☆ 小説・李承晩の野暮 ☆(七)
投稿者: bmmkx155 投稿日時: 2006/04/23 09:00 投稿番号: [227817 / 232612]
韓国、中国と国交を正常化した日本は、
今まさに北朝鮮ともそれを推し進めようとしている。
だが、真に友好な関係を構築しようとするのならば、
せめて国交正常化の条件として、まず反日教育の即時廃止をも
基本条項に盛り込むべきであろう。でなければ韓国や中国と同様、
搾取されることのみに終わる正常化との懸念が拭いきれない。
三度目の過ち、それは日本国民の望む処ではないのだ。
(七)
大規模な反対デモが日韓両国内で起きた中、両国の国交はついに正常化され、韓国は李承晩の狙い通り<拉致被害者の帰国>及び<李承晩ラインの廃止>を交換条件として、日本から多額の賠償金をむしり取ることに成功した。
ところが、である。すべての脚本を描いた肝心の李承晩本人は、この時すでに韓国政界からは追放されていたのである。
1960年(昭和35年)3月、李承晩は見事に大統領4選を果たした。が、その直後、選挙に不正性を感じた民衆らが馬山においてデモを起こすと云う事件が発生した。
「ちっ、おとなしくわしに従っておれば好いものを」
李承晩は直ちにこの騒動の鎮圧を軍に命じた。そして民衆と衝突し、それを鎮圧した部隊が悠々と馬山からひきあげたあと、なんとその現場から高校生の遺体が発見されたのである。
その高校生に対する韓国民の同情は次第に大きなうねりとして変化し、
「李承晩が高校生を殺した」
その反発力の鉾先を、当然ながら李承晩体制へと向けたのである。
まず、学生が動いた。いわゆる<4.19事件>である。この事件は142名もの死者を出すほどのデモとなり、やがて来る政変から<4.19革命>と呼ばれるようになる。
<4.19事件>のあと、学生デモは一般民衆を含んで10万人にまで膨れあがり、そして4月26日、ついにその波は国会前にまで押し寄せた。
が、李承晩は我が身の危険を悟るには長けた人物である。
「こうなれば、もはや逃げるしかあるまい」
翌4月27日、李承晩は辞任を表明したあと、即座にして野に下り、更に一月後には一気にハワイへと亡命している。
その後、韓国では<5.16クーデター>が発生し、朴軍事政権が誕生することになる。
が、李承晩カラーの排除を徹底していた朴政権も、厄介なことに<対日政策>だけはしっかりと相続し、竹島の領有権及び反日教育をこれまで以上に推し進めたのである。
以後、いずれの韓国大統領も自らの政権が危うくなったとき、必ず韓国民の眼を<反日>へと向けさせる為のテクニックを使うようになる。
最近では、日韓W杯共催の直後であるにも拘わらず、南北会談における不正疑惑が噴出した2002年の8月、金大中元大統領は竹島切手の発行をしている。また、弾劾決議案が、まさに国会へと提出されようとする寸前の廬武鉉現大統領も、同様に反日のエサを国中にばらまいている。
韓国は全体主義の国家である。よって親日派韓国人などに社会的人権はない。そのような人物は生命の危険に晒されるか、良くても精神異常者としてのみ認知される。
今、日本国内で活躍している韓国人タレントでも、もし歴史的事物において親日よりの発言などすれば直ちに韓国へと呼び戻され、大衆の面前において頭を丸めたうえで涙の謝罪をしなければならなくなる。言論の自由など存在しない。対日問題に関しては、あくまで右翼的な発言をしなければ非国民扱いされるからだ。
このような全体主義国家が昨今、まさに「日本の右傾化」などと非難するのだから笑止としか云いようがない。
いずれにしても竹島問題、反日教育、それに反発する日本人の反韓感情は、これすべて李承晩の残した負の遺産に依るところが大きい。
それを払拭しない限り韓国との真の友好などはあり得ず、日本国民は永遠に李承晩の亡霊に蝕まれつづけることになるであろう。
−了−
竹島の所在は<島根県隠岐郡五箇村字無番地>である。
今まさに北朝鮮ともそれを推し進めようとしている。
だが、真に友好な関係を構築しようとするのならば、
せめて国交正常化の条件として、まず反日教育の即時廃止をも
基本条項に盛り込むべきであろう。でなければ韓国や中国と同様、
搾取されることのみに終わる正常化との懸念が拭いきれない。
三度目の過ち、それは日本国民の望む処ではないのだ。
(七)
大規模な反対デモが日韓両国内で起きた中、両国の国交はついに正常化され、韓国は李承晩の狙い通り<拉致被害者の帰国>及び<李承晩ラインの廃止>を交換条件として、日本から多額の賠償金をむしり取ることに成功した。
ところが、である。すべての脚本を描いた肝心の李承晩本人は、この時すでに韓国政界からは追放されていたのである。
1960年(昭和35年)3月、李承晩は見事に大統領4選を果たした。が、その直後、選挙に不正性を感じた民衆らが馬山においてデモを起こすと云う事件が発生した。
「ちっ、おとなしくわしに従っておれば好いものを」
李承晩は直ちにこの騒動の鎮圧を軍に命じた。そして民衆と衝突し、それを鎮圧した部隊が悠々と馬山からひきあげたあと、なんとその現場から高校生の遺体が発見されたのである。
その高校生に対する韓国民の同情は次第に大きなうねりとして変化し、
「李承晩が高校生を殺した」
その反発力の鉾先を、当然ながら李承晩体制へと向けたのである。
まず、学生が動いた。いわゆる<4.19事件>である。この事件は142名もの死者を出すほどのデモとなり、やがて来る政変から<4.19革命>と呼ばれるようになる。
<4.19事件>のあと、学生デモは一般民衆を含んで10万人にまで膨れあがり、そして4月26日、ついにその波は国会前にまで押し寄せた。
が、李承晩は我が身の危険を悟るには長けた人物である。
「こうなれば、もはや逃げるしかあるまい」
翌4月27日、李承晩は辞任を表明したあと、即座にして野に下り、更に一月後には一気にハワイへと亡命している。
その後、韓国では<5.16クーデター>が発生し、朴軍事政権が誕生することになる。
が、李承晩カラーの排除を徹底していた朴政権も、厄介なことに<対日政策>だけはしっかりと相続し、竹島の領有権及び反日教育をこれまで以上に推し進めたのである。
以後、いずれの韓国大統領も自らの政権が危うくなったとき、必ず韓国民の眼を<反日>へと向けさせる為のテクニックを使うようになる。
最近では、日韓W杯共催の直後であるにも拘わらず、南北会談における不正疑惑が噴出した2002年の8月、金大中元大統領は竹島切手の発行をしている。また、弾劾決議案が、まさに国会へと提出されようとする寸前の廬武鉉現大統領も、同様に反日のエサを国中にばらまいている。
韓国は全体主義の国家である。よって親日派韓国人などに社会的人権はない。そのような人物は生命の危険に晒されるか、良くても精神異常者としてのみ認知される。
今、日本国内で活躍している韓国人タレントでも、もし歴史的事物において親日よりの発言などすれば直ちに韓国へと呼び戻され、大衆の面前において頭を丸めたうえで涙の謝罪をしなければならなくなる。言論の自由など存在しない。対日問題に関しては、あくまで右翼的な発言をしなければ非国民扱いされるからだ。
このような全体主義国家が昨今、まさに「日本の右傾化」などと非難するのだから笑止としか云いようがない。
いずれにしても竹島問題、反日教育、それに反発する日本人の反韓感情は、これすべて李承晩の残した負の遺産に依るところが大きい。
それを払拭しない限り韓国との真の友好などはあり得ず、日本国民は永遠に李承晩の亡霊に蝕まれつづけることになるであろう。
−了−
竹島の所在は<島根県隠岐郡五箇村字無番地>である。
これは メッセージ 227816 (bmmkx155 さん)への返信です.