小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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夜の十二時まで空腹に耐えながら練習

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/10/23 03:56 投稿番号: [221412 / 232612]
1 イ・ション○ (女、35歳、平壌市大同江区域居住、2003年入韓)
中学校4年生の87年から 89年までマスゲームに動員された。幼少時のことだから動員された行事名は思い出せないが、子供場、軽工業場、農業場など多くの段落があって、我校は農業場を担当したことを覚えている。それは体操部門だった。

練習はほとんど1年中ずっと行われた。最初の5ヶ月位は午前に授業して午後にだけ訓練するが、本番 1ヶ月前からは一日中訓練した。1~30番まで多くの動作があったが集団で一人だけ違っても、はじめからまた始めなければならなかった。

練習期間中 70~80%は夜12時まで練習した。序盤には鼻血をこぼして倒れる子供達が続出するが、数ヶ月経つと鍛錬の為かそのような子供達はいなくなる。

お昼はお弁当を食べて夕食はなく、間にはおやつとして支給されるパンや糖菓類のみ。夜の十二時まで空腹に耐えながら練習する。北朝鮮の子供達はお菓子を食べる機会が少ないため、この時受け取る糖菓類が唯一の喜びだった。それを食べるために苦痛に堪える。糖菓類を食べずに持って帰って、妹や、弟に渡す子供もいた。


“お母さんが作ってくれたスープを飲みながら泣いた記憶   今も目に浮かぶ”
2.キム・ソンシク (男、39歳、平壌市中区域居住、2003年入韓)
私は 1982年、金日成の生誕70周年を記念する平壌市学生少年たちの大型マスゲーム “首領様の御健康を慎んで祈ります”に参加した。23年前の事だが、歳月は経っても 6万人も参加した大公演だったので、いまだに記憶は鮮やかだ。

私は器械体操組に属して鉄棒をした。当時身長が 160㎝だったが、 高さ2.5mの鉄棒台で大車輪の動作(鉄棒動作は 1~6級まであり、大車輪は6級で最高難易度)をした。鉄棒する人々は、クラスや居住区域にかかわらず上手な学生だけが特別に選ばれた。

鉄棒に連結帯を括り付けて大車輪を 10回以上やると腕が抜けるようだった。本番の 6ヶ月前からは正に大量に練習しなければならない。終日練習すると、後には猿のように鉄棒にどんどんぶら下がることができるようになった。

訓練の途中、お母さんたちが当番制でご飯と食べ物を持って来たりした。あの時、腕が痛くて、お母さんが盛ってくれたスープを飲みながら泣いた情景が今も目に浮ぶ。

 
“学校は中隊、学級は小隊と呼ばれる軍隊式の訓練”
3.チョン・ナン (男、33歳、平壌中区域居住、2000年入韓)
87年から89年まで動員された。大きい行事だけ 6回参加した。私は体操隊に属していたがカードセクションを担当した背景隊の子供達の苦痛は筆舌に尽くしがたいものである。

体操隊の子供達は休むことなしに動き、全く同じ動作を繰り返す。何層ずつかの人間塔を組まなければならない時もあるので、脱臼や骨折を負う場合が多かった。金正日の2・16生誕節のためには、真冬に練習をしなければならないので背景隊では凍傷に罹る子供達も多い。

全ての練習は軍隊式で、学校を ‘中隊’と呼び、中隊長は学校社労青委員長が担当する。学級を‘小隊’と呼び、学級班長が小隊長を担当する。一つの小隊がカードセクションの一列、体操隊列の一列を担当する方式だ。

お昼はお弁当を食べて、毎日一名ずつ‘スープ当番’を決めて、学級全ての子供達が食べるスープを家で作って持って来る。真冬にぶるぶる震えながら、冷えたスープに冷飯を入れて食べたことが記憶に残っている。89年の行事では、参加者全員が中央社会労働党青年団の表彰を受けた。

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