル能ハズ」
栗林中将/
「御期待ニ反シ此ノ要地ヲ
敵手ニ委ヌル外ナキニ至リシハ
小職ノ誠ニ恐懼ニ堪ヘサル所ニシテ
幾重ニモ御詫申上ク」
〜
今にもアメリカ軍が沖縄に差し迫り、
沖縄決戦へ全兵力を集中せざるを得ない
日本本土防衛が危機的状況に陥った中で、
補給・支援が不可能になった
硫黄島の兵士たちに
何もする事が出来ず、
断腸の思いで激励文を送る
大本営。
その電文を受け、
届かない補給・支援について
大本営の上官を怨むことなく、
天皇陛下・大本営の期待に反し、
要地を敵に渡すしかない「作戦失敗」という結果を
『恐懼に堪えず、幾重にも御詫び申し上げる』
と詫び、決別の言葉を送る戦場の指揮官。
この決別の言葉の中に
大本営の上官の責任を問うメンタリティーは
一切ない。
絶体絶命の状況下で
あるのは、
「皇国の必勝と安泰を願う」という
両者に一致した信念だけであった。
そこに
「戦争指導者=悪」「戦場に屍れた兵士=悪の犠牲者」
という後年の認識の「種」は皆無だった。
それが、歴史的事実である。
〜
昔、歴史を「鏡」と言った。
「過去」にあった事実・精神をそのまま
「今」の心に写し出す。
日本人の歴史に対する態度は、
太古よりずっとそういうものだった。
その日本人という人間の基本的経験を捨て、
「過去を『解釈と批判』で捉える事」=「歴史を知る事」
と、信じて疑わない態度は、
単に本当の歴史から目を背けているに過ぎない。
繰り返すが、
「あの戦争は誰々の責任だ。誰々が悪かったのだ。」
それは、
戦争で生き残った世代の戦後史であって
日米戦争の歴史の真実とは何ら関係の無いものなのだ。
『歴史は鏡である』
「歴史を知る」ことの本当の意味であり、
その本当の意味を取り戻すことが、
戦争で生き残った世代が去った後、
後世の歴史家である
次の世代の日本人に課せられた、
重要な課題である。
・・・
栗林中将はアメリカ人に殺され、
指導者層の中核は、アメリカ人に処刑された。
両者は共に靖国神社に祀られている。
栗林中将・辞世の句/
「仇討つたで
野辺には朽ちじ吾は又
七度生まれて
矛を執らむぞ」
靖国にある栗林中将の御霊は
指導者だけを分祀しろとする
当事者の心を解さない国民の議論を
悲しく見つめていることであろう。
・・・
注/
戦争で生き残った世代の方々の中には、
あの戦争の歴史を
「解釈と批判」に拠らず
今の心にそのままを映し、大切にされている
方々もたくさんいらっしゃいます。
戦後生まれの日本人として敬意を抱いております。
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これは メッセージ 229064 (komash0427 さん)への返信です.
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