北朝鮮を巡る米中の合従連衡―Ⅳ
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/10/01 21:49 投稿番号: [218635 / 232612]
北朝鮮は中国の対米関係改善カード
前回の1994年の米朝協議には中国は関与していない。北朝鮮が嫌ったことも事実だが、そもそも天安門事件の影響で、当時は米中関係は冷え切っていた。
氷ついた関係を和解に導いたキーマンが、キッシンジャー元国務長官の愛弟子でクリントン政権の国務次官補(元中国大使)を務めていたウィンストン・ロードである。彼は今回の6カ国協議についても中国の関与をアドバイスした人物である。ロードはクリントン政権時代、それまで中国の人権問題にとらわれて迷走するばかりの中国政策を転換させた。天安門事件以来毎年、中国の人権状況の改善を検討した上で、最恵国待遇を付与するのかどうかを決定するとの見直しをしたのである。この2つをリンクすることをロードは放棄した。
>ロード氏はさしずめ日本でいうところの眉中派。もともと共和党人脈の外交官でキッシンジャー極秘訪中の際にも通訳として同行した経験あり。天安門事件の際に米政府が冒した失態の責任を負わされて共和党から民主党へ鞍替えしている。<
>米国は中国の深刻な人権侵害問題と、興隆する米中の通商貿易を切り離し天安門事件に対する米国の対中経済制裁を実質的に解除してしまった。中国との貿易を熱望する米国内の軍需産業や民間企業の圧力に屈しての対中人権外交を放棄。またこの解除のタイミングと前後して、94年の朝鮮半島核危機の際に、中国が国連安保理に北朝鮮非難決議が上程されても中国は拒否権を発動しないと発表している。<
またオープンにされていないが、彼の提言で中国政府の有力シンクタンクに韓国系米国エコノミストが派遣されている。時期は1990年代半ばである。きっかけは、94年に開かれた14回共産党大会で「社会主義市場経済」が党規約に明記されたことであった。もはや中国「資本主義化」の後退はない。ならば中国が渇望している「投資」と「貿易」をカードにすればいい。これを梃子にして中国の「和平演変」(平和的転換)を図ろうというのが、クリントンの中国政策となった。
ロードたちの狙いは中国の市場経済を逆転不能なまでに推し進めることにあり、この目的は中国が2001年の12月にWTO(世界貿易機関)に加盟したことでひとまず達成された。中国は毛沢東時代の鎖国体制から全面的な開国に転じた。つまり世界経済と完全に一体化したのである。グローバリズムは中国社会の大変化を促し、共産党政権の命運を決めるほど大きな衝撃を与えるだろう。
ロード次官補の一連の政策転換の背景にあったのが、米国資本の中国進出が活発化しつつあったことだった。具体的に紹介しておきたい。1998年6月24日の「国際経貿消息」によると、
国交正常化を達成した79年の両国貿易額は僅かに24.5億ドルに過ぎなかったが、
90年117.7億ドル
95年408.3億ドル
96年428億ドル
98年489.9億ドル
と、うなぎのぼりとなる。
(2004年の米中貿易額は1696.3億ドル、日中貿易額は1678.9億ドル)
投資額も1991年が①プロジェクト数694件、②協議金額5億4808万ドル、③実際の利用金額は3億2320万ドルだったものが、翌年の92年からは、①が6倍の3265件、②と③もそれぞれ32億1125万ドル、5億1105万ドルに膨れ上がった。
ここまで経済上の相互関係が深まれば、自ずと政治外交関係も好転する。単純な対決論は互いの国益にプラスにならないのである。関係の正常化は1997年の江沢民訪米と翌年のクリントン訪中で達成され、両国はこの瞬間から「戦略的パートナー」となった。すでに米国は中国の第2の貿易相手であり、中国は米国の第4位の貿易国となっていた。
(つづく)
前回の1994年の米朝協議には中国は関与していない。北朝鮮が嫌ったことも事実だが、そもそも天安門事件の影響で、当時は米中関係は冷え切っていた。
氷ついた関係を和解に導いたキーマンが、キッシンジャー元国務長官の愛弟子でクリントン政権の国務次官補(元中国大使)を務めていたウィンストン・ロードである。彼は今回の6カ国協議についても中国の関与をアドバイスした人物である。ロードはクリントン政権時代、それまで中国の人権問題にとらわれて迷走するばかりの中国政策を転換させた。天安門事件以来毎年、中国の人権状況の改善を検討した上で、最恵国待遇を付与するのかどうかを決定するとの見直しをしたのである。この2つをリンクすることをロードは放棄した。
>ロード氏はさしずめ日本でいうところの眉中派。もともと共和党人脈の外交官でキッシンジャー極秘訪中の際にも通訳として同行した経験あり。天安門事件の際に米政府が冒した失態の責任を負わされて共和党から民主党へ鞍替えしている。<
>米国は中国の深刻な人権侵害問題と、興隆する米中の通商貿易を切り離し天安門事件に対する米国の対中経済制裁を実質的に解除してしまった。中国との貿易を熱望する米国内の軍需産業や民間企業の圧力に屈しての対中人権外交を放棄。またこの解除のタイミングと前後して、94年の朝鮮半島核危機の際に、中国が国連安保理に北朝鮮非難決議が上程されても中国は拒否権を発動しないと発表している。<
またオープンにされていないが、彼の提言で中国政府の有力シンクタンクに韓国系米国エコノミストが派遣されている。時期は1990年代半ばである。きっかけは、94年に開かれた14回共産党大会で「社会主義市場経済」が党規約に明記されたことであった。もはや中国「資本主義化」の後退はない。ならば中国が渇望している「投資」と「貿易」をカードにすればいい。これを梃子にして中国の「和平演変」(平和的転換)を図ろうというのが、クリントンの中国政策となった。
ロードたちの狙いは中国の市場経済を逆転不能なまでに推し進めることにあり、この目的は中国が2001年の12月にWTO(世界貿易機関)に加盟したことでひとまず達成された。中国は毛沢東時代の鎖国体制から全面的な開国に転じた。つまり世界経済と完全に一体化したのである。グローバリズムは中国社会の大変化を促し、共産党政権の命運を決めるほど大きな衝撃を与えるだろう。
ロード次官補の一連の政策転換の背景にあったのが、米国資本の中国進出が活発化しつつあったことだった。具体的に紹介しておきたい。1998年6月24日の「国際経貿消息」によると、
国交正常化を達成した79年の両国貿易額は僅かに24.5億ドルに過ぎなかったが、
90年117.7億ドル
95年408.3億ドル
96年428億ドル
98年489.9億ドル
と、うなぎのぼりとなる。
(2004年の米中貿易額は1696.3億ドル、日中貿易額は1678.9億ドル)
投資額も1991年が①プロジェクト数694件、②協議金額5億4808万ドル、③実際の利用金額は3億2320万ドルだったものが、翌年の92年からは、①が6倍の3265件、②と③もそれぞれ32億1125万ドル、5億1105万ドルに膨れ上がった。
ここまで経済上の相互関係が深まれば、自ずと政治外交関係も好転する。単純な対決論は互いの国益にプラスにならないのである。関係の正常化は1997年の江沢民訪米と翌年のクリントン訪中で達成され、両国はこの瞬間から「戦略的パートナー」となった。すでに米国は中国の第2の貿易相手であり、中国は米国の第4位の貿易国となっていた。
(つづく)
これは メッセージ 218487 (komash0427 さん)への返信です.