Re: 神社というもの
投稿者: kisimenjp 投稿日時: 2005/10/20 14:48 投稿番号: [221128 / 232612]
ブスカメが末尾の結論を引き出す為、小泉首相と同じごまかしをやっている。
恐らく彼女も純粋な神道に対する畏敬もなく、靖国に祀られる戦没者に
鎮魂の意もないのだろう。
>その本質は制御出来ない力を鎮め、マイナスの力をプラスにしようという考え方なんですね
ゲームに登場する神じゃあるまいしマイナスとかプラスなど表現が汚らわしい。
「多くの日本人にとって、神道が宗教として強く意識されることはない。ほかの宗教との使い分けの中でなされる、伝統的な生活習慣にもとづく宗教的実践である。」
http://www.miyagawa.com/syuha/syu/sinto.html
以上の説明が正しいと思う、国家神道を是認する目的なら政教分離の憲法に反する。
世界的な問題を見ても過激テロが宗教をバックグラウンドとして働く危険を見ている。
>靖国に祀られているのはいわゆる「霊魂」ではなく「気魂」つまり精神です。おのおのの魂は護り、慈しみたかった人々の元へ還り、功も罪も、その個人の魂とともに在ります。
戦争の鎮魂だ、個人ではない。
あくまで国家の功罪を背負って祀られている、「二度と戦争をしない」とする
小泉首相のごまかしが反対派にも受け入れられる所以である。
>この社に宿る。だから場所を移すだとか、分祀など出来はしないし、したところで意味がない。
国家の意志で作られた神社だ、その意志に背いたものは祀られない。
分祀に意味を持たせないなら一宗教法人として国家の関与をしないことだ。
>靖国に在るのは個々の魂の別のない、ただ総体としての祈り・・・私達、後の世の者たちの幸せと繁栄を願ってくれた方々の大きな精神の塊なのです。
民主主義からいくと矛盾した考え方だ、個の消滅が総体なら全体にそれが求められ
コントロールされ易い総体として国民があることになる。
個性が尊重される社会とかけ離れる、国の関与がなければ自由意志で祈りも幸せも
お願いできると思う。
>霊魂を信じない人だって精神の存在は認めるでしょう。そして記憶も。肉体を失ってもその精神が生き続ける。
霊魂と精神など結びつけて無理な説明をやる、まるでアヴァンギャルドな精神世界
を表現するごまかしである。
>そう、軍の上層部に対して批判的であった人も、戦犯と呼ばれている方達も、みな、後の世の礎としての気持ちはあったはずです。
おかしな理屈だ、罪と責任を帳消しにする場合、よく使われる詐欺師の弁だね。
結果としてどれだけの悲惨を味わったか、その記憶こそ礎としなければならない。
>あるいは外地で孤立し、飢えや病に苦しんで郷を想ったその気持ち。恨みや怒りではなく、ただ郷へ向かったその気持ち。ああ、還りてぇ・・・届かぬ願いを受止めた受信機もまた靖国なのです。
個々の不幸を全体として受け止める装置が靖国であっても、無念は個々が背負う。
残された遺族が靖国ですべて癒されるとは限らない、国家としたら都合の良い言訳だ。
>そしてそこに祀られることで大切な人を遺した、あるいは失った悲しみが、他の多くの人たちの祈りを向けられることで報われるのです。
この側面はあり、お参りする方々共通の想いでしょう。
ならば余計に政治の道具として使われることを嫌う筈だ。
責任を明確にすることで一層の鎮魂がはかられる。
>日本に生まれ、この国の豊かな暮らしを享受していながら靖国に背を向ける者は恥を知れ。あるいはこの国から出ていけ。
この辺からカメブスの正体が現れる。
自由な民主主義を戦後我々は選択したのだ、それによって豊かな暮らしも手に入れた。
何処に恥があるのか、首相の参拝に反対する人でも個人が靖国にお参りすることを否定はしない。
>どのような大国であろうと、この国の祈りの形に文句をつける権利はない。
ナショナリズムを何処の国も文句を付けないだろう。
しかし不幸な戦争を正当化するならどの国も文句を付ける。
>だけど国民の代表になったのであれば、国民を代表して靖国に行くべき。
慰霊が靖国だけではない、代表ならそれをわきまえるべきだ。
国家神道が危険な国のあり方とならないためにも。
その上で「この先の日本をより良くしていく。心の中でその誓いさえしてきてくれるなら」
としなければ間違いを繰り返す。
恐らく彼女も純粋な神道に対する畏敬もなく、靖国に祀られる戦没者に
鎮魂の意もないのだろう。
>その本質は制御出来ない力を鎮め、マイナスの力をプラスにしようという考え方なんですね
ゲームに登場する神じゃあるまいしマイナスとかプラスなど表現が汚らわしい。
「多くの日本人にとって、神道が宗教として強く意識されることはない。ほかの宗教との使い分けの中でなされる、伝統的な生活習慣にもとづく宗教的実践である。」
http://www.miyagawa.com/syuha/syu/sinto.html
以上の説明が正しいと思う、国家神道を是認する目的なら政教分離の憲法に反する。
世界的な問題を見ても過激テロが宗教をバックグラウンドとして働く危険を見ている。
>靖国に祀られているのはいわゆる「霊魂」ではなく「気魂」つまり精神です。おのおのの魂は護り、慈しみたかった人々の元へ還り、功も罪も、その個人の魂とともに在ります。
戦争の鎮魂だ、個人ではない。
あくまで国家の功罪を背負って祀られている、「二度と戦争をしない」とする
小泉首相のごまかしが反対派にも受け入れられる所以である。
>この社に宿る。だから場所を移すだとか、分祀など出来はしないし、したところで意味がない。
国家の意志で作られた神社だ、その意志に背いたものは祀られない。
分祀に意味を持たせないなら一宗教法人として国家の関与をしないことだ。
>靖国に在るのは個々の魂の別のない、ただ総体としての祈り・・・私達、後の世の者たちの幸せと繁栄を願ってくれた方々の大きな精神の塊なのです。
民主主義からいくと矛盾した考え方だ、個の消滅が総体なら全体にそれが求められ
コントロールされ易い総体として国民があることになる。
個性が尊重される社会とかけ離れる、国の関与がなければ自由意志で祈りも幸せも
お願いできると思う。
>霊魂を信じない人だって精神の存在は認めるでしょう。そして記憶も。肉体を失ってもその精神が生き続ける。
霊魂と精神など結びつけて無理な説明をやる、まるでアヴァンギャルドな精神世界
を表現するごまかしである。
>そう、軍の上層部に対して批判的であった人も、戦犯と呼ばれている方達も、みな、後の世の礎としての気持ちはあったはずです。
おかしな理屈だ、罪と責任を帳消しにする場合、よく使われる詐欺師の弁だね。
結果としてどれだけの悲惨を味わったか、その記憶こそ礎としなければならない。
>あるいは外地で孤立し、飢えや病に苦しんで郷を想ったその気持ち。恨みや怒りではなく、ただ郷へ向かったその気持ち。ああ、還りてぇ・・・届かぬ願いを受止めた受信機もまた靖国なのです。
個々の不幸を全体として受け止める装置が靖国であっても、無念は個々が背負う。
残された遺族が靖国ですべて癒されるとは限らない、国家としたら都合の良い言訳だ。
>そしてそこに祀られることで大切な人を遺した、あるいは失った悲しみが、他の多くの人たちの祈りを向けられることで報われるのです。
この側面はあり、お参りする方々共通の想いでしょう。
ならば余計に政治の道具として使われることを嫌う筈だ。
責任を明確にすることで一層の鎮魂がはかられる。
>日本に生まれ、この国の豊かな暮らしを享受していながら靖国に背を向ける者は恥を知れ。あるいはこの国から出ていけ。
この辺からカメブスの正体が現れる。
自由な民主主義を戦後我々は選択したのだ、それによって豊かな暮らしも手に入れた。
何処に恥があるのか、首相の参拝に反対する人でも個人が靖国にお参りすることを否定はしない。
>どのような大国であろうと、この国の祈りの形に文句をつける権利はない。
ナショナリズムを何処の国も文句を付けないだろう。
しかし不幸な戦争を正当化するならどの国も文句を付ける。
>だけど国民の代表になったのであれば、国民を代表して靖国に行くべき。
慰霊が靖国だけではない、代表ならそれをわきまえるべきだ。
国家神道が危険な国のあり方とならないためにも。
その上で「この先の日本をより良くしていく。心の中でその誓いさえしてきてくれるなら」
としなければ間違いを繰り返す。
これは メッセージ 221056 (kemex2201 さん)への返信です.