攝家を差し置いて皇后になるには畏れ多い
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2005/12/01 20:13 投稿番号: [223855 / 232612]
さて、酉年最初の内容は華麗なるお公家さんの家格についてです。武家に対して公家(くげ)と呼称しますが、「こうけ」と読む場合も在ります。
さて、天皇家の藩屏として脈々と傳統と格式を保持して来たお公家さん達ですが、実は彼らには家柄に応じて家格(家の位)が分かれており、その家格によって将来就ける官職が決まってしまっているのです。。。
公家の世界における最高の家格を五攝家(ごせっけ)と言い文字通り五つの家名を指しています。近衛家、鷹司家、九條家、一條家、二條家の五つの家柄を五攝家、もしくは攝家と言います。。。藤原北家良房直系の家柄とされています。この五攝家の当主のみが人臣の最高位で在る、摂政、關白になることが出来たのです。逆に言いますと、五攝家出身でなければ摂政、關白になることは出来なかったということです。江戸時代における、彼らの家格は世襲四親王家(宮家)より上席に置かれ天皇家の次に高い位に在りました。
また皇后、中宮になることが出来たのも、基本的にこの五攝家出身の姫君でした。江戸時代からだけを見ても後陽成(近衛前子)、霊元(鷹司房子)、中御門(近衛尚子)桜町(二條舎子)、桃園(一條富子)、後桃園(近衛維子)、仁孝(鷹司繁子)孝明(九條夙子)、明治(一條美子)、大正(九條節子)の各天皇は皇后、中宮を五攝家から選ばれております。また、徳川将軍家の御台所にも三代家光の御台所、鷹司孝子以来五攝家から選ばれており綱吉(鷹司信子)、家宣(近衛煕子)、家斉(近衛寔子)、家定(鷹司任子、一條秀子、近衛敬子)慶喜(一條美香子)の御台所となっています。
この様に五攝家は公家の世界でも別格扱いで、昭和天皇の皇后であった久邇宮良子女王でさえも
「宮家出身である自分が攝家を差し置いて皇后になるには畏れ多い」ともらしていた事が在るほどでした。また五攝家の各当主が藤原氏長者を名乗る仕来りになっておりました。
http://www.style-21.com/diary/1549/(「公家社会」)
「攝家を差し置いて皇后になるには畏れ多い」
皇后は五摂家から出るのが当たり前だと思っていた香淳皇后が、旧華族出とはいえ、当時の平民から皇太子妃をとる事に強い違和感を持ったのは理解できますね。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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