Re: ブッシュ・ドクトリン
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2006/03/21 21:16 投稿番号: [227197 / 232612]
>こうしてブッシュ政権の対北アプローチを大雑把ながら振り返りますと、強硬と宥和を交互させながら、今日まで至っています。
「強硬と宥和を交互させながら」を「強硬と宥和にゆれながら」と表現したらどうでしょうか。
つまり一貫したものがなく、大統領自身がそのときの情勢のなかで、国防省(強硬派=ネオコン)と国務省(宥和派=パウエル→ライス)をどちらかに、移動させながら軸足をおいきたのではないか。
それは大統領が巧みに手綱を取ってきたというよりも、実はそうではなく<揺れ>ていたのではないか。
実はブッシュ大統領は政治心情的には強硬派であり、明日にでも金正日政権下を地上から葬りたいところだが、やはりイラクで躓き現実にはそうはいかないという厳しいものがあるからと考えています。
さらにはイラン・シリアを含む中東を優先せざるをえないということでしょうか。
クリントンは94年米朝合意という外交的成果を出したけれど、それが北朝鮮により完全に反故にされてしまった。
ブッシュ政権も成果を出したいところですが、クリントンとの違いは直接交渉ではなく、中国を抱き込むこと、それと北朝鮮の核開発が単に製造ばかりでなく、ミサイルに載って米国までの直接的脅威になってきているということでしょうか。
>70年代の終わり頃、欧州の安全保障を討議するオスロ会議なるものが開かれ、そこで東西ヨーロッパの人的交流、通信やラジオ・テレビメディアの相互受信を促進しようというオスロ宣言(だったか?)が採択されたと記憶しています
このことちょっと調べていました。
森千春の本に少しでてきますよね。
それよれば以下のとおり。
1975年全欧安保協力会議(※)のヘルシンキ最終文書(の意義)
①欧州における現存の国境を認知(東側には大きな成果)
②経済協力の拡大(これも大きな東側には成果)
③基本的人権分野での進展=移動・報道(情報)への制限を緩和すること。
(西側には大きな成果)
→すぐには実現しなかったが、文書そのものが東ドイツ国内の新聞に掲載され、
国民の目に触れることによって、この原則は地下水の共産主義国家に浸透し
いったとのこと。
全欧安保協力会議のプロセスは継続し、西側諸国は最終文書に盛り込まれた人権に関する原則の具体化を求めた。
83年のマドリード合意文書では、東西に分かれて住む離散家族が、再会を望むならば、当局は6ヶ月以内に決定を下す義務を負った。
http://www.mammo.tv/keywords/left.php?word=37
(※)OSCE(欧州安保協力機構)
Organization for Security and Cooperation in Europe
全欧安保協力会議(CSCE Conference on Security and Cooperation in Europe)が前身。CSCEは、冷戦下のヨーロッパで東西両陣営間の信頼を醸成するための議論の場として設けられた。冷戦終結後の1995年、組織の常設化とともに名称を変更。旧ソ連や旧ユーゴの共和国も加盟し、全ヨーロッパの新しい安全保障メカニズムとしての機能が期待されている。現在、加盟国は55カ国。日本も、発言権のみで議決権のない「協力パートナー」という立場で参加している。
いつかもレスしましたように、東欧では民主主義も短期間ながら経験しているし(WWⅠ〜WWⅡの間)、人権に対する意識は違うでしょう。
(以前にアジアと欧州の決定的違いは人権意識だとei835さん(だったか?)が言っておれらましたが、朝鮮半島・中国・東南アジアを含めそのとおりだと思う。
北朝鮮は、そして金正日は必ずしも表向きはそんなこと言っていないが、
そういうことを知っているのではないか?
最近「北朝鮮最終殲滅計画」という刺激的な題名の本を読んだのですが、
米国が犠牲無しに武力攻撃できない理由がいくつもありました。
残念。
「拉致処分」もやっと読了。
「強硬と宥和を交互させながら」を「強硬と宥和にゆれながら」と表現したらどうでしょうか。
つまり一貫したものがなく、大統領自身がそのときの情勢のなかで、国防省(強硬派=ネオコン)と国務省(宥和派=パウエル→ライス)をどちらかに、移動させながら軸足をおいきたのではないか。
それは大統領が巧みに手綱を取ってきたというよりも、実はそうではなく<揺れ>ていたのではないか。
実はブッシュ大統領は政治心情的には強硬派であり、明日にでも金正日政権下を地上から葬りたいところだが、やはりイラクで躓き現実にはそうはいかないという厳しいものがあるからと考えています。
さらにはイラン・シリアを含む中東を優先せざるをえないということでしょうか。
クリントンは94年米朝合意という外交的成果を出したけれど、それが北朝鮮により完全に反故にされてしまった。
ブッシュ政権も成果を出したいところですが、クリントンとの違いは直接交渉ではなく、中国を抱き込むこと、それと北朝鮮の核開発が単に製造ばかりでなく、ミサイルに載って米国までの直接的脅威になってきているということでしょうか。
>70年代の終わり頃、欧州の安全保障を討議するオスロ会議なるものが開かれ、そこで東西ヨーロッパの人的交流、通信やラジオ・テレビメディアの相互受信を促進しようというオスロ宣言(だったか?)が採択されたと記憶しています
このことちょっと調べていました。
森千春の本に少しでてきますよね。
それよれば以下のとおり。
1975年全欧安保協力会議(※)のヘルシンキ最終文書(の意義)
①欧州における現存の国境を認知(東側には大きな成果)
②経済協力の拡大(これも大きな東側には成果)
③基本的人権分野での進展=移動・報道(情報)への制限を緩和すること。
(西側には大きな成果)
→すぐには実現しなかったが、文書そのものが東ドイツ国内の新聞に掲載され、
国民の目に触れることによって、この原則は地下水の共産主義国家に浸透し
いったとのこと。
全欧安保協力会議のプロセスは継続し、西側諸国は最終文書に盛り込まれた人権に関する原則の具体化を求めた。
83年のマドリード合意文書では、東西に分かれて住む離散家族が、再会を望むならば、当局は6ヶ月以内に決定を下す義務を負った。
http://www.mammo.tv/keywords/left.php?word=37
(※)OSCE(欧州安保協力機構)
Organization for Security and Cooperation in Europe
全欧安保協力会議(CSCE Conference on Security and Cooperation in Europe)が前身。CSCEは、冷戦下のヨーロッパで東西両陣営間の信頼を醸成するための議論の場として設けられた。冷戦終結後の1995年、組織の常設化とともに名称を変更。旧ソ連や旧ユーゴの共和国も加盟し、全ヨーロッパの新しい安全保障メカニズムとしての機能が期待されている。現在、加盟国は55カ国。日本も、発言権のみで議決権のない「協力パートナー」という立場で参加している。
いつかもレスしましたように、東欧では民主主義も短期間ながら経験しているし(WWⅠ〜WWⅡの間)、人権に対する意識は違うでしょう。
(以前にアジアと欧州の決定的違いは人権意識だとei835さん(だったか?)が言っておれらましたが、朝鮮半島・中国・東南アジアを含めそのとおりだと思う。
北朝鮮は、そして金正日は必ずしも表向きはそんなこと言っていないが、
そういうことを知っているのではないか?
最近「北朝鮮最終殲滅計画」という刺激的な題名の本を読んだのですが、
米国が犠牲無しに武力攻撃できない理由がいくつもありました。
残念。
「拉致処分」もやっと読了。
これは メッセージ 227063 (komash0427 さん)への返信です.