善意は善意。でも
投稿者: sadatajp 投稿日時: 2005/09/27 22:55 投稿番号: [217838 / 232612]
>もしかしたら彼なりの善意?であったのかもしれない。
善意でしょう。
日本が進んで不利益を甘んじて受ける、つまり犠牲になる事で、
アジアを平和にしようとしてるのだと思います。
これは平和主義と言ってる人に共通する考え方です。
「私一人が我慢する事で丸く収まるなら、喜んで犠牲になる。」
基本的な考え方はこれ。日本人なら極普通に考える事。
我慢と言いつつも結構心地良かったりする考え。
犠牲になるのが“自分”なら納得ずくなので結構だけど、
犠牲になるのが“自分達”となると問題が出てくる。
“自分達”の中に犠牲になる事に納得していない人が含まれてるので問題が出てくる。
この場合、自分達が犠牲になればと考えてる人が、犠牲は嫌だという人に犠牲を強いる事になる。
犠牲を強いられる者の立場から言えば、他でもないこの者から犠牲を強いられるという事になる。
ちっとも結構でないものになってしまう。
>同様に狭間にあった拉致問題をどのように思っていたのか。
日本が引きさえすれば上手くまとまるのだから、大局的に見て引くべき。てな所でしょう。
「私はいくら悪く言われても構わない。それでアジアが平和になるのなら」
自分への非難に対してはこのように考えてるのだと思います。
こう考えた場合、自分への非難は苦痛でなく喜びになります。
苦しいのは苦しいのだけど、それに挫けない自分を喜ばしく感じたりするのです。
これは誰にでもある事でこれ自体を悪いとは言わないけれど、
こう考えつつ反対意見をわかってないと切り捨てるようになると始末に負えなくなります。
他者の批判を受け止めて自身の考えを修正する事が出来なくなって独善となってしまいます。
田中均もこうなってしまってるのだと思います。
善意は善意。でも善意だから良いと言うものではありません。
これは メッセージ 217825 (mikkiy1977 さん)への返信です.
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