小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

権力のある家の子息はマスゲームを免れて

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/10/23 04:08 投稿番号: [221414 / 232612]
7.ユン・ヒェリョン (女、29歳、平壌市中区域居住、1998年入韓)
私はマスゲームに動員された事はない。普通 一学級40人だが、1~2人位は動員を免れる。音楽、体育などの特技学生である場合はそうだ。私はバドミントンの特技学生で中学校 4年生の時、体育団に入った。

権力のある家の子供達も動員を免れる。「後方事業」と言って、練習に参加する子供達におやつを提供して抜けるのだ。

体調不良で抜ける場合もあるが、倒れる程でもなければ皆が動員される。


“10㎏以上のカードを持って練習に通った苦労”  
8. キム・ソンミン (男、44歳、平壌市中区域居住、1999年入韓)
中学校 2年生の 1975年から 1977年まで 3年間動員された。5万人が動員された1977年の公演 ‘朝鮮の歌’が記憶に残っている。1978年には7万人が動員されたと聞いた。75年と76年公演には背景隊、77年公演には体操隊に属した。

ルンラド競技場に入るとカードを乗せる支柱がある。カードの後方に座って前方のコンダクターの手旗によってカードを翻す。数千、数万人がいっぺんにカードを翻すから‘ぱっ’と音がするので、それだけでも外部の人たちは戦慄を感じるだろう。

小柄な私が10㎏を越すカードを担いで練習に通った苦労を覚えている。カードを作ることを作図と言い、国家から色紙と絵の具などが支給されて各個人で作図する。マスゲ−ムのためには、おやつを支給することまで国家が投資する。

他の区域で動員された学生たちは軍用トラックに乗って競技場に行くのに、 私が住んだ中区域と牡丹峰区域の学生たちは競技場から近いという理由で、歌いながら行進して行った。それでも40分余りかかった。夏や冬の日、その遠い道を苦労して行進したことを覚えている。

 
“平壌中心部の子供だけ動員する‘忠臣作り’の行事”
9.パク・○ミ (女、37歳、平壌市西城区域居住、2002年入韓)  
私は平壌郊外に居住していた関係でマスゲームに動員された事はない。中学校の時、東大院区域に住む親戚の家を訪問したことがあったが、休み中にも、従兄弟がマスゲームのために動員されることを見て、幼な心にも率直に羨ましかった。首領様が直接見下ろす舞台に立つと言ったら、北朝鮮ではとても羨ましい事だ。

従兄弟が軍用トラックに乗りこんで競技場に向かう姿を見ながら、どんなに羨ましかった事か……真夜中にすっかり疲れて帰って来たが、今日は何の糖菓類を食べたという自慢話を聞くと羨ましくてわあわあ泣いたのを覚えている。「私たちもここで生活しよう」とお父さんに駄駄をこねたものだ。

今振り返って見れば北朝鮮のマスゲームは子供達の魂を奪う行事ではないかと思う。平壌でも中心区域の子供達だけ動員して特権意識をいっそう強化させ、肉体的訓練にもなって ‘忠臣作り’の行事にもなる。お金を支払って、そんな行事を見に行く人々がいるなんて嘆かわしい。

 
“訓練に参加しなければ 「平壌から追放する」との脅し文句”
10.キム・スンホ (男、36歳、平壌市平川区域居住、2002年入韓)  
南韓の人たちは高いお金を出してアリランを見物し、とても立派だと言うが、その中には涙でごっちゃになった子供達の疲れた悲鳴が潜んでいる。

6ヶ月前から行事を準備する。公演種目を完成するために指導員たちは酷く罵りながら、数十回ずつ繰り返し動作をさせる。訓練が終わって家に帰る時は全身がだるくなって夕方には足が震えてまともに歩くこともできない。

訓練に参加しなければ行事指導員たちが親に知らせて、それでも出なければ党組職に通報し、地方に追放する。親たちは平壌から追放されることを心配して、子供たちが大変だということを知りながらも送り出す。平壌の子供達は訓練をすると勉強もできなくなり、大学にも行きにくくなる。

(記者グァックデズング )
(記者ハン・ヨンチン)
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)