小泉外交_終
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/09/06 22:56 投稿番号: [214458 / 232612]
「9・17」の大儀と危うさ
米国の外交を語る再には、「9・11前」「9・11後」という表現がある。世界に大きな衝撃を与えた2001年9月11日の米同時テロ。その前と後では、テロ対策を最優先するため、米外交のあり方が根底から変貌したことを指すものだ。
日本外交にとっての「9・11」とは、2002年9月17日の小泉首相の北朝鮮訪問ではなかろうか。
「9・17」では、金正日総書記が日本人拉致を認めて謝罪し、被害者5人が帰国した。外交が、一般市民からかけ離れた合意文書の文言争いのゲームや、社交の世界にとどまらず、「国民の生命を守る」という最大の国益に直結していることを再認識させた。「9・17後」の日本外交では、拉致問題の解決が最重要事項に位置付けられた。
日本外交のあるべき姿にも影響を与えた「9・17」で、小泉首相らは何を目指し、水面下でどう動いたのか。その詳細を明らかにすることが、「小泉外交」の本質に迫ることになるのではないか。取材班が、小泉訪朝を今回の連載の中核に置いたのは、そうした問題意識によるものだった。
歴史的な小泉訪朝が実現した理由について、政府高官はこう振り返った。
「首相は、一本の木よりも、大きな森全体を見る傾向がある。一度決めたら、最後まで怯まない」
日朝関係の改善は、半世紀以上も残された数少ない戦後処理の問題だ。北東アジアに平和を構築するという「大儀」もあった。「理想主義」(福田康夫・前官房長官)の小泉首相が、拉致問題の打開という極めて困難な課題に正面から取り組み、リスクを伴う訪朝という政治的な決断を貫いたことは当然、評価されるべきだろう。
その一方で、取材を通じて、「詰めが甘く、全体の戦略性にかける」という小泉外交の「危うさ」も改めて浮き彫りになった。
小泉訪朝では、事前に拉致被害者の安否情報を詰めきれなかった。独裁国家の北朝鮮との交渉の難しさがあったとしても、その後に大きな禍根を残した。核・ミサイル問題に十分な力点が置かれたとは言い難く、一時は米国との間に不信感も生まれた。
首相が今年(2004年)5月の再訪朝の際、周囲の反対論を押し切ったことについて、ある外務省幹部は「首相は、自分の決断と行動により、再訪朝に否定的な世論を変えられると確信していたようだ」と指摘した。
世論に敏感な首相だけに、再訪朝の決断には、拉致被害者の家族の帰国を何よりも最優先する思いの一方で、7月の参院選に向けた政権浮揚の思惑があったことも否定できない。
取材班は今回、多数の関係者に話しを聞いた。首相の訪朝から2年余を経たとは言え、日朝交渉は継続中だ。関係者の口は重かった。「そんな連載を今、やるのは無理ですよ」と忠告する外務省幹部もいた。
それでも様々な新事実が明らかになった。連載を読んだ関係者の一人が「私の話も是非聞いてほしい」と、わざわざ取材班に電話してきたこともあった。
拉致被害者の家族の取材では、拉致という理不尽な国家犯罪に長年苦しめられた怒りや、外務省への不信感の強さを改めて感じた。
取材を進める中で、日朝外交の連載が予定より大幅に長期化した。その結果、対米国、中国外交などは先送りせざるを得なくなった。年明け以降は、日朝関係の取材を継続するとともに、より幅広い外交問題を取り上げ、「小泉外交」の全体像を浮き彫りにしたい。(おわり)
◇
この連載は、内田明憲、村尾新一、東武雄が担当しました)
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米国の外交を語る再には、「9・11前」「9・11後」という表現がある。世界に大きな衝撃を与えた2001年9月11日の米同時テロ。その前と後では、テロ対策を最優先するため、米外交のあり方が根底から変貌したことを指すものだ。
日本外交にとっての「9・11」とは、2002年9月17日の小泉首相の北朝鮮訪問ではなかろうか。
「9・17」では、金正日総書記が日本人拉致を認めて謝罪し、被害者5人が帰国した。外交が、一般市民からかけ離れた合意文書の文言争いのゲームや、社交の世界にとどまらず、「国民の生命を守る」という最大の国益に直結していることを再認識させた。「9・17後」の日本外交では、拉致問題の解決が最重要事項に位置付けられた。
日本外交のあるべき姿にも影響を与えた「9・17」で、小泉首相らは何を目指し、水面下でどう動いたのか。その詳細を明らかにすることが、「小泉外交」の本質に迫ることになるのではないか。取材班が、小泉訪朝を今回の連載の中核に置いたのは、そうした問題意識によるものだった。
歴史的な小泉訪朝が実現した理由について、政府高官はこう振り返った。
「首相は、一本の木よりも、大きな森全体を見る傾向がある。一度決めたら、最後まで怯まない」
日朝関係の改善は、半世紀以上も残された数少ない戦後処理の問題だ。北東アジアに平和を構築するという「大儀」もあった。「理想主義」(福田康夫・前官房長官)の小泉首相が、拉致問題の打開という極めて困難な課題に正面から取り組み、リスクを伴う訪朝という政治的な決断を貫いたことは当然、評価されるべきだろう。
その一方で、取材を通じて、「詰めが甘く、全体の戦略性にかける」という小泉外交の「危うさ」も改めて浮き彫りになった。
小泉訪朝では、事前に拉致被害者の安否情報を詰めきれなかった。独裁国家の北朝鮮との交渉の難しさがあったとしても、その後に大きな禍根を残した。核・ミサイル問題に十分な力点が置かれたとは言い難く、一時は米国との間に不信感も生まれた。
首相が今年(2004年)5月の再訪朝の際、周囲の反対論を押し切ったことについて、ある外務省幹部は「首相は、自分の決断と行動により、再訪朝に否定的な世論を変えられると確信していたようだ」と指摘した。
世論に敏感な首相だけに、再訪朝の決断には、拉致被害者の家族の帰国を何よりも最優先する思いの一方で、7月の参院選に向けた政権浮揚の思惑があったことも否定できない。
取材班は今回、多数の関係者に話しを聞いた。首相の訪朝から2年余を経たとは言え、日朝交渉は継続中だ。関係者の口は重かった。「そんな連載を今、やるのは無理ですよ」と忠告する外務省幹部もいた。
それでも様々な新事実が明らかになった。連載を読んだ関係者の一人が「私の話も是非聞いてほしい」と、わざわざ取材班に電話してきたこともあった。
拉致被害者の家族の取材では、拉致という理不尽な国家犯罪に長年苦しめられた怒りや、外務省への不信感の強さを改めて感じた。
取材を進める中で、日朝外交の連載が予定より大幅に長期化した。その結果、対米国、中国外交などは先送りせざるを得なくなった。年明け以降は、日朝関係の取材を継続するとともに、より幅広い外交問題を取り上げ、「小泉外交」の全体像を浮き彫りにしたい。(おわり)
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この連載は、内田明憲、村尾新一、東武雄が担当しました)
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これは メッセージ 214067 (komash0427 さん)への返信です.