帰れなかった日本人妻たち
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2006/05/13 12:26 投稿番号: [228128 / 232612]
北朝鮮内部映像
帰れなかった日本人妻たち
脱北日本人妻の平島筆子さんが2年余りの日本での暮らしを切り上げ再び北朝鮮に渡ったのは去年のこと。当初、北朝鮮のメディアは帰国した平島さんの様子を世界中に配信したが今では消息すら分らなくなっている。
番組では北朝鮮で暮らす日本人妻の映像を入手した。
最初に登場したのは関東地方出身の日本人妻。日本から仕送りがあるため生活は恵まれている方だった。「朝鮮は生活が苦しくて悪いとか、そういうことを書いたら駄目よ。偉大な将軍様の配慮で…とかそういう具合に書けば届かないことはないよ」。手紙を日本に届けるにも秘訣があるという。
1959年に始まった北朝鮮への帰還事業。北朝鮮に渡った約9万3千人の在日朝鮮人とその家族のうち日本人妻は1831人。
平島筆子さんもその一人。北朝鮮への帰国船の第一陣に加わった平島さん一家は出発前日の新聞にも紹介がされていた。日本を離れる時、日本人妻が3年経ったら里帰りできるという約束があったという。しかし里帰りが実現したのは90年代になってから。それも3回実施されただけで中断した。再び日本の土を踏むことができたのはわずか43人。
生活の苦しさを訴えたり助けを求めたりする手紙は北朝鮮当局の検閲に引っかかる。このため中国経由で日本の親戚に手紙を送るケースが出てきた。ある中国人貿易商に手紙を託したのは東北出身の日本人妻の息子。子供の頃、日本で一度だけ会ったことのあるいとこへの手紙だった。「どうか私たちのことを理解して下さい。そして一度だけお助けくだされば、その温情は決して忘れません」。そう書かれた手紙を携え、我々は宛先である東北地方の港町へ向かった。この家に手紙が送られてくるようになったのは90年代に入ってから。しかし「いとこですけれども、うちの生活だって並大抵じゃない苦しい立場もあるので」。と言ういとこはこれまで一度もお金も荷物も送ったことはないと話していた。
北朝鮮の協力者に手紙の差出人である日本人妻の家を訪ねてもらうと、そこには息子夫婦が住んでいた。母親である日本人妻はすでに亡くなっていた。「家にあった目ぼしい物はすべて売り払いコッチェビ(浮浪児)のような暮らしをしています。どうか肉親の情を忘れず一度だけ助けてください」。日本人妻である母親の戸籍謄本と日本で写した家族3人の写真だけが残る息子夫婦と日本との関係は、さらに薄くなってしまった。
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/special/060510.htm
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>日本を離れる時、日本人妻が3年経ったら里帰りできるという約束があったという。
こんな約束があったのかな。
在日は北朝鮮を往復できるけど、
北に渡った日本人妻は、何もできないまま、
望郷の思いを抱いたまま、日本とも連絡が取れず、
日本の土を踏むこともなく、
亡くなっていくしかないことが悲しい。
彼女らにとって、人生は何だったですかね。
脱北日本人妻の平島筆子さんが2年余りの日本での暮らしを切り上げ再び北朝鮮に渡ったのは去年のこと。当初、北朝鮮のメディアは帰国した平島さんの様子を世界中に配信したが今では消息すら分らなくなっている。
番組では北朝鮮で暮らす日本人妻の映像を入手した。
最初に登場したのは関東地方出身の日本人妻。日本から仕送りがあるため生活は恵まれている方だった。「朝鮮は生活が苦しくて悪いとか、そういうことを書いたら駄目よ。偉大な将軍様の配慮で…とかそういう具合に書けば届かないことはないよ」。手紙を日本に届けるにも秘訣があるという。
1959年に始まった北朝鮮への帰還事業。北朝鮮に渡った約9万3千人の在日朝鮮人とその家族のうち日本人妻は1831人。
平島筆子さんもその一人。北朝鮮への帰国船の第一陣に加わった平島さん一家は出発前日の新聞にも紹介がされていた。日本を離れる時、日本人妻が3年経ったら里帰りできるという約束があったという。しかし里帰りが実現したのは90年代になってから。それも3回実施されただけで中断した。再び日本の土を踏むことができたのはわずか43人。
生活の苦しさを訴えたり助けを求めたりする手紙は北朝鮮当局の検閲に引っかかる。このため中国経由で日本の親戚に手紙を送るケースが出てきた。ある中国人貿易商に手紙を託したのは東北出身の日本人妻の息子。子供の頃、日本で一度だけ会ったことのあるいとこへの手紙だった。「どうか私たちのことを理解して下さい。そして一度だけお助けくだされば、その温情は決して忘れません」。そう書かれた手紙を携え、我々は宛先である東北地方の港町へ向かった。この家に手紙が送られてくるようになったのは90年代に入ってから。しかし「いとこですけれども、うちの生活だって並大抵じゃない苦しい立場もあるので」。と言ういとこはこれまで一度もお金も荷物も送ったことはないと話していた。
北朝鮮の協力者に手紙の差出人である日本人妻の家を訪ねてもらうと、そこには息子夫婦が住んでいた。母親である日本人妻はすでに亡くなっていた。「家にあった目ぼしい物はすべて売り払いコッチェビ(浮浪児)のような暮らしをしています。どうか肉親の情を忘れず一度だけ助けてください」。日本人妻である母親の戸籍謄本と日本で写した家族3人の写真だけが残る息子夫婦と日本との関係は、さらに薄くなってしまった。
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/special/060510.htm
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>日本を離れる時、日本人妻が3年経ったら里帰りできるという約束があったという。
こんな約束があったのかな。
在日は北朝鮮を往復できるけど、
北に渡った日本人妻は、何もできないまま、
望郷の思いを抱いたまま、日本とも連絡が取れず、
日本の土を踏むこともなく、
亡くなっていくしかないことが悲しい。
彼女らにとって、人生は何だったですかね。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.