◆後藤田氏は家族会にせめて遺憾の意を
投稿者: prefgovernor 投稿日時: 2005/09/22 22:13 投稿番号: [217028 / 232612]
拉致が公になってみて、思うことなのだが、警察官僚だった後藤田氏にも大いに責任があったのだと思うのだが、どうだろう?
http://nyt.trycomp.com/nenpyo.html北朝鮮拉致事件関連年表
ウィキペディア
『1949年(昭和24年)3月京都警察管区本部刑事部長。1950年(昭和25年)8月警察予備隊本部警務局警備課長兼調査課長。1952年(昭和27年)8月国家地方警察本部警備部警邏交通課長。1955年(昭和30年)7月警察庁長官官房会計課長。1959年(昭和34年)自治庁税務局長の小林與三次らの引きで自治庁長官官房長、税務局長を歴任。 その後自治事務次官となった小林の慰留を振り切って、1962年(昭和37年)5月警察庁に戻り長官官房長、警備局長、警務局長、警察庁次長を経て、1969年(昭和44年)警察庁長官に就任した。・・・1972年(昭和47年)に警察庁長官を辞任した。同年7月、田中角栄内閣の内閣官房副長官(事務)に就任。田中の懐刀として辣腕を振るう。・・・1976年(昭和51年)の衆議院議員総選挙に徳島全県区(当時)から立候補し、6万8990票を獲得し、三木に続く二位当選を果たした。以後、自民党田中派に所属し、田中の庇護の下、当選回数が少ないにもかかわらず顕職を歴任することとなる。』
『カミソリ後藤田』という異名をとった方だそうだが、そのカミソリは
誰に
向けられたものだったのかと思ってしまう。彼が警察官僚として上り詰めて行った時代に
総連は日本国内の安定した地位を築いていったように思うのは
私だけだろうか?
http://mirror.jijisama.org/sonota.htm#zeikin1976年に在日朝鮮人商工連合会と日本国税当局との間で税金問題解決に関する5項目の合意が成立
拉致が公になってから、当時の責任者であった後藤田氏は一言「力が及ばなかった」「これからは全力で救出するよう努力する」と拉致被害者家族の皆さんに遺憾の意を表しても良かったのではないか。むしろ、そうする事が今の拉致被害者救出担当の外務省、佐々江氏、斉木氏らを援助する事になるのではないか?政界を引退したとはいえ、日本人のリーダー・指導者の取るべき道ではないか?きちんと、潔く「遺憾の意を表すること」がエリートの態度ではないか?
密葬は日中友好会館で行われたそうだ。もう一度書くが「誰に向けられたカミソリだったのか」春曉ガス田では赤い炎が上がり始めたそうだ。
「ありがとうございました」「安らかにお眠りください」「これからは日本国・日本人は私たちが守っていきますから」とお悔やみ申し上げたい。
これは メッセージ 216433 (prefgovernor さん)への返信です.
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